「買い物に付き合って欲しいの」

渓がそう言って俺を連れ出したのは、夕食の買出しをするには随分早い時間だった。やけにそわそわとした渓に手を引かれて町に出たのだが、その意図に気付いてしまって思わず苦笑がもれる。普段ならこうも積極的に行動する事はない渓が、毎年今日という日に限って随分と大胆な行動を起こすのだ。これで本人は隠し通せているつもりなのだから困ったものだが、それすら愛おしく思えるのだから適わない。

しかし、毎年騙されてやるのもな、とふと思った俺の中で、不意に渓を困らせたいという衝動が込み上げる。好きな女を苛めたい、なんて柄でもないし、ましてやそんな年でもないのだが、俺に困らせられる渓の顔はいつも悔しいぐらいに可愛い。その姿が見たくて自然と口は動いていた。

「夕飯の買出しにはまだ早いだろ?」
「え!?えっと、そうなんだけど、ちょっとね!」
「何か欲しいものでもあるのか?」
「え、あの…まあ、そんなとこ!」

わざと意地の悪い質問を投げかけてみれば、嘘をつくのも隠し事をするのも苦手な渓は、分かりやすいくらいに動揺しながら誤魔化すように視線を彷徨わせた。まごまごと言い淀んで、落ち着きなく大きな黒い瞳が揺れる。ぎこちない笑顔で答えた渓はそそくさと前を向いて顔を背けたが、それがあからさまにわざとらしくて思わず笑みが零れた。

結局今年も目の前の小さな娘の真っ直ぐさに負けて、仕方なく誤魔化されるのだろう。天火も天火で、それを分かっていて渓に俺を任せるのだからたちが悪い。やれやれ、と思いながら、毎年の恒例になった小さな手のひらに導かれてやることにした。



しばらく歩いて、渓は行きつけの茶屋に到着した。店先に置かれた椅子に腰を落ち着けて団子を一本ずつ注文し、運ばれてきた団子と緑茶に手を伸ばす。渓は団子を頬張りながらもそわそわと落ち着かない様子で、ちらちらと俺の顔色を伺っている。さながら小動物のようだ。普段しっかりしている分たまに見せる渓の幼さはやけに心をくすぐって、余計に愛しく思わせるのだからたまらない。

「落ち着きないな」
「えっ…?そうかな?」

ぎくり、という言葉が様になるほど分かりやすく動揺した渓は、表情を強張らせつつもどうにか自然に笑顔を作ろうとする。それがやけにちぐはぐで、思わず笑ってしまった。

「わ、笑わないでよ白子!」
「渓が変な顔してるからだろ」
「変な顔って失礼ね!」

膨れっ面になった渓は、いつの間にか串だけになった団子の残骸を皿の上に戻しながらふいっと顔を背けてしまった。俺はわざと追いかけるようにして渓の顔を覗きこむ。目が合うと今度はすぐに顔を赤らめて、恥ずかしそうに視線を逸らした。照れているとは分かっていたが、ころころと変わる表情がいちいち可愛くて、つい困らせたくなる。

「し、白子、あの」
「ん?」
「ち、近い…」
「何が?」
「…顔が…」

目を泳がせながら渓は反射的に俺から距離を取った。この距離感を嫌がる様子は見せないが、恥ずかしさのせいからだろう、目を潤ませて困ったように眉を下げている。これ以上からかうと本当に泣いてしまいそうだ。それはそれで見てみたい気もしたが、その気持ちをぐっと堪えて俺は渓から離れた。少しやりすぎたかな、とも思いながら渓の頭をぽんぽんと撫でる。

「ごめんごめん」
「…絶対悪いと思ってないでしょ」

渓はじと目で俺を見ながら赤くなった自分の頬を両手で包み込んでいる。小さな声で「意地悪白子め」と吐き出されたが、自覚はあったので反論するのはやめておいた。かわりに肩をすくめてみせる。
そんなことをしていると、店の奥から恰幅のいい女将が顔を覗かせた。俺と渓を見比べて、にやにやと意味深に笑う。

「あらあら、こんな時間からお熱いことやねえ」
「べ、別に何も…」
「まったく、どうせ見せ付けるんならさっさと結婚してしもうたらええのに」

女将はそう言いながら空いた湯飲みに茶を注ぎ足した。せっかく顔の赤みも少し治まったところだというのに、先走りすぎている女将からの言葉に渓はすっかり赤くなってしまって、言い返すことも出来ずに俯いてしまった。渓が二十歳を迎えた時からこうして町の住人達に冷かされる事が増えたのだが、渓はいつまで経っても慣れないらしい。女将は純すぎる渓の反応にこっそり苦笑をもらしたが、代わりにその矛先を俺に向けてきた。

「白子くんはいつ渓ちゃんを嫁に貰うんや?」
「お、おばさんっ!」

慌てて顔を上げた渓が女将を制する。俺は肩を竦めてからわざとらしく返事をした。

「天火が許してくれなくて」
「白子まで!もう、二人とも勝手に変なこと云わないで!」
「なるほど、天火さんは渓ちゃんの事簡単に手放しそうにないもんねえ」

渓の言葉を無視して女将は笑う。顔を真っ赤にした渓はこの場所に居づらくなったのだろう。ガタンと勢いよく立ち上がると、お手洗いだと言ってパタパタと駆けながら何処かへ消えてしまった。その背中を見送ってから、やりすぎたかと二人を眉を下げて顔を見合わせる。女将は空いた皿を下げながらこっそりと俺に問いかけた。

「で、実際のとこどうなんや?」
「どうもなにも、俺達は何も」
「結婚せんのかいな」
「そもそも恋仲でもないし」
「似たようなもんやろ」

女将の言葉に、俺は首を横に振る。

「俺には勿体ない」
「よう云うわ」

呆れたように笑って女将は店の中へ引っ込んだ。それを見送ってから注ぎ足された茶に手を伸ばす。緑茶の渋みが口の中に広がるのをゆっくりと味わって、渓が戻ってくるのを待ちながら二十五を迎えた今日の曇天を静かに見上げた。そして何気なくこれまでの日々を思い返す。

曇家に拾われて十年、穏やかすぎるこの日常にもすっかり馴染んだ。毎年必ず俺の生まれた日を内緒で祝うのが恒例になったわけだが、俺が気付かなかった例がない。それでも毎回趣向を変えてあの手この手で祝おうとしてくるものだから、いつの間にか今日という日が楽しみになっていた。それは風魔としては持ち合わせることのなかった感情で、初めこそ戸惑いもあったが今では素直に受け入れられている。

ふと、脳裏に絹のような黒髪を揺らす娘が思い浮かぶ。ころころと変わる表情も、華奢で小さな手のひらも、吸い込まれそうな程澄み切った瞳も、この十年の中で当たり前のように傍にあった。気付けばその存在が俺の中で大きくなってしまったのだ。時が来れば手放さなければならないというのに。

渓は太陽のように眩しくて、手を伸ばすことを躊躇わせる。そのくせいつでも陽だまりのような柔らかな温もりに満ちているから、彼女の傍は居心地がいい。
どこで気持ちの向け方を間違ってしまったのだろうと考えたところで、結局辿り着く答えはいつも同じだ。出会ってしまったあの日から、全て動き出していたのだから。風魔の復興も、曇への侵食も、渓への感情も、全て。

この十年の中で手に入れた物は全部、初めから捨てる為に手にしたものだ。もうすぐ時が満ちて、自分の目的を遂行するために全てが犠牲となる。こんな分かりきった事を今になって何度も考えてしまうなんて、くだらない。

「ただいま」

隣から気配がして、思考を一瞬で切り替える。気持ちを落ち着かせた渓が戻ってきて、俺の隣に再度腰を落ち着けて湯のみに口を付ける。

「ところで、買い物の用事があったんじゃないのか?こんなところで油売ってていいのか?」

渓に問いかければ、渓はぴくっと表情を強張らせたが、取り繕うように笑顔に似た顔を作った。

「うん、今日はもういいかなって」
「そう」

誤魔化すように空を見上げて湯飲みに口を付けた渓を見て、少しだけ笑みを零しながらその視線を辿る。さっきまで見上げていたのと同じ曇天が広がっているだけだ。ちらりと渓を覗き見れば、いつになく大人びた表情で空を見上げている。なんとなく悩んでいるように見えたが、あえて何も言わずに再び空に視線を戻す。二人分の穏やかな空気が俺達の周りを包んだ。渓といると、言葉のない空間でさえ居心地の良さを感じるから不思議だ。

「…ねえ白子」

いつもよりも落ち着いた声で名前を呼ばれ渓を振り向けば、渓は真っ直ぐに俺を見つめていた。

「ん?どうかした?」
「あのね、」

渓は何かを言いかけて、それから堪えるように言葉を飲み込んだ。そして少しだけ間を置いて、少し寂しそうな顔で笑いながら立ち上がる。その笑顔は酷く儚くて、見惚れてしまう程に綺麗だった。

「…ごめん、云いたい事忘れちゃった。そろそろ帰ろう」

言いかけたセリフは、きっと聞き返すべき事ではないと悟っていた俺は、渓に倣って素直に立ち上がる。聞き返したところで渓は答えないだろうし、仮に答えたとしても俺はその気持ちを突き放す事しか出来ないのだ。ならば最初から知らずに居てやる方がいい。

「そうだな、暗くなって来たし」

外は薄暗くなり始めていた。俺は至極当たり前のように渓に手を差し出す。渓は少し驚いたような顔をして俺を見たが、頬を染めて嬉しそうに微笑んで手のひらを重ねた。小さくて薄い手のひらを握ってゆっくりと神社への道を進む。相変わらず冷やかしの声は飛んで来たが、今日は特別だからだろう、渓は珍しく俺の手を離そうとはしなかった。



特に会話をすることもなく、二人でゆっくりと歩いて曇家を目指す。日が沈みかける頃には家に続く長い階段の手前に着いた。これを上りきればもう家に着いてしまう。天火に冷やかされる前に渓の手を離そうとしたが、ふと渓の足が止まったので振り返る。

「あの、白子」

渓は軽い深呼吸をしてから緊張した面持ちで真っ直ぐに俺を見た。繋いだままの手のひらに、僅かに力が込められる。

「ん?」
「今年も知らないふりしてくれて、ありがとう」

唐突に告げられた言葉に思わず目を丸くした。しかしすぐに苦笑に変わる。

「気付いてたのか」
「十年も同じこと繰り返してるんだもの」

渓も眉を下げて笑う。それからもう一度息を吐いて言葉を続けた。

「あのね、聞いて欲しいことがあって」
「何だ?改まって」

出来れば告白でない事を願いながら尋ねれば、渓は少し恥ずかしそうにしながらも、ふわりと微笑んで真っ直ぐに俺を見た。


「今日という日に生まれてくれて、私やみんなと出会ってくれて、本当にありがとう」


優しい声で告げられて、思わず固まってしまう。予想もしていなかった言葉に驚きを隠せないでいると、渓は薄く色づいた唇からさらさらと言葉を紡いでいく。

「こんな事、もっとずっと前からいつも思ってたことなんだけど、なんだか改めて伝えるのって気恥ずかしくて。でも、どうしても今日はちゃんと伝えておきたかったの。白子はあんまり自分の生まれた日を大切に思ってないけど、私やみんなにとってはすごく大切な日なのよ」

渓の言葉の節々から感じ取れる想いに、胸がぎゅっと詰まった気がした。渓はまだ続ける。

「私はね、出会ってから今までたくさん白子に助けてもらったし、たくさん幸せを貰ったよ。私はいつも迷惑ばっかりかけて全然白子の役に立ててないけど、私ももう大人になったから、今まで白子から貰ったものを返していきたい。…ううん、返していく。これからも困らせちゃう事はきっとあると思うけど、でも、」

そこで一旦言葉を止めて、渓は息を吸った。

「これからも、白子と一緒に笑ってたいな」

そう言ってうんと綺麗に笑った渓は、照れたように首を傾げて繋いでいない方の手を赤らんだ頬に当てる。「改めて云うと気恥ずかしいね」と零しながら、渓は逃げるように止めていた足を前に進めた。俺より少し後ろに居たはずの渓は、自然と俺の少し前に居て階段に足をかけている。繋いでいた手に込められていた力はふっと抜けて、渓は俺の手のひらを手放そうとした。

「…みんなお腹空かせてるよね、早く戻―――」
「渓」

先に進みかけた渓の手を逃がすまいと引いて呼び止める。渓は不思議そうに振り返って首を傾げながら俺を見た。階段一段分大きくなってもまだ俺よりずっと小さな体を、思わず抱きしめそうになる。それを必死に堪えるかわりに、繋ぎ止めた渓の手のひらを握る自身の指先に力を込める。


「…ありがとう」


それ以上の言葉は、悔しい事に思い浮かばなかった。
母からの愛を受ける事無く育ってきたにも関わらず、渓から貰った言葉の全てに愛が込められているのを素直に感じ取って、胸の奥がじんわりと温もってむず痒い。

人が生まれる事に大した意味はないと思っていた。意味を持つのは生まれた後だと信じて疑わなかった。けれど、渓の言葉は俺の生まれた事実を肯定している。俺という人間が生まれて来た事も、生まれた後の未来も、渓は嘘偽りなく丸ごと愛してくれているのだ。純粋すぎる真っ直ぐな気持ちで。

「…帰ろう渓、一緒に」

俺の手の中に閉じ込めた、いつか手放さなければいけない、愛しい温もり。でも今日だけはどうしても手放したくはなかった。風魔であることも、曇が敵であることも理解しているが、今だけは彼女に満たされていたかった。

手を繋いだまま階段を上る。いつもなら天火の前だと恥ずかしがる渓も、今日は素直に手を握り返した。そして無邪気に笑って俺を見上げる。

「―――うん!」

嬉しそうに頷いて、渓は隣を歩く。やけに嬉しそうなその顔に、俺も自然と笑みが零れた。

足りなかった感情も、欲しかった言葉も、渓はいつも際限なく俺に与える。それが愛おしくて、もどかしくて、苦しい。ただ、今は素直にその想いを飲み込むことにした。もしかすると、これが一緒に祝える最後の俺の誕生日になるかもしれない。いつかお互いがお互いを失って、遠い未来で不意に今日を思い出した時、笑っていたかったから。

手のひらから伝わる温もりを忘れないように確かめながら、生まれて来た甲斐があったとそっと心で呟いた。



愛の台詞
(好きだと伝えられるよりも、ずっと心に響くもの)

2016.04.01

HAPPY BIRTHDAY SHIRASU!!!

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