その日の帰り道、いつものように蓮華を後ろにのせて修兵は自転車を走らせていた。蓮華は明るい声で今日の出来事を話しているが、無理していることくらい修兵にはお見通しだ。

どうしようもなく胸の辺りがもやもやとして、そして苦しかった。もう自分のせいで蓮華を泣かせたくはないという感情と、それでも守らなければいけないという感情が入り混じって、修兵自身もよくわからない。

ただひとつ分かる、あの約束のせいで蓮華は自分に助けを求めないというだけだった。

「でねー…って修、人の話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「絶対うそ、じゃああたしが何話してたか言ってみてよ」
「桃ちゃんの話だろ」
「どんな内容かっつってんの」
「今忘れた」
「さいってー、人の話くらいちゃんと聞けバカ」

少しムッとした様子で蓮華は言った。

「もう、仕方ないからもっかい話すよ。だから桃ちゃんがね「蓮華」

修兵は蓮華の言葉を遮った。

「え、なに?」
「今からお前ン家行く」
「は、何言ってんの?無理だよ」
「つべこべ言うな。行くったら行く」
「な、何しに行くの?用事なんてないでしょ!」
「用ならある」
「な、なにが…」

そこまで言って、修兵は自転車を止めた。振り向けば目元を赤黒く腫らした蓮華と目が合った。蓮華は慌てて俯くが、もはや隠しようなどない。

「…そんな顔して用事ないわけないだろ」
「で、でも」
「どうせ俺が何も言わなかったこの2年間だって続いてて黙ってたんだろ」
「そ、それは…」
「俺だって聞くのずっと我慢してたんだ。でもさすがに今回は我慢できねぇ」

修兵がそこまで言うと、蓮華は黙り込んでしまった。相変わらず俯いた顔を上げようとはしない。修兵が再び自転車を漕ぎ始めると、蓮華が小さな声で呟いた。

「…約束したのに」

町の喧騒に飲まれてしまいそうな声だったが、それは確かに修兵には届いていて、修兵は出来るだけ優しい声で言った。

「ありがとな」
「え?」
「守ってくれて」
「え、何が…」
「お前が約束して我慢すれば、俺が傷つかなくて済むからこの2年間黙ってたんだろ」
「…」

蓮華はまた何も言えなくなって俯いた。修兵は背中越しにその様子を感じ取って、出来るだけ明るく、優しく言った。

「大丈夫だ」
「え?」
「俺が守る」
「…」
「ま、俺が言ったってかっこつかねぇけどな。でもこれだけは約束する、2度とお前のことあんなふうに泣かせない」
「修…」
「だから心配すんな」

修兵がそう言うと、蓮華は額をこつんと修兵の背中に当てた。そしてほんの少しだけ震える右手で修兵の服を握る。何度か深呼吸して小さな唇から零れた声は、今にも泣き出しそうな声だった。

「修」
「ん?」
「…たすけて」
「…あぁ」

今までの明るい蓮華は嘘のようにいなくなって、ただただ救いを求めるか弱い少女だけが修兵の背中に取り残された。背中で泣くのを必死にこらえる蓮華を思うとたまらなく悔しくなって、修兵は少しだけ強くペダルを踏みしめた。




蓮華の家のチャイムを鳴らす。
蓮華は修兵の後ろに隠れるようにして俯きながら立っていた。すると中からすらりとした美しい女性が現れた。赤い口紅が印象的なその女性は、モデルか芸能人といわれても不思議ではないほどの美しさをたたえているのに、まるで覇気のない死んだような表情をしていて、それがなんだか不気味ですらある。

彼女が蓮華の母親で、蓮華を傷つけ続けている張本人である。

「あら…お久しぶりね修兵くん。何か御用?」
「何か御用じゃないっすよ」

しれっとした態度に怒りが一気に込み上げる。思わず怒鳴りつけてしまいそうになるのを必死にこらえて、なるべく落ち着いた様子で修兵が言った。

「一体いつまで蓮華を殴り続けりゃ気が済むンすか」
「いつまでですって?知らないわそんなの、その子が悪いから躾をしただけ」
「躾?こんなに腫れるくらい強く殴りつけるのが躾だっていうんですか?そんなに強く殴らなきゃいけないほどの理由があったんですか?コイツが何したっていうんですか」
「…望まれてもないのに生まれてきた、それだけよ」
「…望まれない命があってたまるかよ」
「君みたいな子どもには分からないのよ、もう帰って頂戴」

蓮華の母親は冷めた様子でそういうと、蓮華を睨みつける。その視線に蓮華の肩がびくりと大きく震えたのを見た母が言った。

「…自分でここにいるって言ったくせによそ様に余計なこと吹き込んでんじゃないわよ」
「ご、ごめんなさ…」
「さっさとこっち来なさい」

そう言って修兵の陰に隠れる蓮華を無理矢理部屋の中に引きずり込もうと伸ばされた母親の手。その手が蓮華を掴むより先に、修兵がその手を掴んで妨げる。修兵の怒りに満ちた瞳とは打って変わって、母親の瞳はすっかり冷め切っていた。

「………蓮華、荷物まとめて来い」
「え…」
「いいから早くしろ」
「でも…」
「いいから!…大丈夫、心配すんなって言ったろ?」

修兵は優しく蓮華に笑いかける。蓮華は自分を見て笑いかける修兵と、まるで汚いゴミを見るような目で自分を睨みつける母親を交互に見て、少し複雑そうに瞳を揺らしながらも意を決したように家の中に駆け込んだ。

「…何のつもり?」

苛立った様子で母親が言う。

「決まってんだろ、しばらく蓮華は預かる」
「他人の家の事情に勝手に入り込まないで頂戴。あの時もそう言ったはずよ」
「勝手なのはアンタだろ、蓮華はアンタのおもちゃじゃねぇ」
「おもちゃにしたつもりはないわ。生まれてきたあの子が悪いの」
「…アンタそれでも母親かよ」
「そうね、今の旦那の子の母親よ。あの子の母になったつもりはないわ」
「…最低だな、アンタ」

修兵は思いっきり蓮華の母親を睨みつける。そんな視線など痛くも痒くもないのか、表情を崩すことなく赤い口紅を塗った唇を動かした。

「じゃあ幸せにすくすく育ってきた修兵くんに私の気持ちが分かる?」
「分かるわけねぇだろ、アンタの気持ちなんて」
「そうね、あの子のせいで他人に疎まれて生きてきた私の気持ちなんて分からないでしょうね」
「…とにかくアンタみたいな人のとこに蓮華は置いておけねぇ、預かるからな」
「…私がどうにもならなくなったら、彼が帰ってくる。そしたらまた泣きながら帰ってくるのよ、あの時と同じように」
「2年前と同じようにはさせない、蓮華は俺が守る」
「ヒーロー気取りね、まあ好きにするといいわ。そうやってかっこつけたって、また君が傷つくだけよ」

母親がそう言ったと同時に、玄関にキャップを被ったままの蓮華がやってきた。怯えたような表情で母親を見上げる。母親はそんな蓮華を一瞥すると、まるで何事もなかったかのように家の中へと消えてゆく。そんな母の背中を見送って、蓮華は少し悩んだようなそぶりを見せるが、ぐっと堪えて家を出た。見上げればよくやったと言わんばかりの笑顔で迎える修兵がいる。蓮華は不安そうな瞳のまま修兵の顔を見上げる。

「修…」
「ん?」
「…今ならまだ、遅くないよ」

それは自分を連れて行くのをやめておけ、という忠告だ。それくらい分かっている修兵は、笑って蓮華のキャップをより深く彼女の頭に押し込んだ。キャップのつばで蓮華の痛々しい蓮華の顔は完全に見えなくなる。

「バーカ、余計な心配すんな」
「でも…」
「ほら、ぐだぐだ言ってねぇで乗れ」

修兵は蓮華の荷物を取り上げて前のカゴに突っ込むと自転車にまたがって蓮華が乗るのを待った。なんだか申し訳ないのと嬉しいのと安心感とが入り混じって、蓮華は少し泣きそうになりながらも笑うと、ありがとうと言って自転車の後ろにちょこんと座る。

蓮華の腕がしっかりと腰に回ったところで、修兵は自転車を走らせた。


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