テキスト | ナノ

「父さん母さん。親不孝は承知ですがオレはこれからこの男と、黒子テツヤと生きていきます。家を守れず申し訳ありません」
 パリッとスーツに身を包んだ緑間が、畳に額をこすりつけ、頭を深々と下げる。斜め後方に控えていた黒子も客人用の座布団から身を退き、それに倣った。
 彼らの目前には緑間の父と母がいる。座敷の端には緑間の義弟と、新しい命を宿して腹を大きくさせた妹が身を寄せてひっそり並んでいた。

 緑間は一生を黒子とともに歩むと、とうとう決めた。長い時間をかけ、ふたりで悩みぬいた結果である。
 しかし、男同士という壁は世間にはきっと受け入れがたい事実であろう。緑間が口を開く。
「けじめはつけなければいけないのだよ。オレは、緑間家の長男だからな」
 そう固く断じてなお、緑間は苦渋の面で続ける。
「……お前には苦労をかけるかもしれないのだよ」
 そっと呟く優しい声。それはいろんな人を想っている、そんな声だった。己と連れ添う黒子を、己を育ててくれた父と母を、己の背負うべきものをすべて託さなければならなくなった妹を。
 黒子はただ、陽だまりのような笑みを浮かべた。
「ボクはずっとキミについていきます」
 黒子だって人を想う気持ちは負けていなかった。
 そういう、優しいふたりであった。

 静かなひと時のなかで頭を下げたままの黒子は、視界の隅に、緑間の妹が膨れた腹をさやさやと撫でるのをふと感じた。今まさに胎動したのだろうか。
 ほんの小さな小さな命が何だか背中を押してくれているかのように思えて、黒子はいっそう唇に力を籠めた。


2016.06.16(彼から漂うは記憶の匂い)
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