私はここ、曇神社で働かせていただいている。明るくて太陽のような当主、天火さんに、しっかり者の次男、空丸くん。ちょっと変わったところも多いけど、私を姉のように慕ってくれる可愛い三男、宙太郎くん。私はこの曇家のみんなが大好きなのだが、ただ一人、どうしても馴染めない人がいる。
ここの居候で、私の仕事の先輩でもある、金城白子。 私はこの男が、苦手だ。
今日も変わらず朝から神社に行けば、慌しく曇家のみんなが出迎えてくれる。ただ働いているだけの赤の他人の私を、まるで本物の家族のように扱ってくれるから彼らは不思議だ。
「渓姉!おはようっス!」 「おはよう宙太郎くん。今から学校?」 「っス!行ってくるっス!」 「うん、行ってらっしゃい」
空丸くんが作ったのであろう手作りのお弁当を片手に、元気よく階段を下りていく宙太郎くんを見送って、神社の中に入る。するとパタパタと空丸くんが迎えてくれた。
「渓さん、おはようございます」 「おはよう空丸くん。今日も忙しないね」 「そうなんですよ。ったくあの馬鹿兄貴…」 「天火さんがどうかしたの?」 「今日は仕事ないからって、さっさとどっか行きやがったんです」 「え…そうなの?」 「はい。なので俺、ちょっと兄貴探してきます。渓さんはいつも通り適当にやっててください」 「て、適当って…」 「じゃ、お願いします!」
そう言って空丸くんまで元気に出て行ってしまった。当然、取り残された私は愕然とする。あの三兄弟がいなくなったということは、今この神社にいるのは―――
「おはよう、渓さん」 「…オハヨウゴザイマス金城さん」
背後から声をかけられて、ぎこちなく振り返る。そこにはにっこりと爽やかに微笑む、金城白子の姿。そう、今この神社には、私と彼しかいないわけだ。
しかしそれを嘆いていたって仕方がない。なるべく彼の存在を気にせずに、今日のお仕事を終える他ない。
挨拶を終えた私は、金城さんの顔を見ることもなく小部屋に入り、いつも通り小袖と緋袴に着替える。ほうきを片手に神社の周りを掃除する。ぐるりと一周終えた後は、だいたいいつもお昼前。神社には少しずつ参拝客が増えてくる。老人たちも多いので、階段の上り下りのお手伝いや、荷物の上げ下げなどを手伝ってあげると、神社に人が来なくなるのがお昼時をすっかり回った頃。ここでようやく私のお昼休憩だ。
本堂の脇に、お昼を食べる場所があるので、いつもそこで持ってきたおにぎりを食べる。今日はなかなか参拝客も多かったから疲れたなーと思っていると、突然コトっという音が真横から聞こえて、私は驚いてその音の方を向く。すると相変わらずの爽やかな笑顔で、金城さんがお茶とお茶菓子を置いてくれていた。
「お疲れ様」 「あ、アリガトウゴザイマス…」 「今日は随分人が多かったね」 「そ、ソウデスネ」
金城さんは何のためらいもなく私の横に座ると、なぜかにこにこと私の顔を見つめている。最初は無視していたんだけど、居心地が悪くて結局目を合わせてしまった。
「あ、あの」 「ん?」 「そ、そんなに見られると、なんか、食べづらいというか」 「あぁ」
すると金城さんはなぜかクスクスと笑った。
「ごめん、おいしそうだなって思って」 「へ」 「おにぎり」
…この人の思想はもうさっぱり分からない。 金城さん用のお昼はいつも空丸くんが準備してあるのに、どうしてそれを食べずに私のおにぎりを見つめているのだろう。空丸くんが作ったご飯を食べればいいのに、という言葉は飲み込んだが、次に吐き出す言葉が出てこない。一人でためらっていると、突然金城さんの顔が近付いてきた。
「一口ちょうだい」 「え…!?」
近付いてきたかと思ったら、突然私が持っていたおにぎりに、ぱくりと噛み付いた。呆然とその様子を見守っていた私だが、そんな私のことなどお構いなしに、金城さんはおにぎりを噛み砕いて飲み干した。
「うん、おいしい」 「…あ、アリガトウ、ゴザイマス…」
なんとかそれだけ搾り出して、慌てて残りのおにぎりを食べ進める。おにぎりを食べられたことよりも、異常に顔が近かったことに動揺していた。やっぱりこの男、よく分からない。
私がおにぎりをがつがつと食べている間も、相変わらず金城さんはにこにこと私を顔を見つめていて、私がおにぎりを食べ終えた後もそれは変わらなかった。とりあえず何か言った方がいいのかと思って、金城さんをちらりと見ながら両手を合わせる。
「…ゴチソウサマデシタ」 「はい、お粗末様」
これでようやくどこかに行ってくれるのでは、と思っていたのに、金城さんはどこへ行く様子もなく私をにこにこと見つめている。なんだか妙に居心地が悪くて、私から立ち去ろうと思ったら、呼び止められた。
「あぁ、待って渓さん」 「は、はい?」 「ご飯粒ついてる」 「え!?ど、どこに…」
ご飯粒の付いた顔で参拝客に顔を合わすなんてとんでもない。私は慌ててご飯粒を探すが、テンパっていて見当たらない。するとふいに、顔をぺたぺたと触る私の手を金城さんが掴んだかと思うと、突然その綺麗な顔が近付いてきて、私の頬に唇が落とされた。一瞬何が起こったのか分からなくて、放心状態ですぐそこにある金城さんを見上げると、涼しい顔でにっこりと笑っていらっしゃった。
「取れたよ」 「っ」
その言葉に全てを悟った私の顔は、当然急速に熱を持つ。多分顔は真っ赤になっているんであろうけれど、息のかかるほど近くに金城さんの顔があって、もはや目も逸らせない。そんな私の顔を見て、金城さんは相変わらずくすっと上品に笑う。
「可愛いな」 「は!?な、んんん!?」
それだけ言うと、そのまま再び顔を近づけて、今度はあっさりと、私の唇を塞いだ。
完全に固まったまま動けなくなってしまった私から、そっと唇を離した金城さんは、綺麗な紫の目をすっと細めて、悪戯が成功した子どもみたいな顔をして、にやりと笑った。
「ごちそうさま」
それだけ告げると、何事もなかったかのように体を離して、私の分であろうお茶とお茶菓子を置いて、去って行ってしまった。私はしばらく動けないままで、ようやく頭が全てを理解したときには、体中から湯気が噴き出しそうになっていた。
あぁ、やっぱり私は、
この男が、苦手だ。
悪戯な口付け (だってこんなにも翻弄されるんだから)
2015.04.04
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