04

京都はよく風の吹く日だったが、相変わらずの真夏日が続いていた。蝉のジリジリという鳴き声は、体感的な暑さをさらに膨らませる。
犲達もその暑さにやれるものが続出しており、昨日大蛇の調査で外に出ていた妃子は軽い熱中症で倒れてしまった。そんな状態で無理をして働かせるわけにもいかないので、妃子の代わりに葉月が出てこなければならなかったのだが、葉月は非番を使って朝早くから外出していたため呼び戻す事が出来なかったのだ。結果、本日の犲の詰め所には男ばかりが揃う事となった。

男ばかりの詰め所はいつにも増して暑苦しく、むさ苦しい。芦屋にいたっては女のいない職場でやる気も起きないらしく、ほとんど何もしていない状態だ。
幸いにも現在立て込んでいる任務も仕事もないため暇ではあったのだが、それでも物足りなく感じるのは華を担当している女性たちがいないからだろう。

蒼世は風になびく長い髪を鬱陶しげに払う。今日はやけに気分が落ちているのは、きっと暑さのせいだけではないのだろう。
蒼世の視界に色素の薄い自身の髪が映ったとき、団子にでもすればいいのに、と言った葉月の笑顔をふと思い出した。しかし、見渡してみたところで詰め所に葉月はいない。風の吹く日は癖のついた葉月の短い黒髪がふわふわと揺れて、涼しげな気分になるのが蒼世は好きだった。

そんな葉月の事を想うと同時に、鬱陶しいカニ頭の男の事を思い出してしまって急速に苛立ちが募る。今頃葉月と一緒にいるのであろうと思っただけで、すぐそこにいる武田に八つ当たりたくもなったのだが、それはダメだと蒼世の理性が叫んでいる。まったく感情とは面倒なものだと感じつつ汗を拭うと、蒼世は書類を手にして立ち上がった。

「岩倉様のところに行ってくる。午後からは偵察でそのまま出るが、何かあれば鷹峯に報告しておくように」

蒼世はそれだけ吐き出すと、いつも通りを装いながら犲の詰め所を出た。残された隊員達は蒼世が出て行ったのを確認すると、一斉にぐったりと机に突っ伏した。隊員達も相当暑さに参っているらしい。芦屋にいたっては、席についておくこともせずに、窓際で風をあびながら自身をパタパタとうちわで扇いでいる始末だ。

「あの、鷹峯さん」
「なんだ武田」

机に突っ伏しながら酒の事ばかり考えていた鷹峯に、武田が恐る恐る質問を投げかける。

「隊長、なんであんなに機嫌悪かったんですか」

武田の問いかけに、鷹峯は、んーと気だるそうな声を漏らして顔を上げると、額に滲む汗をそのままに答えた。

「沸点が下がってんだよ」
「暑さでですか?」
「あぁ、熱に浮かされてな」

意味深に答える鷹峯だったが、その本心は武田には伝わっていなかったようで、暑さのせいだと納得した武田は真面目に書類を書き進めていく。鷹峯はそんな武田に青いな、と小さく零してから、武田よりも青い夏の空を見上げて、くどくどと回り道を続ける面倒な男女を思って苦笑した。



その日の午後、岩倉に書類を提出し終え、犲の仕事を粗方片付けた蒼世は、犲の隊服ではなく着流しを着た状態で滋賀に向かっていた。深い藍色の着流しは蒼世の肌の白さをやけに上品に引き立てている。一つに纏められた色素の薄い髪は、馬車が揺れるたび、馬の尻尾のようにご機嫌な様子で左右に揺れる。
日は沈みかけているものの、夏の日は長いようで、まだ夕暮れには早い時間だった。岩倉が用意した馬車は蒼世を乗せて呑気に進んでいく。少しずつ空が赤みを帯び、蒼世の髪を色濃く見せ始めた頃、ようやく蒼世は滋賀に到着した。

約束の店よりも遠い場所で馬車を降りると、蒼世は「赤船」という店を目指して歩き出す。滋賀と京都の県境に程近い場所にあるのでが、雲は丁度その県境で別れており、滋賀だけが曇天に包まれているということが伺える。日を遮る雲は分厚く、一気に湿気は増したものの、幸いにも京都に比べてうんと涼しかった。

蒼世が赤船に到着すると、店の前には赤い着物を着た女が立っていた。黒く長い髪を結い上げて、赤い紅を差した美しい女だ。大蛇の情報を持っているというのはこの女のようで、今回蒼世が恋人のふりをして近付いている相手だ。
女は蒼世に気付くと、柔らかく上品に微笑みを浮かべる。蒼世が歩み寄ってくるその僅かな距離でさえ待ちきれなかったらしく、嬉しそうに頬を赤く染めながらカラカラと下駄を鳴らして蒼世に走り寄った。

「蒼世様!」
「待たせたな」
「とんでもないことでございますわ。わざわざ京都からいらしてくださったというのに」

女は嬉しそうに微笑むと、蒼世の腕に自身の腕を絡めた。やけに鼻につく強い香が、蒼世は好きになれなかった。絡められた腕に不快感さえ覚えるが、顔には出さない。これがもしも葉月だったら、と無意識のうちに考えてしまうのは、どうしようもないことなのだろう。今頃葉月はあいつと仲良くやっているのだろうか。

「…様…蒼世様!」
「ん、あぁ」
「やはりお疲れでしょうか?ぼうっとなさっておりましたが」
「いや、なんでもない。行くぞ」

蒼世はいつも通りぶっきらぼうにそう言うが、女は蒼世のそういうところを気に入っているらしく、気にした様子もなく返事をして、一層蒼世に引っ付いた。一方蒼世はというと、これを仕事と割り切って頭の中を切り替える。何度も浮上してきそうになる葉月のことを必死に頭の隅に追いやると、湧き上がる罪悪感を引き連れたまま女と共に店内に足を踏み入れた。

赤船は非常に人気の高い店らしく、予約でいつも満席だった。蒼世たちは個室に通された為、がやがやと人々が食事を楽しむ席ではなかったが、店の者が忙しなく動き回る様子からかなり繁盛していることは伺えた。
通された個室は小ぢんまりとしていたのだが、襖を開けると整備された中庭が臨める人気の部屋だった。そこで女と他愛もない会話を繰り広げていると、次々と料理が運ばれてきた。料理はどれも色鮮やかで美しく、味も悪くない。人気だというのは頷けるなと思いながら、いつか葉月を連れて来てやろうと思いかけて、すぐにその思いに蓋をする。同じ土地に葉月がいるのだと知っているだけでこの有様だ、まったく情けない。

蒼世はちらりと目の前の女を見た。料理に舌鼓を打つ姿も様になるが、何も心に引っかからない。一つ下で、まだ女らしさの片鱗も現れていないような葉月の子どもらしさにはこんなにも惹かれているというのに、まったく人間は不思議なものだと思いつつ、蒼世は本題を切り出した。

「ところで、大蛇の件だが」
「あら、蒼世様ったら。まだそんな話をするには早すぎますわ」

女は箸を置くと、わざとらしく蒼世に近付いて頬を摺り寄せる。

「夜はまだ長いのですから、ゆっくりと楽しみましょう?」

妖艶に微笑んだ女にうんざりしながら、蒼世は早く葉月の顔を拝みたいものだと心の中で零すのだった。

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