テキスト | ナノ

 暗闇の中で、霧雨が無数の透明な糸のようになって降りしきる音が遠く聞こえる。夢と現実の狭間にいるような心地だった。さやさやと耳を撫でるその音と体が宙に浮かぶみたいな感覚はいつまでもそうしていたい気分にする。
 けれど体内で時計がカチッとハマる音でオレは目を覚ました。正面に映る窓には、カーテンの隙間から白っぽい陽光が溢れそうなくらい輝いていた。妙にリアルな雨の音だったんだが、夢だったのか。目を三回しばたかせると、つい数時間前に抱いて眠ったはずの温もりがないことに気づく。オレは体の動くままベッドから起き上がって寝室を後にした。
 それとちょうどのタイミングでシャワールームのドアが開いた。はち合わせたのはタツヤだった。タツヤはオレを見つけると唇に柔らかく笑みを浮かべた。
「Good morning,Taiga.」
 触り心地の良い黒髪を昨日洗濯したばかりの白いタオルで拭いながらタツヤが挨拶をくれる。並べたような綺麗な英語を紡いだ唇のその下には、細身のジーパンを履いているだけだった。くつろげられたそこから控えめに覗く下着、出っ張った腰骨、すらりと伸びるライン。なんとなくタツヤの纏っている空気がいつもより緩く見えた。
 オレは同じように答えて、タツヤの傍に寄った。そしてまだ少し湿り気のある背中に手を回して、右の頬、左の頬、額の順に軽くキスを落とす。間を空けず、今度はタツヤの両手がオレの顔を包むと、同じことを返してくる。それが終わると互いの唇を食む。
「ずいぶん早起きだな、タツヤ」
「ああ、実はあれから中途半端にしか眠れなくて」
 タツヤが歩き出したからオレも後に着いていく。キッチンに立つとタツヤは湯を沸かし始め、オレはキャビネットからマグをふたつ取り出してインスタントコーヒーの粒をスプーンにすくって流し込む。
「何でだろう、昨日の夜、激しかったからかな?」
 タツヤが横目で見上げてくる視線に、オレはうっと言葉を詰まらせた。
「誰かさんがなかなかオレを寝かせてくれなくて、気づいたら夜が明けてたんだよな」
「……わっ、悪かったよ」
 目の前のカウンターに手を突いてガックリうなだれていると、悪戯するみたいにクスクス笑うタツヤの声がした。
「いいよ、おかげで久しぶりにタイガの可愛い寝顔が見られたし」
「バカ言え。……身体、平気か?」
「大丈夫だよ」
 そう言うわりに、気だるそうにしてるくせに。たぶん、親しい連中も気づけないくらいにだけど。
 セックスする度に自覚する。無茶させてるよな、負担かけてるよなって。けれどタツヤはそれを気にするなと言ってるんだ。ホントにバカだな、タツヤは。優しすぎるんだよ。
 そう言ったらすかさず笑って、「それはお前のことだよ」って返されるんだろうけれど。
 タツヤの髪から居残っていた雫が爽やかな朝陽にきらっと瞬いて落ちた。オレはそれごと包むように濡れた髪を左手で取って耳の後ろにかけてやると、撫でるように口づけた。迷いなく応えてくれる唇が太陽に焼かれるくらい、愛しい。


2014.11.02(焼けるリップに口づけを)