テキスト | ナノ

 変な夢を見たことがある。あれはたしか、ストバス大会で偶然、タツヤと再会する三日前だった。
 夢のなかで、オレは誰もいない、なんの音もしない暗闇にいた。どこに進めばいいかもわからないで足を踏みあぐねていると、向こうのほうにバスケットボールがぽうっと浮かび上がった。すぐに、何も考えなくたってただあれに向かって進めばそれでいいんだと直感的に思って、オレはバスケットボールが待つほうへ走り出そうとするそのときだった。
 ボールのとなりに何年ぶりかに顔を見る、兄貴分の姿が現れた。
「タツヤ!」
 思わず名前を叫ぶ。アメリカで何度その名前を呼んだだろうか。久しぶりに口にする名前は、なんのへだてもなく腹の奥から出てきた。オレの声はちゃんと届いたらしく、タツヤが答えるように静かに笑う。それが嬉しくてバスケットボールに向いていた足先を変えて一歩、足を踏み出す。タツヤとの距離が少し縮まる。そのとなりに浮いているバスケットボールとの距離だって同じようにそうなるはずだった。けれど、ならなかった。
 オレはすぐにその違和感に気づいて、今度はバスケットボールのほうへ二歩進む。ボールは最初と同じ大きさで見えるようになった。だけどタツヤの姿が、遠い。どちらかの道を行こうとすると、どちらかの道が閉ざされてしまう。
「なんで……」
 オレの声は、闇に支配された空間のなかにむなしく消えた。わけがわからなくて動けないままでいると、タツヤの唇が小さく動くのが見えた。
「どちらかなんだ、タイガ。お前は、オレかバスケかどちらかしか選べないんだよ」
 タツヤはさっきと同じように笑ってる。けれど、なんでか悲しそうに見えた。何かをあきらめたみたいな目だ。
 そんなのオレは嫌だった。どちらかを選ぶのにどちらかをあきらめるなんて、オレは嫌だ。
 うしろを振り返ることは最初から考えなかった。ただオレはバスケとタツヤ、両方に手を伸ばして走るだけだ。
 地を蹴って、全速力で走り出す。それまで何も感じなかった体に風を切って進む感覚が戻ってくる。暗闇が開けていく。もう止まらない。距離の遠さなんて、オレがなくしてやる。どっちもつかみ取ってやる。この手で━━!
 腹の底から声を上げながら、バスケットボールとタツヤに飛びつく。二つ同時に手にした瞬間、意識が途切れていった。そのとき、タツヤがどんな顔をしていたのかはわからない。けれど腕に抱きしめた体は、たしかに温かかった。

 ウィンターカップが終わったいまに思えば、あのとき夢のなかでどちらかをあきらめていたら、オレはほんとうにバスケかタツヤ、どちらかを手放すことになったのかもしれない。
 そのことを何回目かにふたりで会ったとき、タツヤに話したら、タツヤは「どっちかだって言われてるのにふたつとも選んで、ほんとうにつかみ取ってしまうところがタイガらしいよ」といつかの夢みたいに静かに笑った。その表情がもう悲しそうじゃないことを安心していると、タツヤがまた口を開く。
「Thank you for not giving up.」


2016.01.15(夢か現実かそのまた夢か)