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※第170Q捏造


 ウィンターカップの誠凛対陽泉戦が幕を閉じ、次の戦いがはじまろうとする直前に事件は起きた。選手同士の喧嘩沙汰である。と言っても、それは明らかに一方的な暴力だった。
 競技場の裏手は人通りがまるでない。なかで行われている試合が、開始されたのだろう。ウワッと湧く歓声が外にまで響いた。十二月の夜風が火神のこわばった頬に吹きつける。
 火神は差しで氷室と向き合っていた。迫るように目の前に立ちはだかる火神を、氷室は心静かな表情で見あげる。
「何回殴られた?」
 氷室の顔には先ほど受けた暴力の痕がありありと残っていた。夜のなかに溶けだすような黒髪から覗く右目のすぐ横は痛々しく紫色に変色し、唇の端から血が滲む。氷室の、触れれば消えてしまいそうな透き通る白肌に痣など作れば、余計に目立った。
「こんな怪我、どうってことないよ」
 氷室は肩の力をふっと抜いて見せた。微笑むと、渇いた血液に皮膚がすこしばかり引っ張られた。割れた傷を癒すように、火神の厚い親指がなぞる。
「それよりも、いいのかい? もうさっきの彼の、黄瀬くんの試合がはじまっているはずだろ」
 氷室は唇をしっとりと撫でられながら言った。
「あとで見に行くさ。いまはお前のことだ」
「だから、オレは大丈夫だってば、タイガ」
 氷室が火神の腕に手をやってそっと突き放す。けれど逆に、その手は強く捕まえられてしまった。
「タツヤ」
 火神は声をきつくして氷室を責めた。どこか焦っているようだ。じっと火神の目を見つめていた氷室は、やがて観念して、ちいさくため息を吐いた。
「……一回はかわしたんだけれど腹に蹴りをもらってしまって倒れたところを何発かね」
 氷室が曖昧に笑う。火神は、くそッ、と口のなかで噛み潰すと、つかんでいた氷室の手を自分のほうへ引き寄せた。ほとんど無意識だった。氷室のけっして短躯とは言えない身体が、火神の腕にすっぽりとおおわれる。
 氷室は、肩口に、火神の濡れた吐息を感じた。そのまま背中に腕をまわすわけでもなく黙って好きなようにさせた。抱きしめる腕の力を強められると、蹴られた腹がすこしだけ痛んだ。
「悔しい」
 氷室の肩に顔をうずめたまま、火神が、くぐもった声で呟いた。悔しい。まるで最愛の母を取られて拗ねてしまった子どものような声だった。
 確執がすっかりと消えたわけではない。試合の敗北感と、兄弟を解消すると言った決断が、氷室の胸を締めつけるようにぐるぐると渦を巻く。
 けれど氷室は火神を抱きしめかえした。いつまでも離れようとしない火神に内緒で笑って、おおきな背中をぽんぽんと叩く。
「ありがとう、タイガ。さあ、オレもそろそろ、医務室へ行くよ。先に行ったアレックスのことも心配だ。お前も友だちの試合を見に行っておいで」
 耳のふちをさらりと撫でるように言い聞かせられて、火神はようやく氷室から身体を離す。火神の表情を見た瞬間、遂に氷室は、なんて顔をしているんだと口を開けて笑った。


2015.05.03(キズ口から侵蝕する熱情)