テキスト | ナノ

 オレと黒子が共に暮らし始めてから初めての秋が過ぎようとしていた。太陽が輝く昼間はまだ暖かいものの、夕方になると頬を撫でる冷風が少し肌寒く感じる、そんな季節になった。
 以前から所謂、恋人として関係を結んでいたオレたちは、同棲して今までずっと同じ寝室、同じベッドで寝起きしている。『別々の部屋で眠る夫婦は仲が悪化、夫婦は同じベッドで寝るべし』とおは朝で占いの直前に特集されていたのをオレが覚えていたからだ。きちんとした統計から算出された結果を無視してオレは黒子との仲を悪くしたい訳ではなかったし、それを実行するために少し大きめのベッドを購入する出費など痛くもなかった。どんな出来事にでも人事を尽くさねば始まらない。そのことをふたりで行きつけた喫茶店で説いた時、ヤツは困ったように眉を下げて「キミがそうするのがいいと言うのなら、ふたりで寝られるベッドを探しに行きましょうか」と笑っていた。
 そのベッドの上で、薄暗い部屋にぼんやり点された橙色の光を真っ直ぐに見つめながらそんな記憶を頭にめぐらせたのは、オレが現在置かれている状況に対処するべく、あくまでも冷静な思考を取り戻さんとしたからだ。決して現実逃避をしていたのではない。つまるところ、オレは隣で健やかに眠る黒子に抱きつかれていた。
 ふたりでベッドに入った時には、いつもそうであるが、オレたちは人がひとり横たわれるスペースを開けて眠りについた。それが今ではどうだ。隙間ゼロだ。何となく寝苦しく思って目を覚ましたら黒子の寝顔がメガネを通さずとも細部を観察できるくらいの近距離にあって危うく飛び起きかけた。それからもうすっかり眠気は去り、オレは身動きが取れないままずっと現状を維持し続けている。
 橙色の電灯を一心に見ていても気になるのはやはり触れる人肌である。肩に押しつけられた額からぬるい体温が布越しに伝わり、いつもふわふわと動く空色の髪が首筋から顎の裏にかけてを柔らかく刺激する。太股の辺りに擦り寄せられているのは何だろうか。きゅっと折り曲げた膝だろうか。いよいよ鼻で呼吸するには息苦しくなってきて口から酸素を取り込もうとするが上手くいかず、オレはひそかにゴクッと喉を鳴らした。
 試しにほんの少しだけ端に向かって体をずらす。黒子が微かな震動に目を覚ますことはなく、眠ったままそこに残される。いい感じだ。そのまま元の距離に戻ることができれば邪な感情も消え失せて再び眠りにつけるだろう。
 そんなことにばかり躍起になっていたが、そう簡単にはいかなかった。寝間着をつかまれた。するとオレはそれ以上距離を延ばせず、代わりに黒子が距離を詰めてくる。しかも今度は何が何でもオレを逃がすまいとしているのか、先ほどよりも隙間をなくすように擦り寄ってくる。脚を絡ませ、腰骨に腹をあて、密着する。腕が湿っていくように感じる。この感触はおそらく黒子の、唇だ。口づけるといつも照れたように、けれどもしっかりと答えを返そうとする、あの唇だ。子どもがイヤイヤと駄々をこねるようにそれをオレの腕に押しつけてくる姿に、胸が擽られた。頭がぼうっと湯だって下半身に熱が溜まる。
 オレは大きく深呼吸をして今一度冷静になろうとつとめた。目を閉じ、開けると、やはり空色の丸っこい頭がオレの首もとにうずまっている。顔はほとんど布団の中だった。オレはここでようやく気づいた。そう言えば、黒子のヤツはいつもよりごっぽりと布団に潜り込んでいるようだ、と。
 夜は冷えるようになったから、寒かったのだろうか。だから深く布団にくるまって体を丸めて、それでも寒かったから無意識の内に誰かの体温を求めたのだろう。おそらくそうに違いない。しかしこうもいきなり寝込みにくっついて来られては勘違いしそうになる。寒いなら寒いと言えばよかったのだ。そうすればオレだって一緒に何か対策を考えてやらんこともなかったのに。
 寒いのを、ひとりで我慢していたのだろうか。そうであったらオレはヤツに何をしてやれるのか。
 そんなことを考え出したら、いつの間にか体の熱はすっかり引っ込んでいった。明日、毛布を買いに行こうか。いや……。


 次の夜、いつもの通りオレと黒子は同じベッドに入り込む。黒子が冷えた薄手の掛け布団の中に足先を入れて、ぶるりと肩を震わせた。
「黒子」
「廊下の電気ならちゃんと消してきましたよ」
「ふんっ、当然なのだよ。……って、違う!」
「はあ」
 オレは咳払いを小さく繰り返す。今さらながら、昨日考え出した結果を実際口にするのが馬鹿らしく思えてきた。毛布は買わなかった。オレがひと言かけてやらねば黒子はまた寒さに震えながらオレの隣で眠るのだ。想像した光景は、背筋に悪寒が走るような寒々しさだった。
 覚悟を、決めよう。オレは自分でやると決めた人事を尽くすだけで、それを選ぶのは黒子の自由だ。
「離れて眠るのが寒いとお前が素直に言うのなら、今日は抱き締めて寝てやらんこともない、のだよ」
 言葉が喉の奥に引っかかってきっと最後の方なんかは聞こえづらかっただろう。けれども、黒子は目をまん丸く見開いた後、ふっと笑って「寒いです」と答えたのだ。


2014.10.26(寒がりな君を温める方法)