夜が明ける。陽が昇る。 ベッドわきの大きな窓から、赤司は徐々に白んでいく空を見た。色の移ろいでいく様は、まるで夢のように美しい、と比喩する人間がいるほどだろう。しかし赤司はただ無感情なままにそれを見つめる。 夢が、美しいもののはずがない。美しいと心地よく感じるものならば、どうして毎夜と暗鬱な景色ばかりを、赤司に見せるのだろうか。勝利、誇り、怒りそういうものでじわじわと身を裂くのだろうか。 無意味な思案であった。赤司はチリチリと沁みる瞼を緩く閉じ、ついに持ち上げる。要らぬ思考はもう消え去った。いまは、今日から二日にかけて行われるバスケ部の合宿のために身を起こすばかりだ。 肌触りの厭らしいベッドが、ぎしり、と鳴いた。 今年のゴールデンウィークは水曜日から始まり、そののちの土日を合わせると五連休になっている。強豪とされる帝光中バスケ部は、この間も練習を怠らない。ささやかだが関西方面へ一泊二日の合宿もあった。今日がその初日であり、組まれた試合はすべてにおいて勝利した。それが、『当然』だった。 とは言え、一日のなかで何度も対戦を繰り返し、勝利し続けることは部員たちのスタミナを奪い取るのに十分すぎるほどだ。わんさかと出てくる食事を大食らいし、大浴場でひとたび身体をとろけさせてしまっては、部屋にたどり着くなり、皆がベッドに沈んだ。 部屋割りはふたり一組だ。赤司は、例外でなく、ベッドへぱたりとうつ伏せに倒れ込む黒子を見て苦く笑う。練習中であればそんなことでどうすると言わざるを得ないが、ここはしばし憩いの場である。このときばかりは、赤司は黒子の好きにさせてやりたいと、素直に思っていた。 そうしてしばらく自分の荷物を取り出して明日の着替えなど整え、ようやく息をついた赤司が、ふっと黒子のほうへ目をやった。彼はベッドへ倒れ込んだ最初のまま布団を被らずに寝入っているようだ。 好きにさせてやるとは思ったが、さすがにそれは見過ごせない。これで体調など崩しては困るし、黒子の眠りにはちゃんと温かい場が必要な気がした。自分とは違い。 「黒子、黒子」 赤司はベッドのわきへ膝をつき、健やかに上下する黒子の背を指先でそっと擦った。見た目の通り、肉薄な感触だ。 「そんなんじゃ風邪をひいてしまうよ」 「んっ、んう」 赤司が耳元で静かに囁くと、黒子は、幼児がいやいやとするように小さく呻く。 「……赤司くん、どうしてここにいるんですか」 明らかに寝ぼけている。細い糸のようにしか開かない目を必死でこらえる黒子は、間の抜けた声で赤司にそんなことを言った。もしかして自分の家とでも思っているのだろうか。 本当にこいつは、と、赤司は喉の奥からたまらず込み上げてくる笑いをどうにか飲むほかなかった。いまの黒子を見ているとこちらまで身体からありとあらゆる悪い空気が抜けていくような気さえする。自身も知らない、柔らかな自分を発見するみたい。新しい、じぶん。 乾いた心に一滴のしずくがぽたりと響く。あとからあとからしたたって止めどないしずくは、黒子の本来、豊かな感情そのもののように感じた。干ばつした土地に降る恵みの雨のように、次第に赤司の心を潤わせていく。 眠りたい、赤司は久しぶりに腹の底までそう思った。たくさんのしがらみによっていつしか眠ることが下手になってしまっていた。けれどいまなら、心が満たされたいまであるならきっと春を待つ花のように眠ることができるだろう。黒子の側で。 赤司はこっそり笑ったのを自分だけの秘密にし、黒子のベッドの掛布団を捲る。 「さっ、黒子、ちゃんと布団に入るんだ。オレも、もう寝るから」 「はい。赤司くん……」 「うん?」 黒子が寝ぼけ眼を擦りながら緩く微笑み、声かけてくる。 「おやすみなさい」 優しい言葉だった。それが赤司と黒子、ふたりきりの空間にひろがる。一日の終わりがやって来る。 「ああ、黒子、」 赤司の声は、おそらくもう黒子の耳に届いていなかった。それでもいい。またいずれ意識のはっきりしているときにちゃんと聞かせてやろう。聞いてほしい、この言葉だけは。 部屋の明かりを落とすと、暗闇が漂う。 今日の夢は、色彩鮮やかに移ろいでゆく空であるだろう。 2016.06.03(はるか彼方に望む夢浮橋) |