テキスト | ナノ

 火神と氷室はふたりで街中を歩いていた。ときどき、バスケのことや今日の夕飯のことを、雑踏の音にかき消されないように、少し寄り添って話した。
 駅の近くに来ると、いよいよ人が増える。その中で、ひと際目立つ桃色の頭部が見えたかと思えば、「カガミーン!」そんなふうに、火神にとってはもう聞き覚えのある声と呼び名が耳に入った。火神の隣にいる氷室は、きょとんとした顔をしていたが、やがてその声の正体が知った少女だということに気がついて、ふわりと笑った。
「たしか桐皇の」
「はい」
 火神と氷室の前に現れたのは桃井だった。彼女の桃色の長い髪が、人の通りすぎて行くのを受けて、ひらりと軽く遊んでみせる。桃井は氷室に、「お久しぶりです、氷室さん」と丁寧に挨拶した。つぎに桃井は火神に向きなおった。
「カガミンもやっほー」
「あ、ああ……」
 少したじろぎながら桃井に答える間にも、火神は隣にいる氷室からの視線が気になっていた。まるで「お空はどうして青いの?」と純粋な疑問を口にする子どものような目だった。火神には氷室の言わんとすることが手に取るように分かっていた。しかしそれを誤魔化したいために、「そんなことより何か用かよ」と慌てて桃井に話を振った。
「あっ、ごめんね。別に用はないんだけど、ふたりが歩いてるのを見かけたら、つい」
「タイガは目立つからね」
「氷室さんもじゅうぶん目立ってましたよ」
「そうかな?」
 綺麗な男の人がいるって注目の的ですよ、と桃井は小さな鈴をころころ鳴らすように笑った。そうして笑ったあと、桃井は「それじゃあ私はこれで」と別れを切り出した。
「ああ、気をつけて」
「ありがとうございます」
 彼女はまた丁寧に氷室に礼を言うと、長い桃色の髪を翻しながら、やはり火神に向きなおる。
「カガミンもまたね」
「おう」
 桃色の少女が遠ざかったのを見送った火神と氷室は、再びふたりで街中を歩き出した。先ほどまでは気にならなかった周りの雑踏の音が、耳に戻ってくる。その上に、くすくすと静かに笑う氷室の声が、火神のすぐ近くで重なる。
「カガミンだって。可愛くなったね、タイガ」
「うっせ、ほっとけ」
 火神は少しだけ頬を赤らめて、照れくさそうに氷室から顔を背けた。氷室はまだ笑いがおさまらず、口元に手をあてて肩を揺らしている。そうやって、ふたりで道の先を進んでいく。


2015.10.30(犯人の正体は花のような)