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「…ゼロス」
横たわる彼の体を、私はそっと抱き上げる。赤くて綺麗な彼の髪はすっかり汚れてしまって、服もボロボロ。さっき広げたばかりのオレンジ色の翼は、今ではすっかり生気を失っていた。さらに、御自慢の美しい顔は、ぬっとりとした真新しい血で濡れていて。
なのに、あなたは、
「…ケイちゃん」
「どうして、こんな、」
「っひゃ〜…見事にやられちまったな〜…俺さま」
俺さますっかり油断しちゃった〜、なんて言って、ゼロスは咳き込む。そうすればまた、彼の口からたくさんの血が溢れ出てくる。いくら私がその血を拭ったって、それは治まることはなくて。
「ごめん、なさい、」
「…なーんで、ケイちゃんが謝る、わけ?」
「だって、私が、」
私が、あなたを、
「…ケイ」
弱々しく差し出されたその手を、私はぎゅっと握りしめる。そうすれば、それに答えるように、ゼロスもぎゅっと私の手を握ってくれた。とても大きな優しいその手のひらは、とても弱く、とても儚く。
「泣くな、笑え」
「笑えるわけないでしょ、こんなときに、」
「笑ってくれよ、頼むから」
「だから笑えるわけ…!」
「俺からの、最期の、頼み」
私の時間が、少し、ほんの少しだけ、止まった。
「…ばか…っ、ばかゼロス!」
「ひっでぇなぁ…死に際くらい、優しく、してくれよ」
「っ、そんなこと言わないでよ!」
私の瞳からはボロボロと涙が溢れ出て、それがゼロスの顔に降りかかる。ポタポタと何度も落ちるそれは、ゼロスの血を少しずつ、ほんの少しずつ洗い流す。肩を震わせて泣きじゃくる私は、あなたの目にどれほど滑稽に映っているのだろうか。
「最期だとか死ぬだとか、そんなこと言わないで!」
「ケイ…」
「お願い、だから…」
私は思わず彼を抱きしめた。弱々しい心臓の鼓動に胸がしめつけられる。
なんで、どうして、
「やだ…死んじゃやだよ…ゼロス…っ!お願いだから…生きてよ…っ!」
「いくら可愛いケイちゃんの頼み、でも…それは、聞けないな〜…」
ごめんな、そう言ってゼロスは私の背中にそっと腕を回した。ゼロスの心臓の音が、少し、また少しと小さくなっていく。
いやだ、いやだよ、私まだゼロスに何も伝えられてないじゃない。ありがとうも、ごめんねも、大好きも、愛してるも。この旅が終わったら、たくさん時間をかけて伝えていくつもりだったのに。
「――――ケイ」
ふいにゼロスが私の名前を呼んだ。酷く優しい声で。そして私から体を少し離すと、じっと私の顔を見つめた。
「な、に、」
「愛してる」
優しすぎる笑顔で、優しすぎる声で、彼はハッキリとそう言った。
「、こんなときに、冗談やめてよ!」
「冗談でも、嘘でもない」
あまりに真剣に彼がそう言ったから、私は何も言う事が出来なかった。
「…ホントは、言わないつもりだったけど、やっぱり、無理だわ」
「なに、が、」
「ずっと前から、多分初めて会ったあの日から、愛してる、ケイのこと、誰よりも」
なぜこんな状況でこんなことを言われてるのかさっぱり分からない。そのうえまく呼吸が出来なくて、おまけに血に濡れたゼロスの笑顔があんまりにも綺麗で、思わず見惚れてしまったなんて、一体誰に言えるんだろう。
いや、言えるわけがない。
「こんなこと言って、ケイのこと、困らせるの、嫌だったんだけどな…」
「っ、じゃあ、生きてよ!愛してるなら生きて、私のこと守ってよ!」
「…ごめんな」
「謝らないでよ…そんなのいらないから、お願いだから…、」
「…お前は、しあわせに、なれ」
「…幸せになんて…無理に決まってるでしょ…」
「…ケイ?」
「ゼロスがいない世界で、幸せになんてなれない!」
止まない涙はさらに質量を増して、ぼろぼろと私の瞳からあふれ出した。ゼロスを濡らすこの涙に、彼の命が助かる薬が入っていればよかったのに。
「だから死なないで…ゼロス、死なないでよ…」
もう一度ゼロスを抱きしめると、少しの沈黙の後、ゼロスは私に言った。トクン、という心臓の音が、また少し小さくなる。
「……ケイちゃんにとって、おれは、必要なそんざいだった?」
「当たり前でしょ!ずっとずっと、これからも必要なんだよ…生きててくれなきゃダメなの!」
「そっか…」
すると妙に満足したような声が耳元で聞こえる。こんな状況で、一体何を落ち着いているんだろうか、彼は。
「…なら、おれは生まれてきて、よかった」
「…え、」
「ケイちゃんにとって、必要なそんざいであれて、よかった」
それだけでじゅうぶんだ、なんて、段々と小さくなる声が私に告げる。彼の鼓動の音は、生きている証は、今にも消えてしまいそうで。
「やだよ…生きてよゼロス…だって私、まだあなたに伝えてないことたくさんあるのに…」
「…いいんだ、だからわらって、」
「よくないよ!だって私もあなたのことが、」
―――好き、
その言葉を発する前に、彼の唇が私のそれと重なっていて。初めてのそれは、私の心臓をドクン、と大きく跳ね上がらせた。彼の鼓動の音を消してしまうんじゃないかというくらいに、大きく。
「―――しってるよ」
唇が離れたとき、彼は笑ってそう言った。私は声も出せずに、ただ彼を見つめていた。
「だから、こまらせちまって、ごめん、そして、」
「い、やだ、」
言わないで、その言葉の続きを、聞かせないで、
「…さよなら、ケイ」
彼は優しく笑って、そして瞳を閉じた。
「…ゼロス?」
返事のない彼の鼓動の音は、もう止まっていて、
「あ…あぁ……」
なのにどうしてそんなにしあわせそうにわらうの。
「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
悲痛な私の叫びだけが、響いていた。
さよならのキスは、
(錆びた鉄の味がした)
2010.02.05
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