テキスト | ナノ

 あの頃のボクはまだ、キミのことをあまり知りませんでした。中学一年の秋のことです。
 その時、ボクは一度だけ緑間くんとふたりきりで帰ったことがありました。ボクがバスケ部の一軍に昇格してすぐのことです。片やひと際影の薄いボクと、片や部内で有名人の内のひとりだった緑間くんとではそれまで面と向かって話したことなんかなくて、その帰り道で、ボクはめずらしく緊張していたと思います。そしてボクはとうとう、学校を出る時からいままで気になっていたことを緑間くんに打ち明けました。
「緑間くんの左手のそれ。うさぎのぬいぐるみ、ですか? ずいぶん可愛らしいですね」
 緑間くんの手には、こんなことを考えるのは失礼かもしれないけれど、彼に似合わない、小さな女の子が好きそうなふわふわとしたぬいぐるみが鷲掴みにされていたのです。そう言えば彼は今日の部活中にもそれを体育館の隅にタオルやドリンクと一緒にして置いていました。そんな場所にまで持ち込んでいるなんて、何か余程の事情が詰まった大切なものなのだろうかとずっと気になっていたのです。
 ボクがそれとなく緑間くんの様子をうかがっていると、彼はボクを見下ろす目をメガネのレンズ越しにきつく細めたあとで、ああ、と答えました。
「これは今日の蟹座のラッキーアイテムなのだよ」
 緑間くんの口から出たのは、ふだん聞き慣れない言葉でした。
「ラッキーアイテム? 何かの占いとかですか?」
「ラッキーアイテムと言えばおは朝占いに決まっているだろう。まさか、おは朝占いを知らないのか」
「いいえ、その番組ならいつもかかってますけど」
 緑間くんはたいへん真面目な面もちでした。それを知らない方がおかしいのだと言って一蹴された気分になり、ボクは肩からずり下がったスクールバッグを握りなおして慌てて否定しました。ボクの返事に緑間くんは満足したようで、ふんっと小さく鼻を鳴らすと、ボクから視線を外しました。彼は中学生男子の持ち物らしからないうさぎのぬいぐるみを手に、堂々と前を向いて歩きます。すれ違いざま、派手な身形をした年上のカップルさんにクスクスと笑われても、体格の良いおじさんにじっとりと脂ぎった視線を向けられても、緑間くんはまったく気にしていない様子です。
 たぶん彼はとても真っ直ぐな人なのでしょう。自分の心を疑うことなく、その信念を貫き続けることができる人。その行動は見た限りでは可笑しなことのように思えるけれど、それをどんな状況でも胸を張ってやり遂げてしまう緑間くんは、純粋にすごいと思います。
「黒子? 何をぼうっとしているのだよ」
「あっ、いいえ、大したことじゃないんですけど、ただ緑間くんって変だなあと考えていて」
「おいッ」
「でも。やっぱりキミって、すごいです」
 緑間くんはまたふんっと鼻を鳴らすと、今度は勢いよくボクから顔を背けてしまいました。そこから横顔がほんのりと赤く染まっているのがちょっとだけ見えて、緑間くんもこんなふうに照れることがあるのかと、あの時、ボクはたくさん本当のキミを知ることができたような気がしました。

 それから、チームメイトとしてライバルとして、ボクは緑間真太郎という人間を長い間にわたって見てきました。無愛想なように見えて心優しく、誰かを思いやることができるキミ。本当はとっても世話焼きで、危なっかしい人を見つけると口を出さずにいられない。やっぱり強い信念を持っていて、それを叶えるためにどんな努力も惜しまないこと。
 バスケが好きなこと。
 新しく本当のキミを見つけるたび、ボクはワクワクしました。緑間くんのことを知ることができるのが、嬉しかったのです。それはまるで体が宙にふわふわと浮く心地でした。

 そうして今日、ボクは本当のキミをさらにひとつ知ることになりました。
 もうすっかり大人びた顔つきをした緑間くんが、いつの日かと同じようにメガネのレンズ越しに目をきつく細めて向かい合わせたボクを見下ろしています。違うところと言えば彼の頬が最初から赤く色づいていることでしょう。
「黒子」
「はい」
「オレはお前のことが、好きなのだよ」
 ボクのことを好きでいてくれるキミを、ボクは今日、新しく知りました。


2014.11.23(知ってるよ、ほんとの君)
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この作品は黒バス企画サイト『僕は、天の邪鬼。』様へ提出させていただいたものです。素敵な企画をありがとうございます!