テキスト | ナノ

 表と裏が逆さになって、一週間が経つ。今まで裏側にいることの多かった僕の精神は、ようやく表の生活に馴染み始めた。
 慣れ、というものは僕の視野を広げる。どうやら赤司征十郎は、一羽の鳥を飼っていたらしかった。いつの間にか狭まっていた鳥籠からいまだ抜け出すことができず、もがき苦しんでいる可愛い小鳥を。

 バスケ部の一軍が使用する体育館は、先日から余ほど閑散としている。青峰大輝と紫原敦は何度目かの無断欠席、黄瀬涼太はバスケより仕事を取った。すべて僕が許可した。緑間真太郎はこの場に来てはいるものの、心はチームから孤立しており、どこかべつのところにある。僕はそれを、何も言わずに、ただ見つめるだけだ。
 そんな狂った中で、小鳥はどんな声で鳴くことなく、普通、を貫いた。僕がボールを回せば、瞬間、見えないパスを出す。いつも通り。しかし彼のパスを受け取る人間は、もはやあの天才たちではない。タイミングが合わずに虚しく空を切ったボールは、壁に叩きつけられ、床に落下する。すみませんと、部員の乾いた声が厭にこだまする。もう良いよと、僕はわざとらしく、冷たく言った。
 そのとき、部員の横を音もなくさっと抜け、僕に駆け寄る影があった。
「すみません、赤司くん」
 小鳥が初めて愛らしい声で囀る。テツヤ。
 小さな背中で部員を庇うように、僕の前へ臆面もなく歩み出る。
「彼に合わせられなかったボクのミスです。次はもう少しタイミングを遅くしてみます」
 真っ直ぐに僕を見るテツヤの目に、他の者が向けるような恐怖はなく、それがいっそう僕の気を寄せる。本当は誰よりも、目の前の男が、自分が過去に愛した『赤司征十郎』でないことに、戸惑い、動揺し、嘆いているくせに。
 鳥籠の中で、たったひとつの生きるすべを教え込まれた小鳥は、どこまでもその教えに忠実だった。自分の感情を消し、勝利のためだけに働く。まさに勝利し続けなければ生きていけない『赤司征十郎』のために存在するよう。
 僕はあふれそうになる笑いを必死に噛み殺し、テツヤの柔らかそうな空色の髪に手を伸ばす。
「ああ、そうだね、テツヤ」
 触れる。本当に柔らかいんだな、テツヤの髪は。ずっとこの手で触れてみたかった。耳も、頬も、唇も、心も。肌をさらけ出し、互いを腕に抱き合いながらそれこそがこの世の至福のように愛を囁く、今度は僕が。
「僕のためにお前のバスケで勝利しろ」
 これからは鳥籠の中で、僕だけを見ていてね。
 テツヤ。


2016.06.03(鳥籠をどこか隠さなきゃ)