テキスト | ナノ

 夕陽が沈んでいく。すぐ側に流れる川面が空から溢れた橙色を掬って、キラキラと輝く。その様を揺れる視界の端で見て、はあと息を吐く。宙ぶらりんに投げ出した自分の足先が目に入ると、なんとも情けなく、黒子はいたたまれない気分で口を開いた。
「すみません」
 ぽつんと落下していく黒子の言葉を、けれども、愉快そうな少年の笑い声が受け取った。
「もう気にすんなよ、テツ」
 帝光中からの帰路、バスケ部の練習で一歩も動けなくなった黒子を青峰が背負って歩く。体育館の隅に倒れ込んでいると、彼は一番に駆け寄って来て、笑いながら黒子の腕を軽々引き上げた。
 青峰の背中に負ぶわれたまま、黒子は肩に置いた手を居心地悪そうにちょっと動かした。それから口を開く。
「あの、青峰くん、重くないですか?」
「それってテツのことか? だったらぜんっぜん重くねえ。むしろ軽い」
 青峰は鼻唄でも歌い出しそうなくらい上機嫌で、高らかに声を上げる。
「お前、軽すぎだよ。もっと肉食え、肉」
 トンと一瞬、黒子の体が宙に浮く。思わず青峰の首へ腕を回してしがみついたが、彼は気にした様子もなく、やはり軽い足取りでずんずんとオレンジ色に染まる川原を歩いていくので、黒子はもう少し青峰の背中に体重を預けることにした。伝わる体温は馴染み、鼓動が強く鳴っている。


 夕陽が沈んでいく。すぐ側に流れる川面が空から溢れた橙色を掬って、キラキラと輝く。その様を揺れる視界の端で見て、はあと息を吐く。宙ぶらりんに投げ出した自分の足先が目に入ると、なんとも情けなく、黒子はいたたまれない気分で口を開いた。
「すみません」
 ぽつんと落下していく黒子の言葉を、けれども、気だるそうな青年の、絞り出したみたいな低い声が受け取った。
「そんなのいまさらだろ」
 ストバス場からの帰路、部活の息抜きになるからと散々バスケをしてやはり一歩も動けなくなった黒子を青峰が背負って歩く。コートの隅に倒れ込んでいると、一緒に来ていた火神や黄瀬なんかが心配の言葉を掛けるのを横目に、彼は後からやって来て、仏頂面で何も言わずに黒子の腕を軽々引き上げた。
 青峰の背中に負ぶわれたまま、黒子は肩に置いた手を居心地悪そうにちょっと動かした。それから口を開く。
「あの、青峰くん、重くないですか?」
「それってお前のこと? ハッ、余裕」
 青峰がひとつあくびをすると、彼の頭がうしろに傾いて、黒子のおでこ目がけて、ゴツン、正面衝突である。黒子がヒリヒリする額を押さえ、密やかに痛みに耐えるのに、青峰はこれっぽっちも気に留めないで、ぼんやり息を吐き出す。
「お前、軽すぎだよ。もっと肉食え、肉」
 その言葉を聴覚に受け止めた瞬間、黒子の脳裏にかつての記憶が呼び起こされた。互いにまだ中学生で、帝光中バスケ部の一緒のジャージを着ていた。いまよりも少し幼かった黒子は、自分のバスケを最初に認めてくれた、初めて『相棒』と呼べた人の背中の上でちょっと緊張しながら今日と同じ景色を見ていた。覚えている。無邪気な笑い声は不器用で無愛想な、可愛げの《か》の字もないほどになって、目線もうんと伸びた。けれども、目に染み入るオレンジ色の夕焼け空と、彼から貰う優しい言葉はあの日と変わっていない。そんなちっぽけな不変が何だか黒子の心を擽って、黒子はこっそり笑っていた。
「なに笑ってんだよ、テツ」
 青峰が前を向いて、足は止めないまま、ぶっきらぼうな調子で言った。それに対し黒子は、青峰に背負われているいまは、どんなことも包み隠さずに自分の思うことを真っ直ぐに言うと決めた。
「キミは変わらないなと思ったんです」
「なんだそれ」
「周りの環境や、あるいは自分自身が変わることによって進化しつづけるのは良いことだと思います。けれど、変わらないことが悪いかと言うと、そうではないと思うんです。例えば、そうですね、キミの少し不器用な距離感とかバスケ馬鹿なところとか」
「それ、最後オレのこと貶してるよな? このまま落っことすぞ」
「イヤですよ」
 黒子は落とされまいと前に回していた腕で青峰の首を引き絞って、ほとんど彼を羽交い締めにした。すると、「ぐえ」とカエルが低く鳴くような声をして最後、青峰は、そして黒子ももう何も話すことをせずにオレンジ色に染まる川原をのろのろ進んだ。
 ふと、黒子は青峰の背中に自分の体重を移した。遠慮はなかった。伝わる体温は熱いほどに、鼓動は命を燃やすように脈打っている。


2019.08.31(オレンジ色の背中を抱く)