テキスト | ナノ

 居酒屋からの帰り道、オレはひとり、サラリーマンや学生、いろいろなひとの声や思いが交錯してざわめく中を歩いていた。大学の同じゼミ生での飲み会だった。参加した他のメンバーはもう一件、二件ハシゴすると言っていたけれど、オレは最初から完全に付き合いのつもりで行っていたからその誘いをやんわり断って別れた。外でアルコールを飲んでも酔えないオレからして、たびたび開かれるそういう飲み会の楽しさをどうしても見いだせなかった。
 終電近くの車内は居酒屋が立ち並ぶ通りとは一転して、閑散としている。席はポツポツ空いていたけれど、オレは入り口付近に立って、時間を気にせず節操なく輝きつづける景色を腕を組んで眺めた。
 その時、飲み会の最中に言われた言葉を静かに思い出した。
「氷室って顔は超美形なんだけど幸薄そうだよな」
 なんて言うの、あれ、薄幸美人?
 顔を真っ赤にした同級生が気心の知れたように、オレの肩を寄せ、上機嫌に言った。オレが「そうかな」、と曖昧に笑うと、そろってほろ酔いする他の上級生や同級生や下級生も笑った。場は、それからすぐに関連したべつの話題に移ったのだけれど。
 良い気も起きなければ悪い気も起きなかった。それを聞いて、周りが笑うのを見て、ただ、ああ、そんな感じなのかと思った。

 何駅か過ごして電車を降りると、アパートまでの道は短い。途中で、いつもは素通りするコンビニに寄ってウイスキーと缶酎ハイを何本か購入した。
 夜も遅かったから周りの人たちに迷惑がかからないように少し慎重になって部屋のドアを閉めると、オレの思惑どおり、カチャンっとそれは大人しい音を立てた。
 リビングではタイガがソファーに座ってテレビを見ていた。すでにシャワーを浴びたらしく、パジャマ代わりのスウェット姿で首をめぐらせてくる。
「Hi,Tatsuya.」
「Hi honey.」
 そうやって返事をしたら、タイガは少し戸惑った様子で、「酔ってるのか?」とうかがってきた。だからオレは笑って、「You know.」と応えた。
 まだ納得がいかない顔で後頭部を手持ちぶさたに掻くタイガの横を通り過ぎて、透明なガラステーブルの上にコンビニのビニール袋を置く。手を離した瞬間に、バランスを崩したそれから缶が二本、転がり出た。
「あれ、飲みに行ったんじゃねえの?」
「行ったよ」
「それでまだ飲む気か、めずらしいな」
「タイガの分もいちおうあるんだけど、一緒に飲むか? アルコール、少ないやつ選んできたから」
「……少しだけだぞ」
 そう言って、タイガはソファーからフローリングへするすると尻を滑らせて降りてきた。オレはキッチンからグラスを二つ持って、タイガと向かい合って座る。グラスを差し出したのだけれど、タイガは缶酎ハイをそのまま煽った。その潔さが可笑しくて肩をすくめながら、オレはウイスキーをグラスにそそいだ。
 二人で飲みはじめてしばらくしてテレビの電源は消した。すると部屋のなかは静かなものだった。肌に馴染むようなその静けさに安心する。けれど、グラスに何杯目かのアルコールをつぐと、オレは、みずからその静けさを砕いた。
「今日、言われたんだ」
「何て」
「お前は幸が薄そうだ、ってね」
「……タツヤはそれ聞いてヤだったのか?」
「いや、べつにそういうことじゃないんだ」
 オレがそう応えると、タイガはそれまで一度も手放さなかった缶をテーブルの上に置いた。カツッと小気味のいい音が鳴る。
「何でそういう話になったかよく分かんねえけど、それって、オレがタツヤをもっといっぱい幸せにしてやればいいんじゃねえか、とか、そう言うんじゃダメか?」
 タイガは真顔だった。顔はうっすら赤らんでいるけれど、そこに照れはなく、真剣だった。真剣にオレのことを考えていた。
 愛されているな、と自覚すると同時に、オレはグラスに残っていたウイスキーを一気に喉の奥へ流し込む。それから、ぼんやりとする頭のなかで、あの同級生を笑ってやった。
 ざまあみろ、オレはじゅうぶん幸せだ、ってね。


2015.02.23(君がいれば僕は負けない)