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狂い始めた運命の輪は
止まることなく
残酷に時を刻んで進む



 ● ●



「お姉ちゃん!!しっかりして!!お姉ちゃん!!!」

私は狂ったようにお姉ちゃんを揺り動かした。お姉ちゃんはぐったりと、目を閉じたまま動かない。

「やだ…お姉ちゃん!!お姉ちゃんってば!!!」

必死になって揺り動かすけれど、お姉ちゃんは目を覚まさない。不気味な虚は、私に向かってゆらゆらと歩いてくる。私の中で、何かが弾け飛んだ。

「お前…!」

私は泣きながら立ち上がると、斬魄刀を抜いた。もう怒りしか込み上げて来なかった。私が飛びかかろうとすると、そんな私の足にお姉ちゃんがしがみついた。お姉ちゃんを見て、私は、息を飲んだ。

お姉ちゃんの顔がゆるゆると、アイツみたいに歪んでいくのだ。

目元は黒い渦を巻き始めて、肌はだんだんと白くなっていく。私は再び腰が抜け、その場に倒れこむように座ってしまった。目の前でゆらりと立ち上がったお姉ちゃんは、まるで別人だ。

『…蓮華…』

お姉ちゃんが私を呼ぶ。だけど私は、答えることが出来ない。お姉ちゃんが血を吐いた。だけどその血は、少し紫みを帯びていた。お姉ちゃんは、アイツと同じ生き物になろうとしているのだ。

お姉ちゃんがその血を見つめて、ふっと笑う。今起こってる自分の状況を理解したらしい。そしてそっと私の目線を移す。目の前にいるのはお姉ちゃんなのに、分かっているのに、私の肩は反射的にビクッと震えてしまった。申し訳なさそうに、お姉ちゃんが笑った。

『…ゴメンネ、蓮華』

そしてアイツを見据える。アシツは嬉しそうに、お姉ちゃんを見て、笑った。

『ケヒ…トモダチ……トモダチ…』

今までで一番、嬉しそうな顔だった。まるで人間みたいな、笑顔だった。お姉ちゃんの顔が痛ましそうに歪む。

『トモダチが…欲しカッタんダネ』

お姉ちゃんはそっと、斬魄刀に手をかける。

『ダケドネ、蓮華を傷ツケたオマエのトモダチにハ、ナレないヨ』

ごめんね、そう呟いて、お姉ちゃんは斬魄刀を解放する。

『揺れ踊れ、黒煙蝶々』

お姉ちゃんが言うと、アイツは黒い蝶々に囲まれた。そしてそれに触れたアイツの体は、煙になっていく。お姉ちゃんはじっとアイツを見つめたまま、動かない。アイツはお姉ちゃんをじっと見つめる、するとお姉ちゃんはふっと笑った。


『さよなら』


お姉ちゃんがそう言うと、虚であったものは最後に、寂しそうに笑って、自ら蝶に触れて煙になっていった。それを見届けると、お姉ちゃんはそっと刀を鞘に戻して、ぎこちなく私を見る。

「…お、ねえちゃん、」
『…蓮華』

少しずつ少しずつ、姉であったそれの原型をなくしていく、お姉ちゃん。私はふるふると首を横に振る。行かないで、もう止まって、懸命に心の中で祈った。けれどお姉ちゃんの変形は止まらない。そしてお姉ちゃんは、ポツリと呟いた。


『 逃 ゲ て 』


お姉ちゃんは私にそう言うと、白い腕を私に向かって振り下ろした。思わずそれを避けて、お姉ちゃんをじっと見る。私にはそれしか出来なかった。お姉ちゃんはゆらゆらと、私を見つめている。

「お、おねえ、ちゃん…?」
『早ク、逃、ゲ、テ、』

お姉ちゃんが必死に自らを制しているのが分かる。私は、動けなかった。お姉ちゃんは私を庇ってこんな姿になった。なのに私を逃がそうと、今必死に自分と戦っている。

『 ハ、ヤ、ク 』

お姉ちゃんの腕が、私に伸びる。今、懸命に自分を御して私を守ろうとしているお姉ちゃん。今すぐに逃げれば、きっと私は助かるんだろう。

でも、だけど、



「………無理だよ」



私はポツリと呟いた。お姉ちゃんの、まだ正気を保っている目が見開かれる。

「私を守ってそんな風になっちゃったのに…お姉ちゃんのこと置いて逃げれないよ……」
『蓮華、オ願イ、ハヤ、ク』
「お姉ちゃん…」

私はぼろぼろと溢れる涙を拭うこともせず、大好きな姉を見上げた。

「一緒に帰りたいよ…!」

私がそう言った瞬間、お姉ちゃんの腕が私の首元に伸びた。その瞬間、頭上からボロボロの修兵が私たちの間に下りてきた。私の首元に伸ばされたお姉ちゃんの腕を、乱暴に跳ね除ける。

「…修兵…」
「…間に合わなかったか」

苦虫を噛み潰したような修兵の顔。そしてお姉ちゃんに向かって飛び掛ると、お姉ちゃんの体を無理矢理抱きしめて押さえつける。暴れだすお姉ちゃんの口の中に、修兵はその辺に落ちている適当な木の枝を突っ込んだのだ。無理矢理それを喉に差し込む修兵。するとお姉ちゃんは苦しそうにもがき始めた。見ているのもつらいほどに、声をあげ、苦しんでいる。

「修兵!?何してるの!?お姉ちゃん、苦しそうじゃんか!やめてよ!!」
「っ、いいから…黙ってみてろよ…!」

するとお姉ちゃんはえずき始めて、そしてオエっと言いながら、あの紫の液体を吐き出した。修兵はその液体に触れてしまわないように、何度もそれを繰り返す。その異常な光景に、私はもう何も言えなくなってしまった。

お姉ちゃんが液体を吐き出す度に、歪んでいたお姉ちゃんの姿が元に戻っていく。どうやらお姉ちゃんは全部の液体を吐き出したようで、ぐったりとしたまま修兵の腕に抱かれていた。僅かに呻き声が上がっているので、かろうじて意識はあるらしかった。

そんなお姉ちゃんの口に修兵は薬のようなものを含ませて、無理矢理飲み込ませた。すると漏れていた呻き声がゆっくりと途絶えていき、お姉ちゃんは修兵にもたれかかったまま動かなくなってしまった。修兵は意識を失ったお姉ちゃんを抱えると、空いたもう片方の腕で私を抱き上げた。

「っ、しゅ、修兵?」
「急いで帰るぞ。…このままじゃ紅が死んじまう」
「…え?」

修兵はそれだけ言うと、瞬歩で四番隊に向かった。頭の追いつかない私は、ただただ修兵とお姉ちゃんを見比べることしか出来なかった。












「……卯ノ花隊長!」

お姉ちゃんを四番隊に送ると、すぐに卯ノ花隊長がお姉ちゃんを診てくれた。その間、修兵の怪我や私の検査などを他の席官の人たちが受け持ってくれたので、あまり長い時間待ったようには思わなかった。私の傷はお姉ちゃんが治してくれたので特に問題なし、修兵も大きな外傷は見当たらなかったらしい。けれど、ずっとお姉ちゃんのことが気がかりだったので、私も修兵も、生きた心地がまるでしなかった。

お姉ちゃんを診ていた卯ノ花隊長が、私たちの待っていた部屋に入ってくると、私は思わず卯ノ花隊長にしがみついた。

「卯ノ花隊長…お姉ちゃんは…お姉ちゃんは…!」
「大丈夫ですよ」

卯ノ花隊長は、そっと私の手を解いて、安心させるかのように私の肩に手を置いた。そしてゆっくりと言葉を紡いでいく。

「…幸い、命は取り留めました。未完成ではありましたが、あの薬が効いたようです。虚の毒を、ある程度吐き出していたのも命を繋いだ理由でしょう」
「そうですか…」
「あの…卯ノ花隊長…虚の毒って…?」

話に着いていけない私は、卯ノ花隊長に聞いた。私は虚の毒がどうのだなんて話、一言も聞いていない。その問いには修兵が答えてくれた。

「…あの時、お前を先に報告に行かせて帰らせた後、俺と紅はあの虚に接触してたんだよ」
「え!?」

思いも寄らなかった事実に、私は声を荒げた。

「あまりにも異例な虚だったから、俺たちは不用意に接触するのを諦めたんだ。そして十二番隊に協力を要請した。十二番隊の協力を得た結果、あの紫の液体は『生物にしかきかない毒』だってことが分かったんだよ。その生物を自分と同じ仲間にするための、な」

私が勝手な行動をするまでに、そんなことまで分かっていたなんて。

「毒の進行は極めて早いため、まだ原型を止めているうちに全部吐き出させないと元に戻すことは出来ない、ってことまでは分かった。そしてそれを防ぐための薬を作るには、最低一晩はかかるって言われたんだ。それを持って明日の朝、早いうちに改めて出向こうって形になってたんだが…」

そこで修兵は言葉を切る。そう、一晩を待たないうちに、私が勝手な行動を起こしたせいで、こんなことになってしまった。私は悔しくて唇を噛んだ。

「…薬はつい先程完成したものが出来上がったようでしたので、念のため、紅にはその薬を投与してあります」

卯ノ花隊長は、そっと告げた。そのまま卯ノ花隊長は続ける。

「しかし、微量ではありますが毒が完全に体に溶け込んでしまっています。こればかりはどうしようもありません」
「そんな…!」

私は卯ノ花隊長を見た。

「じゃあ、じゃあお姉ちゃんはどうなっちゃうんですか…!」

今にも泣きそうな私を見て、卯ノ花隊長はやんわりと微笑んで言った。

「蓮華さん、紅は死んでいません。ちゃんと生きていますし、今後も生きられますよ」
「ほんと…?」

私は一瞬ほっとしたが、卯ノ花隊長は表情を曇らせる。

「…ですが、その毒が今後、紅を蝕んでいくことは間違いありません」
「どういうことですか?」

修兵が聞く。

「蓮華さんの話によれば、毒は紅の胸から進入している。つまり、真っ先に毒に侵されたのは胸―――そう、心臓」
「…心臓に、何か異常が?」

珍しく修兵の声が震えていた。私も、体が震えている。

「心臓に異常な黒い影が見られます。間違いなく毒に侵された影響でしょう。詳しい検査をするには十二番隊に連れて行くべきなのでしょうが…そうなれば彼女の命の保証は出来ません」
「…」
「十二番隊はあの虚に非常に興味を持っていました。今、紅を連れて行けば、ただの実験材料にしかならないことは明白。完全に治したいと一か八かに賭けるのなら、十二番隊に連れて行く方がいいかもしれません。はっきり申し上げれば、ここで治療し続けるのは、ただの延命措置にしかならないし、正直、どれくらいもつかも分からない」

お姉ちゃんは生きていて無事なはずなのに、どうして死んだと言われたみたいな気分になっているのか分からなかった。呆然と卯ノ花隊長を見つめることしか出来ない私の肩をそっと修兵が抱いた。口を開いたのは修兵だった。

「…紅はしばらく、目を覚ましませんか?」
「そうですね、まだ目を離せない状態ではあるので、しばらくは目を覚まさないでしょう」
「そうですか…分かりました。じゃあ紅のこと、よろしくお願いします」

修兵は深々と頭を下げる。そして私の肩を抱いて、四番隊を出ようとする。私はお姉ちゃんの側にいたくて力づくでここに残ろうとするけれど、修兵に力で勝てるわけがない。修兵は私の肩を抱いたまま、卯ノ花隊長を振り返る。

「…卯ノ花隊長」
「なんでしょう?」
「もし紅が目を覚ましたら、真っ先にコイツに報告してやって下さい」
「…分かりました。それではそちらはお任せします」
「はい…失礼します」

私は修兵に連れられ四番隊を出た瞬間、人形のように大人しくなった。いろんなことがいっぺんに起こりすぎて、幼稚な頭じゃ追いつかない。修兵はそんな私の肩を抱きながら、なにを言うでもなくゆっくりと歩いていた。

自室につくと、私はへなへなと座り込んだ。修兵は温かいお茶を準備している。

「…腹、減ってないか?」

今日はまともにご飯も食べてなかったからお腹は空いていたけど、食べる気分になんてならない。私は首を横に振る。修兵はそんな私に微笑みかけると、そっと温かいお茶を差し出した。

「腹減ったら言えよ、ちゃんとお前の分あるからな」

そう言ってくしゃくしゃと私の頭を撫でた。そして修兵は布団を敷く。私は目の前に差し出されたお茶をぼんやりと見つめる。いつものお茶じゃない、甘い匂いがした。惹きつけられるように、私はそのお茶に手を伸ばし、こくりと一口飲んだ。甘くておいしいお茶だった。全身から力が抜けて、ほっとしていくような気がした。そのお茶はそんなに熱すぎなかったので、こくこくと飲み進めることが出来た。飲み干すと、途端に眠気に襲われる。

「しゅうへー…」

眠くなった私は修兵を呼んだ。修兵はそんな私をそっと抱きかかえると、布団に寝かせた。

「…お茶、効いたみたいだな」

修兵は私の頭を撫でながら言う。

「…おちゃ?」
「卯ノ花隊長にもらったんだよ、安眠薬。精神安定の効果もあるから、お茶にでも混ぜて蓮華に飲ませてやってくれってな」

確かに、ふわふわと気持ちいい。張り詰めていた緊張の糸が、一気に解かれていった気分だ。このまま素直に眠りにつこうと、いつも隣で眠るお姉ちゃんを求めて腕を伸ばす。

でも、お姉ちゃんは今、いない。

お姉ちゃんに抱きしめられながら眠っていた私にとって、それは異常なまでに寂しさを募らせた。不安になりながら、それでもお姉ちゃんを探す。眠気が支配していた上に、薬でふわふわしていたせいもあったのかもしれない。

「おねーちゃん…おねーちゃん……」

そんな私を見ていられなかったのか、修兵が布団に潜り込んできた。そして私をぎゅっと抱きしめる。

「…紅じゃなくて悪いけど、今日は俺で我慢してくれ」
「おねーちゃん…ねぇ、おねーちゃんは…?」
「…お姉ちゃんはな、今ちょっと出かけてる。すぐに帰ってくるから、今日はもう寝てろ」

修兵はそう言って、私を抱きしめながら背中をぽんぽんと優しく叩く。それが心地良くて、私はゆるゆると瞼を閉じた。涙が溢れているのは知っていたけど、もうその涙を拭う気力も残っていない。

「おね…ちゃん…」



私は最後の最後まで姉を求めながら、深い眠りの闇に沈んで行った。
(この日、三人で笑う幸せな夢をみていたことを、私は一生忘れない)


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