テキスト | ナノ

 ぴかぴかに照りつける太陽の光を一身に浴びて、熱気の昇るアスファルトを踏みしめ、駆け抜けていく。地面にバウンドして宙に浮くバスケットボールをたしかに掴み、そのままゴールに向けて跳び上がる。ガゴッ━━、大きな音を立ててぐわんとゴールが激しく揺れる。ネットをくぐって落下していったボールに満足するように、火神は歯をまばゆくさらけ出して笑った。
 空が、まるで、青色と白色の絵の具を混ぜたバケツの底をくり貫いたみたいにどこまでもあざやかに染みわたった日、火神はストバス場へ来ていた。
 黒子や先輩を含めた誠凛の面子、海常、秀徳、桐皇など、この場を企画した人間(おおよそ黄瀬か桃井あたりだろう。ちなみに火神は黒子から聞いた)が話を広めたら、最終的にけっこう豪華なメンバーが集まっていた。
 まあ、そこまでは普段から交流を持とうと思えばそう難しくない面々だが、今日はここに、紫原と氷室もやって来た。陽泉の監督と繋がりのある東京の高校との練習試合を昨日、丸一日やって、今日は休息日で、夕方には秋田へ帰るらしい。
 一緒に過ごせる時間は多くないが、火神は久しぶりに氷室の顔が見れて嬉しかったし、氷室やほかの『強いヤツら』とバスケできるだけで心がはしゃいだ。
 何にしろ大所帯なので、適当にチーム分けをして交代でコートを使い回す。ちょっと前までコートに出づっぱりだった火神は、いまはフェンスの隅にひとり座って、ドリンクを煽っていた。
 ゆるやかな風が火神の頬や髪をやにわに撫でる。心地よさに目蓋を閉じる。すると足音もなく影もなく、火神に忍び寄る来訪者があった。
 野生の勘で何かを受け取った火神がバチッと目を開けた瞬間、小さい身体に空色の丸い瞳を携えて、モフモフした『それ』が、ワンワン! と吠えた。
「ひいっ!」
 火神はたくましい体躯を震わせて、悲鳴を漏らした。
 彼を訪れた小さく愛らしい客とは、誠凛高校バスケ部で飼っているテツヤ2号という名の犬だった。今日も当然、誠凛の誰かがこの場所に連れてきていた。損も得も勘定しない、純粋な表情をして、2号は火神にかまってもらえることを喜ぶように、しっぽをぶんぶん振っている。
 けれども火神は、犬という生き物が苦手だった。大小関係なくどんな犬も、目の前にすると知らぬ間に身体が緊張してしまう。喚き散らして逃げたくなる。いまでももう、とっくにその場から飛び上がる準備はできていた。冷たい汗が顎を伝って落ちる。
 火神はしばらく動けずにいた。2号も彼に名前を呼ばれるまで、火神に飛びつくことはしなかった。
 そうやって、どれくらいの時間そうしていたのか火神にはわからなかったけれど、あるとき、黒い影がひとりと一匹を包み込むみたいにぬっと現れた。
「やあ、2号」
 やわらかい声に、周りの空気がぴたりと静まる。火神には影の正体が顔を見ずとも簡単にわかった。彼がいまどんなふうにやさしい笑みを浮かべているかさえわかる。安心して、火神の身体から次第に力が抜けていく。影を徐々に見上げていくと、氷室辰也が予想通りの表情をしてそこにいた。
 氷室はテツヤ2号に向けていた目でチラッと火神を一瞥すると、自然な動作で火神のすぐ隣に腰を下ろした。火神と2号の間を遮るように。火神を守るように。
 お前、と口を開きかけたまま、次の言葉を迷ってしまった火神に氷室の横顔は何も語らない。ただ、かすかに持ち上がった口元が嬉しそうだなと思う。
氷室は2号を真っ直ぐに見つめながら、また名前を呼んだ。
「2号、あっちで黒子くんがキミのことを探していたんだ。行ってあげるといい」
 人間の子どもを諭すように目線を合わせてゆっくりと一語一語を発音する。氷室の言葉を逃すまいとピンと立った2号の耳が、音を拾う度、ぴくぴくと動いた。やがて健気な仔犬はくるりと小さな身体を翻して、賑やかな声のするほうへと去っていった。
「お疲れさま、タイガ」
「あっ、ああ」
「やっぱり強い人たちとやり合うのは楽しいけど、昨日の今日で、さすがにちょっと疲れたよ」
「えっ、」
「でもタイガの顔が見れて来た甲斐あった」
 それ以上を話す必要がどこにあるのだろうかと、氷室が笑った。氷室は火神を責めない。どうして、とも言わない。情があることを知れば、からかいも悪ふざけも気にならないのに、そうもしなかった。
 昔も、こうやって気を遣わせてずっと守られていた。自分が何の考えもなしに、能天気に笑い転げてタツヤ、タツヤと、やってもらうことばかりをせがむ間も、氷室は火神を心から大切に思ってくれた。
 幸せだった。
 上から降りそそぐ日差しに、氷室の肌が焼けて、ほんのすこし赤くなっている。火神は、彼のやさしくて柔らかい、白色の皮膚を、どうかこれ以上傷つけないでくれと願うばかりだ。


2020.04.21(どうしても、と願うこと)