なんとなく、隣にいた。
だからなんとなく、一緒になった。

だけどなんとなく、嫌いになった。

「嫌だ」

別れる、とそう言った私を、天火は引き止める。一方的なさよならに、少し怒ってもいる。

「理由もなくさよならなんて、それはないんじゃねえの?」

だったら理由を教えよう。なんとなく、嫌いになった。そう答えれば、彼の眉間に刻まれた皺はより一層深くなる。

「理由になってない」

不機嫌な顔もそのままに、感情を剥き出しにして天火は言う。これ以上の理由が果たして存在するのかどうか、私には分からない。天火は私を手放すつもりなど、毛頭ないのだろう。

「俺はお前が好きだ、なのにお前は俺を嫌いになった。納得出来るわけねえだろ」

貴方は優しい。とても大らかで温かい、陽だまりのような温もりをくれる。その居心地のよさが好きだと思ったことがあるけれど、そもそも私は天火を好きだと言った事はない。なんとなく隣にいて、なんとなく一緒になって、なんとなく恋人の真似事を続けてきた。その居心地のよさが好きだったから。私がそう言えば、貴方はひどく傷ついた顔をする。

嫌いだから、そんな顔を見たって「傷付けた」なんて思わないけれど、笑った顔の方が天火には良く似合うわよ。

「なら此処に居ろ」

身勝手ね。貴方はいつもそう言って私を振り回す。それはそれで、楽しかったけれど。

「お前が居なくて笑えるわけないだろ」

大丈夫よ、と優しく言って私は笑う。天火の傍には可愛い弟達と、頼りになる居候が居る。そして彼を慕ってくれる滋賀の人々がいる。私一人居なくなったところで、何も変わりはしない。いつもの日常の中から私が居なくなるだけだ。最初こそ寂しいだろうけれど、時間は寂しさを埋めてくれる。だから何も怖くはない。きっとすぐに私を忘れて、素敵な人と出会うはずだ。

「ふざけんな」

ふざけてなんか居ない。私はいたって真面目だ。

「渓、」

伸ばされた腕を払う。その優しい腕で、何度抱かれたことだろう。何度守ってもらったことだろう。もう一度笑顔を向けて、さようなら。そう言えば、天火は俯いて伸ばした腕をおさめて、きつくきつく、拳をを握った。

私は立ち上がって部屋を出る。外は曇天、厚い雲に覆われたままで、太陽はかくれんぼ。

曇家を出て、私は真っ直ぐに階段を下りる。たったの一度も、振り返りはしなかった。からからと下駄のなる音がやけにうるさくて耳障りだな、と思ったけれど、それはいつになく世界が静かなせいだ。なんだか光を失ったような世界だ。

階段を下りきると、見慣れた白髪の男が立っていた。そして私の顔を見て顔をしかめる。そんな彼に一度深く頭を下げてから、何も言わずにその隣を通り抜けようとした。

「本当にいいのか」

話すつもりもなかった白髪の男が、私にそう告げる。答えることなく、曇の敷地の出口を目指して私は歩く。からからと、下駄が鳴る。白髪の男が、わざとらしく深く溜め息を吐きながら、立ち去ろうとする私の背中を振り返った。

「そんな顔をするくらいなら云えば良かっただろ、病気だって」

その言葉に、びくり、と肩が震えた。誰にも話していないのに、どうして彼は知っているんだろう。

「先生から余命宣告も受けたみたいだな。あと一年か」

先生が言ったのか、この聡い居候が勝手に突き止めたのかは知らない。けれど、せめて、どうか天火には言わないで。その想いを込めて振り返る。目の前の男は渋い顔をして息を吐いた。

「天火は、云えば分かってくれる事、よく知ってるだろ」

知ってるよ、知っているから、言えないんだ。
一つ小さな風が吹いて、濡れた頬を冷やしていく。溢れんばかりに零れるそれは、風一つじゃ渇きはしない。


なんとなく、隣にいた。
だからなんとなく、一緒になった。

そしたら悔しいくらい、好きになった。


不治の病を煩っていながらその想いを告げてしまえば、私が後戻り出来なくなってしまう。だからずっと言わなかった、言えなかった。そうして、嫌いになることにした。こっ酷く捨ててしまえば、天火だってすぐに私の事など忘れて幸せになるだろう。これ以上、私のせいで悲しい顔をさせたくはない。

「お前が傍に居ない事の方が、あいつにとっては苦痛だと思うけど」

そんなことないわ。唇が自然を声を紡ぐ。声は震えていた。

「今更一人になってどうするつもりだ。死に場所でも探しに行くのか?」

考えてもいなかったけれど、それもいいかもしれない。一人静かに、孤独に朽ち果てる。天火を傷付けたのだから、これくらいの罪は負ってもいい。

「…お前も天火と同じ、呆れるくらいに馬鹿だな」

そう言って男は、私に背を向けた。白髪を揺らしながら石畳の階段を上る。それを見て、私も彼に背を向けて歩き出す。何とでも言えばいい、どうせこの体は、この脆い命を飾るだけの衣だ。命が尽きれば枯れて土に還る。病に冒されて僅かな命を苦しみながら生きるくらいなら、人知れず朽ち果ててしまう方がきっといい。

なのにどうして、頬は乾かないのだろう。天火に対する気持ちを認めてしまったから、なのかもしれない。あんなに優しくて温かい人を、嫌いになんてなれるはずがないでしょう。

ああ、瞼が重い。瞬きをするたび、生ぬるい雫がいちいち頬に纏わりついて、嫌だ。悲しむべきは私じゃない。好きだと言った女に伸ばした腕を払われて、嫌いだと言われた天火の方が、悲しむべきなんだから。

私は進む。曇の家を遠ざける。さよなら、と呟いて瞬きをすれば、また頬が濡れる。これで良かったのだと思いたい、いや、思わなければいけない。優しさの中で素直に甘えられるほど、私は強くはないのだ。

そのとき、バタバタと背後から乱暴な足音が聞こえて思わず振り返った瞬間、力強い温もりに引き寄せられて頭が真っ白になる。居心地のいい馴染んだ匂いに包まれて、驚いて固まってしまった。

「やっぱ無理」

私の肩に顔を埋めて、ぎゅうっと力強く抱きしめたまま、天火はそう言った。腕の中の温もりが優しすぎて痛い。逃れようともがくけれど、天火は離してくれなかった。

「此処に居ろ渓」

それは無理だと首を横に振る。だって私は、貴方を嫌いになったのだから。貴方も私を手放して、諦めるべきなのよ天火。

「だったら何で泣くんだ」

だったらどうして、貴方は泣いていることを知っているの。

「全部知ってたから」

そう言われて、動けなくなる。つられる様に喉も塞がって、それ以上何も言えなくなった。知ってた、と天火はそう言った。どうして、何故、知っていたというのだろう。私は誰にも話していないのに。不意に白髪の男の姿が過ぎったが、次に吐き出された天火の言葉でその姿も頭の中から消えていく。

「最初から全部知ってて好きになったんだ。だけど渓が隠すなら、知らない振りをする方がいいと思った。知られたくないって気持ちが分からないわけじゃねぇからな」

何を言っているのだろうと、そう思った。告げられた内容を上手く理解出来ないくせに、頬が一層濡れるのはなぜだろう。

「だけど、それで離れるってんなら話は別だ」

天火は私から体を離すと、怒った顔で私を見つめて、でもうんと優しい声で言った。

「此処に居ろ」

後悔するわよって言ってやったら、うるさいと言って唇を塞がれた。どうやら私に拒否権などないらしい。本当に身勝手で、そして、愛おしい。

唇が離れて、私は諦めるように笑いながら、初めての愛の言葉を告げてやることにした。


ごめん、愛してる。
(知ってたって言いながら、天火は嬉しそうに笑った)

天火は全部わかってて、それも受け入れた上で、あえて何も言わない人だと思う。

2016.02.12

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