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目を覚まして、みんなと挨拶を交わして。だけどその中に見慣れた愛しい人はもういない。
「あ、おはようケイ」
笑顔で挨拶してくるコレット。笑顔に似た表情でそっけない返事を返す。
なんだか悪い夢から覚めてない心地だった。コレットがウィルガイアへ連れて行かれたあの時、彼は私たちに裏切りという名の刃を向けた。私たちとクルシスとレネゲード、3つの勢力を測りにかけた結果、彼はクルシスを選んだのだ。オレンジ色の羽根を優美に纏い、彼は私たちに向かって襲い掛かった。
私は目の前の光景が信じられなかった。夢だ、これは悪い夢だ。そう何度頭の中でくり返し叫んだだろう。上手く頭が回らなくなって、息をすることさえ忘れてしまいそうだった。
ただひたすらに目の前の現実から逃げてしまいたかった。だから戦うみんなの背中を、呆然と見つめることしか出来なくて。
「おはようケイ。昨日はよく…眠れなかったみたいね」
食堂に着くと、リフィルにそう声をかけられていた。私はその時なんと答えたのかすら覚えていない。
あの日から私はほとんど眠っていない。夢にも出てくる、あの日の光景。彼が崩れ落ちていく、あの悲しい絶望的なシーンが、幾度となく蘇る。
ここにはいつもと変わらない風景がある。こうして朝食を囲んで、これからのことやくだらないことをたくさん話して、みんなで笑って、世界を救おうと必死に生きている。
だけどこの変わらない風景から、あなたは切り取られた。まるで初めからここに存在していなかったかのように。
派手なピンクの服、ふわふわと揺れる赤い髪、下品な笑い声。忘れられるはずもないのに、消せるわけもないのに。
「…ごちそうさま」
「ケイ、もういいのか?ちゃんと食べないともたないぜ」
「ん…大丈夫だから」
ほとんど朝食に手をつけないまま、私はその場を後にしようと立ち上がった。
胸が痛かった。
みんなが気を使って無理をしていることくらい誰でも分かるから。悲しいのは、苦しいのは、私だけじゃないのに。なのに今まで通りを装って、笑ってるみんなを見ているのが、痛かったのだ。
みんな私の彼に対する気持ちを知っていたから、だから私をこれ以上悲しませないようにいつも通りを演じてくれている。分かっているけれど、そんなに簡単に私の心は癒されない。
そう、癒されるわけがないのだ。
「―――ケイ」
ロイドに呼び止められ、私は足を止め振り返った。
「ケイ、ゼロスのことは―「その話はやめて」
聞きたくない。
あの日のことも、彼の名前も。
「分かってるよ、頭では。でも無理なの。いつもの風景から彼だけがいなくて、いつもなら手を伸ばせば届くところにいたし、目で追うことだって出来た。だけど今は目で追って、そこにいるってことを確認もできないし、どこに手を伸ばしたって届くわけもなく空を掴むだけ―――――もう、無理だよ」
あなたの声も、笑顔も、姿も、すぐに思い出せるのに。なのにどうしてここにいないんだろう。どんなに目を凝らしても、どんなに切に願っても、もうあなたはここには居ない。その確かな現実が、私を絶望の海に引きずり込んで離さない。
「…ケイ、それでも俺たちは進まなきゃだめなんだ。あいつの――ゼロスのためにも」
「…わかんないよ…私にはわかんない…っ!」
気付けば涙が頬を伝っていた。あの日から数え切れない程涙を流したというのに、私の涙はまだ枯れない。
「最期にあいつはコレットの居場所を告げて逝った。それがあいつの俺たちに対する信頼だったんだ」
「だったらなんだっていうの!?その信頼にこたえてコレットを助け出した!そして今からユグドラシルを倒して世界を統合させて、それで終わりじゃない!どれだけ待ったって、どれだけ祈ったって、もう、絶対に、帰って来ないんだよ…!」
「ケイ、ゼロスは、」
「聞きたくない!もうその名前は聞きたくないの!」
「ケイ、」
「こんな真っ暗な世界で生きていくくらいなら死んだ方がマシよ!」
「っ、馬鹿なこというな!!」
カッとなったのか、ロイドは私の肩をぐっと強く掴んだ。よく見ればロイドの瞳は真っ赤になって、少し腫れていた。
―――あぁ、ロイドも散々泣きはらしたんだ。
そんなとんだ場違いなことを思ってしまった。
「これ以上俺たちを悲しませるのかよ!」
「っ」
「ゼロスを失って、ケイまで失ったら…俺たちはどうすればいいんだよ…」
ロイドの瞳は悲しみで揺れていた。だけど凛とした声で、はっきりとこう続けた。
「…俺はもうこれ以上仲間を失いたくない。誰も死なせたりしない」
それはロイドの、誓いであり決意。
「だからもしケイが死のうとしたら、俺は全力で食い止める。例えそれがどんな状況であっても、俺はケイを死なせはしない。ケイだけじゃない。他のみんなだって同じだ。もう絶対に仲間を失いはしない」
「ロイド…」
「ゼロスが命をかけて俺たちに残してくれたもの、絶対に無駄になんてしない、するもんか」
私は肩からそっとロイドの手を退ける。静かな空気の中で、私はポツリと呟いた。
「…でも、ね。彼は言ったのよ、私に。約束したの」
あの日の夜、フラノールで彼は私に言ったんだ。いつもと様子が違う彼のことがどうしても不安で、だから言った。「絶対にどこへもいかないでね」って。そしたら彼はいつもよりずっと穏やかな笑顔で、
――――可愛いケイちゃんを置いて、一人でどっかいくわけないだろ?
「私を置いてどこへも行かないって。ハッキリそう言ったんだよ」
だから小指を繋いで約束したの。そう言った私は、すごく小さな子どものような目をしていただろう。ロイドは悔しそうに顔を歪めていた。テーブルを囲うみんなも、同じような表情だ。
「だからね、信じたくないの。私が嘘は大嫌いなこと、彼は知ってたから」
「ケイ…」
「今でも悪い夢の中にいるような気分なの。醒める事のない、悪夢の中…」
ロイドの手をぐっと強く握って私は俯いた。しばらくの沈黙の後、ロイドが口を開いた。
「…ごめんな、ケイ」
「え…?ロイドが謝る事なんて、なにも…」
むしろこんなにみんなに心配をかけて、迷惑をかけて、謝るのは私の方なのに。
「あの日、ゼロスが死んだ日、フラノールでゼロスから伝言を預かったんだ。ケイにって」
「…え?」
「自分で言えよって言ったら、俺は照れ屋だからって…」
「なにを、いわれたの?」
空気が重い。息をするのが難しいほどに。
「…一回しか言わないからな」
「…うん」
「たとえこの先何があっても、ケイは生きて幸せになれ」
すっかり渇きかけていたのに、また涙が溢れた。
「本当はもっと早く伝えておくべきだったのに…俺、馬鹿だからさ。ゼロスが死んでしまってからのケイを見てるとすごく辛くて。だからタイミング見失ってた。本当に…ごめんな」
「ううん、それを聞くのが、今で…このタイミングで、良かった」
きっと彼が死んでしまう前に聞いていたら、それこそ今よりもっと塞ぎこんでいただろう。
「ロイド…ごめんね。…そしてありがとう」
「え…」
「私、生きるよ。彼の――ゼロスのぶんまで、力一杯」
あの日からずっと呼ぶことを躊躇い、封印してきた、彼の名前。どうしてだろうか、今ならすっと言葉に出来た。そして精一杯の笑顔で笑ってみせる。
「もう、大丈夫」
今はまだ強がりなこの笑顔でも、いつかきっと心から笑える日がくる。そんな妙な自信。さっきまで広がっていた絶望の海から、引き上げられた気持ちだった。
私はロイドの手を離し、扉を開けて外へ出る。あれから一度も見上げることのなかったこの空は、すっかり不気味な紫色をしていた。
「私、負けないからね。生きていくからね」
そう強く決意したときだった。
『 ありがとう 』
耳元で愛しい人の声がした。振り向いてみても、そこにはみんなの姿が写るばかりで、彼の姿はなかった。いつもと変わらない風景、だけどもうそれに怯える事はない。私は息を吸うとみんなのもとへ歩き出した。
ねえゼロス、この戦いが終わるまで、ずっと私のそばで私を見ていてね。私が負けないように、私が挫けないように。私におっきな嘘を付いたんだから、嫌だなんて言わせないわよ。
この心に残る悲しみも苦しみも全部、いつか愛しいと思える日まで。
別れの言葉
(さようなら、また会いましょう愛しい人)
悲しくて切ないけれど、真っ直ぐな想いって誰かを強くさせてくれると思う。
すべて乗り越えて、いつか笑ってありがとうと言えるその日まで、
さようなら、また会いましょう愛しい人。
2010.02.01
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