テキスト | ナノ

 昼休み。ボクは自分のクラスの自分の席に、校内の売店で買ってきたばかりのサンドウィッチをひと袋置いて、あることに気がつきました。そう、飲み物を買い忘れていたのです。休憩が終わるまでにまだまだ時間があることだし、何より口の中がパサパサしたまま次の授業を受けなければいけないことがためらわれます。ボクはさっそく椅子から立ちあがり、前の席で不思議そうな顔を向けてくる火神くんに、飲み物を買ってきます、とだけ言って教室をあとにしました。
 売店はボクの教室から少し遠い場所にあります。そこ以外で飲み物が買えるところと言ったら、あとは、校内に点々と設置されている自動販売機です。ボクは一年生の教室がずらりと並ぶ三階廊下の突き当たりまで歩いて、その階段を降りていくことにしました。本当なら中央階段から下へ降りたところにある自販機が一番近いのですが、いまの時間、あそこは激戦区になっていることでしょう。できればひとが多い場所は、避けたいところです。いつ順番に入れてもらえるかわかりませんし。
 ボクが降りていくこの階段は、普段からあまり人気がありません。空気がひんやりしていて静かなのでボクはけっこう好きです。現にいまもボク以外にこの階段を行き来してくる人はいません。
 しかし、二、三年生の教室がある二階に降り立って、今度は一階へ続く階段へ足を踏み出そうとした時、ボクは揺らめく人影を目にしました。カントクです。少し駆け足で階段を降りていたボクはあっという間に彼女の背後までやって来ました。このままただ横を通り過ぎるのは礼儀に反するだろうと考えたボクは、あの……、と口を開きました。
「ひいっ!」
 すると甲高い小さな悲鳴がコンクリート壁に反響し、肩をびくつかせたカントクが階段から足を踏み外しました。ボクはとっさに手を伸ばして彼女の腕を掴みます。普段、周りから体力や筋肉がないないと言われるボクにでも何とかその細い身体を支えることができました。
「すみません」
「えっ、あっ、く、黒子くん?」
「驚かせるつもりじゃなかったんです」
 すぐに平静を取り戻したカントクが自分の足で階段を踏みしめるのを確認して、ボクはようやく手をスッと引きました。
「もう! 音もなくいきなり声かけられるからびっくりしちゃった」
「すみません……。カントクの姿が見えたのであいさつしようと思ったんですけど」
「いいえ、気づかなかった私も悪かったし」
 それからボクとカントクは並んで階段を降り始めました。
「でも黒子くんもやっぱり男の子なのねえ」
「えっ?」
「手よ。表面だけ見れば色白できれいなんだけど、触れてみたら程よく厚くてゴツゴツしてた。それに引き上げられる力もあったし」
 階段の終わりが見えました。カントクは踊ってみせるように最後の五段を軽快に降りていくと、手前の自販機に駆けていってスカートから取り出した小銭をガチャリ、ガチャリと二回押しこみました。ボクが階段を降り終えるのと同時にピッと音が鳴って商品があばれて落ちてきます。カントクがしゃがんでそれを取り出すのを見ながらボクもいよいよ制服のポケットに右手を突っ込みました。中を覗き込むように俯いていると、
「黒子くん」
 凛としたカントクの声に呼ばれ、顔を上げると、自分の方へ何かが飛んでくるのが目に映りました。向かってくるそれをボクは反射的に両手でキャッチして、見れば可愛らしいウシの絵が描かれたパック牛乳でした。
「それ飲んでもっと育てよ、オトコノコ!」
 いたずらに笑ったあとスキップして行ってしまうカントクの背中を見送って、再び階段に足をかけたらポケットの中の小銭がチャリンと鳴いたように聞こえました。さあ、やっとお昼ごはんです。


2015.03.01(青春してますオトコノコ)