中学二年生に進級し、クラス替えが行われてから二カ月を越そうとしていた。日に日に増す昼間の気温に、長袖シャツにネクタイをきっちり締めてブレザーを羽織っていると、少し汗ばむようになった。今も汗がじんわりと滲んで眼鏡がずり落ちそうになるが、両手が塞がった状態でいちいちどうにかする気にもならない。オレはそれを邪魔くさく思いながらひとりで廊下を歩いている。 すると背後で、おおい、と声がした。だらけた空気が雑然とはびこる廊下に恥ずかしげもなく、おおい、とでかい声が響き渡る。終いにはそれと同じ声で、緑間ァ、と人の名を連呼し始める。 「おおいっ、ちょっとそこの、緑間真太郎くーん」 ヤツからそう呼ばれることに対する気味悪さにげんなりしてオレはとうとう振り返った。 「いったい何だと言うのだよ、青峰」 背後から片手をかかげて近づいてくるのは、今年度から同じクラスとなった青峰大輝だ。ブレザーもネクタイも着用せず、カッターシャツを肘まで折ってなかなか涼しそうな格好をしている。それを見た瞬間、オレはだらしないと息を吐いた。オレが所属するバスケ部のチームメイトでもある男だが、ヤツのクラス内や授業内での態度はオレが一年かけて部内で築きあげてきた青峰像そのものだった。 良く言えば人懐っこく快活、悪く言えばただの阿呆である。 「おっ、やっと止まったな。人が何回も何回も呼んでるっつうのに無視しやがって」 「オレは何か用かと聞いている」 あいにくオレにはやらなければいけないことがあるので、今度は強めに言い切ってやる。すると青峰はいっそう笑顔を深くした。 「ああ、お前──」 しかしそこで青峰の言葉は途切れた。 「よっ、青峰!」 と言う声に遮られたのだ。声をかけてきたのはオレの知らない男で、青峰と同じくらいかそれ以上に制服を着崩しているのが気に障る。 青峰はすかさずその声に答えた。 「おう、クラス別れてから久しぶりじゃん」 「ホントだよ。毎日真面目に授業受けてんのか?」 「バァーカっ、オレはいつだって真面目だよ」 どの口がそれを言うのだよ。 ひとり胸中で毒づいている間にもヤツらはじゃれるように肩を叩き合って、親しみ深く笑っていた。 青峰は基本的にパーソナルスペースが狭いのだ。それは部内でよく見て取れた。特に、最近相棒と呼び合う仲になったらしい男との距離は顕著だった。その距離がオレには分からない。付き合う人間も、付き合い方もオレと青峰とではまったく違う。 「そんじゃあまた暇なときにバスケ誘ってくれよ」 「おー」 そんな気の抜けた会話を最後に男は去り、青峰は再びオレに向き合っていた。 「わりぃ、わりぃ。んで、何だっけ?」 「おいっ、オレを呼び止めたのはお前だろう!」 「そう言やそうか」 ずいぶんあっけらかんと言うものだから、オレは呆れを通り越して押し黙る。邪気なく振る舞う様子が青峰そのもののような気がして、いつもなぜだか憎めない。そういう奴なのだと納得させられる。 そこで青峰は鼻の頭を掻きながら照れたように笑うとようやく口を開いた。 「お前にテツ見なかったか聞こうとして」 「黒子?」 なぜここで黒子が出てくる? 「いや、知らんが」 「あっ、そうか。じゃあいいや」 意外にもあっさりと青峰は諦め、背中を向けてこの場から早々に立ち去ろうとする。しかしそれを、青峰大輝、と呼ぶことで次はオレが引き止めた。 「お前、なぜここにいるんだ? お前の班の担当は教室だっただろう」 「えっ、あー、あー……いいじゃねえかべつに」 青峰の表情が途端ひきつった笑みに変わる。 「今は、放課後の清掃時間内なのだよ。青峰、お前まさかサボって抜けて来たんじゃないだろうな」 瞬間、青峰はオレに背中を向けて走り出した。それぞれ箒や雑巾を持った生徒を器用に避けながら、あっという間に向こうまで駆けていく。 付き合う人間も、付き合い方も違う。オレたちの共通点は、バスケだけだと考えていた。けれど、ヤツと同じクラスに放り込まれた時点で、オレはすでに青峰のことを捨て置けずにいられなくなったのではないかと思う。 「青峰ぇ……ッ!」 腹の底から力いっぱい叫んだらオレの両手を塞ぐゴミ箱の屑たちがガサリと合唱して大きく揺れた。 2014.10.20(秀才くんと不真面目くん) |