一角-5
ぴたりと空気が止まり、静寂が公園に響く。吹き抜ける風の音だけが妙に鮮明で、それが不気味だった。隣りにいる蓮華も驚いているらしく、まったくといっていいほど動かなくなってしまった。時間は確かに進んでるはずなのに、ここだけは取り残されちまったみてぇに動かねぇ。

「そ、っか」

静寂を切り裂くにはひどく弱々しい声だったが、それでもなんとか時間は動き出す。ふと見ればすっかり俯いてしまった蓮華がいる。「家族」の失恋に胸を痛めているのだろうか、相変わらずのお人よしだ。

「…それ、いつの話?」
「今日、ついさっき」
「…なら、無理して飲みに来なくてもよかったのに」
「…馬鹿かお前」

こんな状況でも、俺の言いたいことはコイツには伝わらない。鈍感も困ったもんだ。俺の心臓をあっさりとかき乱すのはお前しかいないのに。

ふいに蓮華が顔を上げた。その顔を見て、思わず眉をひそめる。眉間には何かをこらえるようにしわが入っていて、薄っすらと目に溜まった涙、口元だってきゅっとしっかり結われているその顔は、今にも泣き出してしまいそうだ。

「…なんでオメーが泣きそうな顔してんだ」
「だ、だって…」
「泣きたいのはこっちだっつの」
「そう、だよね」
「…だからそんな顔すんなって。テメーが心痛めたところで何にも変わりゃしねぇんだからよ」

そう、何も変わりやしねぇ。
俺のために蓮華が心を痛めたって、結局コイツは手に入らない高嶺の花だ。今俺が好きだと伝えて蓮華が振り向くのなら迷わず好きだと伝えてやるが、そんなことは有り得やしねぇ。かといって惚れた女の未来を俺の独りよがりで潰すわけにもいかない。どう足掻いたって、俺が身を引くのが一番幸せな形なのだ。

「―――なぁ、聞いてくれよ。情けない男の話」
「…うん」

いつもは無駄にやかましい蓮華もすっかりしおらしくなっちまった。こんな顔が見たいわけじゃないのに、俺はこんな顔しかさせられない。本当はいつだって、あの綺麗な笑顔でいて欲しいと思っているのに。

俯いたままの蓮華は、きっと泣くことを堪えている。俺は真っ黒な空を仰いだ。特別な夜は、なぜだか綺麗だ。

「…俺は初めてそいつを見たときから、ずっとそいつに惚れててよ。なんていうか、一目惚れだった」
「…へぇ」
「すらっとした綺麗な女でな、いつも花みてぇに笑うんだ。その笑顔見てるだけで、最初はよかった」

初めて流魂街であった日を思い出す。
男に襲われていた蓮華を偶然見つけて、通りかかったついでに助けてやった。最初は本当に、ただそれだけだった。助けてやった蓮華と目が合った瞬間、俺の心はあっさりと蓮華に鷲づかみにされて、何十年とたった今も、変わらず俺の心から離れない。

笑った顔が花みたいだと思った。泣き顔さえ美しい女がいるんだと思わされた。料理上手だと知ったときに到っては、すぐにでも嫁にしてぇと思った。どうせすぐに飽きるなんて思ってた自分が笑えるくらい、俺はどっぷり蓮華に惚れこんでいた。それは自分でも信じられないくらいに。

「だけど人間―――いや、男ってのは段々と欲が出てくるもんで、次第にそいつを独占したいと思うようになった。誰にでも分け隔てなく見せる笑顔を、俺だけのもんにしたくなった。けどな、そいつと一緒にいた時間があまりにも長すぎて、今更出来上がっちまった関係を俺は壊せなくなってた」

流魂街で生きていくためだったんだろうが、いつだって気が強くてどんなにつらい状況でも泣かずに笑っているような女だった。本当は弱音だって吐きてぇくせに、無理して強がってばかりで人を頼ることもしない。俺は俺で、そんな蓮華に気付いていたはずなのに手を差し出すこともできやしねぇ。そうして月日は流れて、ぶち壊せないほどしっかりした俺たちの関係が出来上がってしまった。

「…そんな人、いたんだ」
「…あぁ、いるよ。今だって、ずっと」

目の前にな。
なんて言葉はぐっと飲み込むことにする。コイツはまだ、今語られている女が自分だということに気付いちゃいねぇ。

「…その女は昔から、口も悪くて喧嘩っ早くて、いつも俺に突っかかってきやがんだ。その上好物は酒ときた。乱暴で気は強いし、もうまるで女じゃねぇ」
「…?」
「毎日俺と木刀振り回してやりあってよ、喧嘩なんて日常茶飯事なんでもんじゃねぇんだ。もう毎日だ毎日、日課だ」

ようやく気付き始めたらしい蓮華の雰囲気がふと変わる。今までは必死に俺の悲しみを受け入れようとしてたのが、次は意味が分からないとでも言いたげだ。やっぱりコイツにはまどろっこしい言い方は届かないらしい。

「…そのくせすぐに怪我ばっかりするし、なのに強がって全然治療しにいかねぇもんだから、体中傷や痣だらけで、綺麗な肌なのに勿体ねぇなっていつも思ってた。でも俺も素直になれねぇから、結局わざと見過ごしちまうんだ。本当はちゃんと治療しに行かせたいけど、今更そんなに優しくなんて出来なくて…毎日、後悔ばっかりだ」

蓮華の視線が真っ直ぐ俺に突き刺さっていることは知っていたが、その視線はこの際無視だ。

「十一番隊の席官だからって無理して強くなろうとするんだぜ、そのじゃじゃ馬女。そんなことしなくても、俺がちゃんと守ってやんのにな。…そんならしくねぇことばっか考えてた」
「…一角、」
「だけどそれでも俺は素直になれねぇし、優しい言葉の一つもかけてやれねぇ。どうせ俺なんて家族みてぇな目でしか見られてねぇだろうって思ってたから、踏み出せないまま気持ちをなあなあにしてた」

口を挟みかけた蓮華の声だって当然無視だ。俺は今ただの酔っ払いだ。意識ははっきりしているくせにそう思い込んで、周囲の声は聞こえていないふりをする。あぁ卑怯なやり方だな、とも思うが、今更どうやって素直に気持ちを伝えられるって言うんだ。

「でも、本当は誰よりも女らしいってこと、俺はちゃんと知ってたつもりだぜ?女物の綺麗な着物とか、そういう小物とか、いつも眩しいくらい、憧れるように見てたからな。着てみたいんだろうな、着たら絶対綺麗だろうな、ってそれ見るたびに思ってたんだがよ、どうにも気恥ずかしくて贈りもんも出来ねぇんだ。ほんとに情けねえって自分でも思うぜ」

一呼吸だけ置いて、続けた。

「…そんなある日だ。突然、仕草とか見た目とか、急に女らしくなりやがってよ。冗談じゃねぇと思った。好きな男でも出来たのかと思って、この上なく焦った」
「…ねぇ、一角、」
「まぁ、自分の気持ちに正直になれなくて何も言い出せない俺が悪いんだけどな。それで今日、思い切って聞いてみたら、案の定好きな男がいるらしくてな」
「…」
「そのときにいろいろ開き直っちまって、惚れた女の目の前でやけ酒だ。情けねぇ話だろ?」

さすがの蓮華ももう気付いてるだろう。空に向けていた視線をようやく蓮華に向けてやれば、信じられないとでもいうような顔で俺を見て固まってやがる。

「…今日はそいつにちゃんと好きだって言うつもりで来たんが、言う前にふられちまったんじゃどうしようもねぇ」
「いっ、かく」
「しかも俺が失恋したって言ったら、俺の代わりに泣きそうな顔しやがって、逆にこっちが慰めなきゃいけねぇ状況だ」

すぐ傍にある頬にそっと触れてみる。抵抗はなかった。とうとう我慢が限界に達したのであろう、次々に溢れ出る涙が蓮華の白い頬を濡らしていく。泣き顔なんていつぶりに見たのかも分からないが、その泣き顔が昔と同じ――いや、それ以上にずっと綺麗で、自然と笑みがこぼれた。


「―――ほら、泣いちまった」


今目の前にある泣き顔を見ているのは俺だけだという優越感。頭上の星空よりも美しいもんに思えるのは惚れた弱みだろうか。いつか他の誰かの手に渡っちまうのなら、せめてこの瞬間だけは俺だけのものにしておいたっていいだろう。二度とこの風景を忘れないように、俺は蓮華の泣き顔をしっかりと脳裏に焼き付ける。

「…冗談、でしょ?」
「…だと思うよな、普通は」

溢れ出る涙を指先でそっと拭ってやる。受け入れることも信じることも出来ないらしい蓮華は、これが夢の中の出来事だとでも思っているのだろうか。叶わない恋がこんなにもつらいんなら、最初から胸の奥のこの気持ちに気付かなければよかった、なんて、思ったって今更だけどな。

「それが冗談じゃねぇんだよな、困ったことに」
「だって、そんなの、」
「本来ならもっとこう、格好よく決めて無惨にふられるはずだったんだけどよ、結局こんな情けなくて回りくどい言い方になっちまった」
「…一角、あの、あのね、」

必死に言葉を探す蓮華からの返事は、きっと俺の心臓を思いっきり抉るんだろう。そうして抉られた心はきっと、ちょっとやそっとじゃ元には戻らない。いや、下手すりゃ一生戻らないのかもしれねぇ。だったら初めから聞かないほうがいい。聞いてしまったら、分かりきっていた最悪の結末がより現実味を帯びて俺を飲み込むだけだ。

「悪かったな、困らせちまって」
「ちが…違うの…」

俺は「家族」なんだろ。明日が来れば、またいつものようにぎゃーぎゃーと騒がしい日常がどうせ待ってる。だから、余計な気を遣わせるのはごめんだった。

「惚れた女の恋路だ、応援するぜ」

蓮華は泣いてるせいか、固まったまま声も出なくなっちまった。応援する、そう言ったのだから、俺はもう諦めきれなくたって諦めなければならない。

「…酔いも醒めちまった。帰るか」

蓮華の頬からそっと手を離した途端、襲い来る虚無感。俺といないコイツの幸せなんて望めるわけもねぇが、せめて口だけでも幸せは願ってやろう。そう思って立ち上がる。これで、これで俺の長かった恋も終わ―――


「待って!」


突然大声を上げた蓮華は、立ち上がった俺の手を握る。縋るように握られた蓮華の手はなんだかひどく小さくて、わずかに震えている。一体どうしたってんだ。

「…蓮華?」
「…勝手に勘違いして、勝手に気持ち押し付けて、勝手に行こうとしないでよ…」

懸命に気持ちを伝えようとしているのであろうその声は弱々しくて、なんとか搾り出したような声だった。そして俺の耳に飛び込んできたのは、予想もしていなかった言葉だった。

「…好きなの」
「…え?」
「一角のことが、好きなの」

それだけ言うと、耐えかねたように蓮華は肩を震わせて泣き出してしまった。今度は俺が信じられないというような顔で固まる番だ。

蓮華が、俺を、好き?

足りない脳みそで何度も自分に言い聞かせる。嘘だろ、まさか、そんな、なんて一人で思っていると、蓮華が一言付け足した。


「だから、あたしのこと、好きなままでいて」


そう言われた瞬間、考えることを放棄した俺の体は勝手に動いていて、気付いたときには蓮華を抱きしめていた。まだ信じられなくて、これは夢かと思ったが、すっぽりと腕の中に納まる蓮華と俺の距離は当然ゼロで、確かな体温が伝わる。蓮華の肩に顔をうずめれば、確かに蓮華の存在を感じた。

これは、夢じゃない。

「…嘘じゃ、ねぇよな?」
「そんな器用な嘘、つけるわけ、ないでしょ」
「…そうだな」

ここで嘘をつけるような器用な女だったら、きっとこんなに惚れちゃいねぇ。それがおかしくて蓮華の肩の上で小さく笑うと、さっきまでのドス黒い感情が嘘のように消えていく。残ったのは蓮華が離れていかないという安心感と、手に入れたという幸福感。

そこまでをようやく理解して、俺は顔を上げて蓮華を見つめた。真っ直ぐに俺を見返している目の前の女は、俺よりずっと根性が座ってやがる。

今になってやっと言えるなんてやっぱり情けない話だが、ちゃんと伝えてやらなきゃならねぇ。

「お前にだけ言わすってのも、格好がつかねぇからな」
「え?」
「蓮華、」

一呼吸置いて、俺は今日一番伝えてやりたかった言葉をようやく言うことが出来た。


「好きだ」


そう言った途端に、蓮華はさっきまでとは比べ物にならないほどにぼろぼろと泣き出した。きっと俺と同じ、安心感と幸福感で満たされてるんだろうと思うと、ついつい顔がにやける。

「泣くなよ」
「っ、だって、嬉し…んだもん、」

その一言で消え去ったはずの黒い感情が舞い戻る。だめだ、今すぐにだって連れて帰りたくなっちまう。そんなやましい気持ちを必死に押さえ込んで、なんとか言葉を吐き出した。

「…んな可愛いこと言ってんじゃねぇぞ馬鹿」
「一角のが、馬鹿だもん、」
「…あぁそうだな、惚れた女を二度も泣かせちまうような馬鹿野郎だ」

いつもの憎まれ口なのに、今までにない愛情みてぇなもんを感じちまって、言い返す気にもならない。男気もなくて、そのせいで蓮華を振り回した馬鹿は間違いなく俺だ。甘んじて受け入れることにする。

「なぁ蓮華」

受け入れる代わりに、男の欲望だって受け入れてもらいたい。

「…なに?」
「キス、していいか」

柔らかな唇に触れてそういえば、顔を赤らめた蓮華がコクンと頷いた。恥ずかしくて俯いちまったのだろうが、そんな些細なことさえ愛おしくてたまらねぇ。

俯いた顔を持ち上げて間髪いれずに唇を塞げば、蓮華は静かにその行為に応じる。手に入らないと思っていたものがようやく手に入った喜びを噛み締めながら、俺は何度もそれを繰り返す。

俺の死覇装をぎゅっと握り締めるこの手を、これから先、何があっても離さないと誓った。



あまのじゃくな俺。
(ずっと傍にいたい。)



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