テキスト | ナノ

 互いに部活が休みの日、黄瀬が図書館へ行きたいと言ったので、黒子は少し驚いた。彼は羅列した文字を見るとすぐ眠気に襲われるタイプだと思っていた。実際、館内に入って黒子が何冊かの小説を机に並べても、右隣に着席した黄瀬はファッション雑誌を一冊手に取っただけで、しっかり目を通している様子でもなく、本当に楽しいのだろうか、と黒子は首を傾げたが、時おり目が合えば、彼は目元を綻ばせてずっとにこにこしているので、少なくとも不愉快な感じではなさそうと、黒子は手にした小説の世界に没頭した。
 いくらか時間が経つと、黒子の耳に『プーン』と音が聞こえた。微かに耳を突くその音の正体は、夏の風物詩でもある『蚊』であった。それまでに沈黙を守っていた図書館という要塞へ、たった一匹の身で侵入を果たした小さな風雲児は、黒子の目の前を一旦通り過ぎ、獲物を見定めるように周囲を警戒して見て回ると、標的目がけて一寸の光のごとく飛んだ。それは黄瀬の左頬だったので、黒子は、あ、と思うが早いか、黄瀬の隙だらけの横っ面にイグナイトパスならぬ、ビンタを、バチン、と盛大にかました。
「いってえええ!!」
 すると途端、黄瀬の絶叫が館内にこだまする。静寂を貫いていた他の利用者たちの視線が刺さる。黄瀬ひとりが気まずい雰囲気になってやや腰を引いたが、けれども持ち前の整った顔に、さすが、すぐさま無理やり笑みを浮かべて、周りにぺこぺこと愛嬌を振りまいた。
「黒子っち! いきなりどうしたんスか!? めっちゃ痛かったっスよ!」
 小声で訴えかけてくる黄瀬に対して、黒子はひと仕事を終えて、落ち着いた様子で額をぬぐった。
「すみません。黄瀬くんの頬に蚊が止まったのが見えたのでつい」
「えっ、蚊?」
 黄瀬が素っ頓狂な声で、口をぽっかり開ける。
「気づかなかったんですか?」
「うっ、その、ちょっと集中してたっていうか」
 黄瀬はいつも達者な口をめずらしくごにょごにょと窄め、少しだけ赤く色づいた頬に手を重ねた。うつむき、また顔を上げて、今度はいたずらっ子のような笑みをいっぱいにし、黒子を見た。
「オレ、黒子っちが本読んでる横顔が好きで、見てたんス、ずっと。幸せだなあって」


2019.07.27(お熱いようでございます)