テキスト | ナノ

 黒子がちょうど目にかかるくらい伸びた前髪を、鬱陶しそうに除けていると、それを見ていた黄瀬が「黒子っちの前髪、オレが切ってもいいっスか?」と言い出した。
 同級の高校生に髪を切られた経験なんていままでにないから、黒子は戸惑った。突然の提案にどう答えるものかと悩みながら、眉を下げて黄瀬を見上げる。
「オレ、人の髪切るの慣れてるんスよ。よく姉ちゃんたちにやらされるんっス。器用なあんたなら美容師の真似だって見てできるでしょって。そのくせ失敗したらオレの頭を坊主にしてやるとか言うんっスよ」
 ほんとひどいっスよね、と黄瀬が苦笑いする。黒子もそれは気の毒なように思った。
 ふと前髪の隙間から、黄瀬の瞳が見えた。蜂蜜色に彩られた奥のほうに、銀色の小さい光がてんてんと散らばってきらきら輝く。太陽に反射して、海が波打っているみたいだ。
 なんて綺麗。そう思って、黒子は吸い込まれるように黄瀬の瞳のなかを凝視する。目が合うと、黄瀬がゆるく笑う。
「オレ、黒子っちの目、好きなんっス。太陽に透かしたビー玉がきらきらしてるみたいで。だからオレの手で、黒子っちの目をちゃんと見えるようにしたい。……ちゃんと、オレに見せて」
 彼の熱くて真っ直ぐな目を見ていると、自分のすべてを委ねてしまいたくなった。べつに髪型に凝っているのではないし、黄瀬の期待を裏切るようなこともしたくない。黒子は答える。
「黄瀬くんの手間にならなければ、お願いします。でも、もし失敗したら坊主ですよ?」
「あははっ、挑むところっス」
 黄瀬の声が弾むのにつられるように黒子の前髪が揺れた。ひらけた視界の先にはきっと、もっと蜂蜜色の海をきらきらさせた黄瀬の瞳がよく見えることだろう。


2016.07.02(海原の見える向こうまで)