テキスト | ナノ

 夜に近づいた夕方の街を、緑間と黒子が歩いていると、黄瀬にばったり出くわした。
 今日は土曜日で、ふたりとも仕事が休みだった。同棲している部屋で洗濯や掃除などして、あとは静かに本でも読みながら一日中のんびり過ごしたら、そのうちに夜ご飯を自分たちで用意するのもいまさら面倒な気がして、こうやって出かけてきたのだ。
「よかったらいっしょに飯食って行かねえっスか」
 どうやら仕事帰りらしい黄瀬が、あっさり提案する。
 もともと外食する目的で来たわけだし、黄瀬に会うのもいつぶりかのことだ。緑間のほうをちらっとうかがえば、彼は唇をむっとゆがめていた。誘いが気に入らなかったのではない、むしろ逆だ。誘われたことがうれしいのだ、きっと。でも素直に言えない。そういうところが緑間らしくて、黒子は愛おしく思いながら答えた。
「はい、黄瀬くんがよければぜひ。いいですよね、緑間くん?」
「ふん、しかたがないのだよ」
「そうこなくっちゃ!」
 楽しそうに声を弾ませた黄瀬はパチンッと上手く指を鳴らしてみせた。

 店を決めたのは黄瀬だった。最近見つけたいい店だとかで。なるほど、なかはきらきらしていて、それが嫌味じゃなく明るく洒落た雰囲気だ。四人がけのテーブル席に、緑間と黒子が隣り合って座り、黒子の正面に黄瀬が座った。
 さっそくメニューをひらくと、カタカナばかりがずらりと並んでいる。しっかり見てみればどれもパスタの名前であるらしいことがわかった。いっしょにメニューをしげしげ眺める緑間も、難解な外国語を読むように眼鏡の奥で瞳を細めていた。
 料理は、湯気と匂いをほくほく立たせながら、すぐに運ばれてきた。黒子は右手にフォークを持ってパスタをくるくる巻きつける。取る量が多かったのか、すこしいびつな形になってしまった。
 正面に座る黄瀬は、慣れたようにフォークを使って、きれいにパスタを食べる。緑間は左手につかんだフォークを、真剣な顔をしてパスタにからめていた。
「あいかわらずっスね、緑間っちのそれ」
 ふふっと笑って黄瀬が言う。
「何のことなのだよ」
「左手の、テーピングのことっスよ」
「ああ……」
 緑間の左指には、いつもテーピングが施されてある。中学、高校の、バスケをしていた名残だった。この指の精密な技術から、誰をも驚かせるスリーポイントシュートが生まれた。ゴールへ向けて長距離から放たれたボールは、コート上にどこまでも空へ近づくように高弾道の美しい弧を描き、シュルッと軽快な音を奏でてネットを潜り抜けた。それはもう芸術だった。その光景が、黒子の脳裡にはいまでもはっきり思い出される。
「ほんと機械みたいで、最初はなんであんなんがぽこぽこ入るんだって意味わかんなかったっスけど」
「おいっ」
「でもやっぱ何回見てもすごいっスよ、あのシュートは。ね、黒子っち?」
 黄瀬がにこやかに問いかけてくる。黒子はさっきより上手く巻けたパスタを口に運びかけ、止めた。そして緑間のほうを見て、はっきり言った。
「はい、緑間くんのシュートは特別です」
 緑間は眼鏡を押しあげながら、ふんっと素っ気なく鼻を鳴らした。それに、黄瀬と黒子は目を合わせて笑った。ともすれば黄瀬がとつぜん、ああ、と小さく叫ぶ。
「バスケの話してたら本当にバスケしたくなってきた! ね、ね、今度またみんなに声かけてひさしぶりに集まらないっスか?」
「いいですね、ボクもしたいです、バスケ」
「ねっ、決まり! とりあえず……三人は参加決定だから」
「おい、三人というのは誰のことなのだよ」
「何言ってんスか。オレと黒子っちと、緑間っちのことっスよ」
「オレは参加するとは一度も言ってないのだよ!」
「まあまあ、いいじゃないですか。いっしょに行きましょうよ、緑間くん」
 きらきら輝く瞳で黒子に詰め寄られれば、緑間はぐうの音も出なかった。分かりきったことだ。
 黄瀬はニッと笑った。
「じゃあオレ、青峰っちとか火神っちとか、いろんな人に声かけてみるっスね。ふたりには詳細決まったらまた連絡するから」
「はい、お願いします、黄瀬くん」
 楽しみですと呟いた黒子の声は、本当に楽しそうで、またパスタと静かに格闘しはじめた緑間が、微かに笑うことを、誰も気づかなかった。

 黄瀬と別れて、マンション近くまで戻ってきたときには、すっかり夜も更けていた。この辺りは夜になると人通りがなくなり、いまも緑間と黒子のふたりきりで道を歩く。
「黄瀬くん、元気そうでしたね」
 黒子はそっと話しかけた。
「ああ、あいつはオレのことをあいかわらずと言っていたがあいつだってあいかわらずうるさかったのだよ」
「お互いさまということですね」
 黒子はくすくす笑ったあと、黄瀬が緑間にあいかわらずと言った原因をこっそり見た。歩く反動でぶらぶら揺れる緑間の左手の指先に、ぴっちり巻かれたテーピング。黒子はふと、それに触れてみたい衝動に襲われて、緑間にそろそろ問いかけた。
「……手を繋いでも、いいですか?」
 俯いたままだから緑間がどんな表情をしたのかは分からないけれど、隣でたじろぐ気配があった。ふたりの間にすこしの沈黙が落ちる。
 やがて緑間が、んんっ、と咳払いをした。
「……お前の好きにすればいい」
 蚊の鳴くような声だった。
 黒子は、緑間の左手をやんわり握る。彼の指を覆うテープのざらざらする感触を指先で確認するように撫でていると、それでは足りないと語るようにすぐにぎゅっと握り返され、すこし強引に手を引かれた。緑間と黒子の距離がさらに狭まる。
「これで満足か?」
「はい、ありがとうございます」
「……ならいいのだよ」
 それからの会話はとんと出なかった。黒子はそれでもよかった。繋がった手から、緑間の高い体温が伝わってくる。
 黄瀬は緑間の左手のことを、まるで機械みたいだと言っていた。精密すぎるシュートをつぎつぎ生み出す彼を、そう比喩する人間は以前からたくさんいた。でも、だったら、黒子がいま感じる緑間の手の温もりは何であるのだろうか。黒子はよく知っている。彼の左指には温かい血と、バスケに向き合う真摯な心と、揺らぎない努力がひしひし通うことを。

 部屋につくと、ふたりはそのまま寝室へ傾れこんだ。靴を脱いで廊下に上がるときも離れなかった手から溢れゆく情を逃がさないように、指をからめてきつく握り締めたままキスをする。舌を差しこみ、相手の息のひとかけらさえ自分のものにしようと、激しく口づけを繰り返した。
 その間、緑間は黒子の服をひとつずつ剥ぎ取っていった。下着まですべて脱がすと、自分も上のシャツをさっさと脱ぎ棄てる。そしてまた黒子に覆いかぶさり、キスをする。
 そのうちテーピングの残る緑間の左指が、絶え間なく黒子の髪や背中を触りはじめる。わずかな愛撫が、だんだんと快感に変わっていく。
「うしろ、指を入れても平気か?」
 緑間がついに左指のテーピングをほどきながら、聞いた。きれいに整えられた爪が、顔を出す。
「はっ……はい、んんぅ……っ」
 潤滑液をたっぷり垂らした、長く、すこしだけごつごつした男のひとさし指が、黒子の秘孔に侵入する。ちょっと苦しいけれど痛いほどではない。黒子が深呼吸を繰り返すと、秘孔の締めつけがたちまち弱まり、その隙に緑間は中指も入れてしまう。
「んっ、ふぅっ、くうぁ、あっ」
 増す圧迫感に、黒子は、はくはくと息を切った。酸素が上手く飲みこめず、だんだん思考がぼんやりしてくる。愚図になってしまった脳裡で、秘孔に差しこまれた異物のことだけを思う。
 いま自分のなかを掻き乱すのは、あの芸術的なスリーポイントシュートを生む緑間の左指だ。テーピングのしていない、生身の指。あらゆる穢れから、大切に守られた指。それがいま黒子のなかにある。
 そう想像を膨らませていくほど、緑間の指をこれ以上汚してはいけないと思う。けれど「もっと汚したい」とも思った。
 そんな相反するふたつの考えを持つことから感じる後ろめたさに酔っていると、いきなり弱みを擦られた。
「あ、あぁあ……!」
「何を考えているのだよ」
 緑間が耳元に、そっと囁く。黒子が震えながら、首を横に振ると、緑間はさらにきつく責めてきた。いちだんと尻穴をひくりひくりと締めてしまって、もっと緑間の指の存在を感じてしまう。黒子はもう堪らなくなった。
「キミの……」
「何だ、はっきり言え」
「あっ、キミの、指っ、バスケをするための大切な左指が、ボクのなかにあると思うと」
「……ああ」
「ボクは気持ちいです、緑間くんっ」
 快感に震え、わけも分からず言葉ばかりがさきに飛び出す。心は阿呆になったように、気持ちがいいという感覚で支配され、黒子はすこし泣いた。
 緑間の指が、黒子の秘孔から抜ける。ずるずると異物のなくなっていくことに、黒子は身体を震わせた。秘孔は寂しそうにひくついている。
 四肢を脱力させて肩で息する黒子に、緑間が覆いかぶさる。目尻から流れる涙を舌で掬い取られ、また唇にキスされた。涙の染みた舌を、しかし黒子は甘いと感じた。ずっと吸っていたくなる。
 けれど、甘い余韻を引きずって、緑間の唇は離れていく。代わりに、秘孔の縁に熱いものが擦りつけられる。
「……入れるぞ」
 じわり、じわりと黒子のなかに大きなかたまりが押し入ってくる。広げられるところから順に熱が生まれる。黒子は身体がひらかれるごとに、喘ぎを短くした。
「あっ、あっ、んんっ、あ……っ」
「くぅ……っ、はぁっ、黒子、動くぞ」
 それが合図になって、黒子はがくがくと腰を揺さぶられる。腹のなかがパンパンに膨れてすこし苦しい。視界がぶれる。シーツに貼りつけられたみたいに、腕を放り出す。
 その手にふと何かが絡んだ。緑間の左手だった。黒子は、汗と潤滑液と、自分の体液で湿った緑間の指に縋った。手のひらがぴったり重なり合う。
 うしろを激しく突かれ、快感の渦にただただのまれるしかない黒子は、けれどけっして緑間の手を離さなかった。伸ばされる手を、大好きなシュートを生み出す緑間の左指を、彼という人を、ずっと守っていきたい。いつでも、いつまでも。黒子はそう思い、ひっそり目を閉じた。

 眠りにつき、ふたたび黒子が目を覚ましたのは、明け方だった。黒子はすぐに、隣で自分を抱えて寝た温もりが消えていることに気がついた。
 目をきょろきょろ動かして辺りを探っていると、足元で、ベッドがぎしりと軋む音がした。上体を起こせば、緑間の、裸のままの広い背中が黒子のほうを向いていた。一生懸命に手を動かして何かしている。黒子は掛布団を肩にかぶったまま、うしろからその手元をひょっこり覗きこんだ。
「緑間くん」
「……っ! 黒子……っ」
 声をかけると、緑間の肩が跳ね、びくりと身体がこわばる。どうやら左指に元どおりテーピングしている最中らしかった。とても集中していたから、ひさしぶりの黒子の奇襲に対応できなかったのだ。黒子はくすぐったそうに、ふふっ、と笑った。
「とても真剣でしたね」
 緑間の形のいい耳裏がボッと赤くなる。可愛い。黒子は彼の耳朶に触りたくなったけど、そんなことをしたらいよいよ怒られてしまうと思ってやめた。
 黒子がそう考えているとも知らず、緑間はしばらく、う、う、と唸っていたが、やがてそっぽを向いて、ふたたびテーピングを弄りはじめた。そして、ぼそりと短く呟く。
「……真剣になるのは当たり前なのだよ」
 黒子はちいさく首をかしげた。横目でそれを認めた緑間が、指にテープを巻きつけながら続ける。
「今度またあいつらとバスケをするのだろう? そのとき無様を晒すわけにはいかない。だからオレはどんな人事も尽くすのだよ」
 緑間のいつものテーピングが、きっちり完成された。白いテープに覆われる指で、黒子は髪をするする撫でられる。慣れた感触が戻ってきた。触られる気持ちよさに、目を閉じた。
「いっしょに、行くのだろう?」
 問う緑間の声は消えかかるろうそくのように、温かくて優しい。黒子は瞳をゆっくりひらく。黒子の答えは、最初から決まっていた。


2016.06.24(きっとキミの手を取ろう)