生徒会活動が長引いていた。時刻は17時。赤司は部活が行われている体育館へ足早に向かう。 すると前方から見慣れた人物がこちらに走ってくるのが目に映った。黄瀬が慌ただしく手足をばたつかせて走ってくる。いつも清潔にまとめている金髪を振り乱し、女生徒に持て囃される顔面は情けなく崩れている。 黄瀬の弱った目と赤司の目が合った瞬間、 「赤司っち!」 怒号にも聞こえるような声で黄瀬が呼びかけるのに、赤司は少し引きながらその場で足を止めた。黄瀬もつんのめるようにして赤司の寸前で止まる。 「どうした、騒々しいぞ、黄瀬。部活中だろう?」 「赤司っち、どうしよう、黒子っち、黒子っちが」 「黒子?」 「黒子っちが吹っ飛んだんっス!」 「はあ?」 いまにも泣き出しそうなきらきらしい顔がずいっと赤司へ迫る。少し近すぎる距離感に、赤司はさらに後ろへ身体を引きながら問い直した。 「黒子が何だって」 「だからっ、黒子っちが引き留めて手に当たってそのままポーンッて」 「黄瀬、その説明ではよくわからないよ」 黄瀬を見上げると、彼はじれったいように唇を噛み締め、胸の前で両方の拳を強く握り込んでいた。 「とにかくっ! 黒子っちが吹っ飛んだんっス!」 同じことしか言うことができない人間は、ヒトの言語を話さない犬と同じだと赤司は考えた。 事情もなにも理解できないまま、赤司は黄瀬に腕を引かれて体育館の扉をくぐった。そこでまず赤司の目に入ったのは、騒然と、あるいは呆然と一角に群がる一軍部員たちだった。その少し離れた場所に紫原がぼんやりした様子で突っ立っている。赤司は瞬時に群がる輪の方へ意識を向けた。黄瀬もそのあとにくっついていく。輪の中心には緑間が片膝をついて静かにしゃがみ込んでいる。そのさらに下へ目を向けて、赤司ははじめて状況を理解した。 黒子が血の気の引いた白い身体を体育館の床に横たえていた。目を閉じてぐったりとして、ぴくりとも動かない。 赤司はすばやく緑間の隣にしゃがんで、状況を聞きはじめた。 「何があった?」 「はじめはいつものように紫原と黒子が言い争っていたのだよ。だが終いに立ち去ろうとした紫原を黒子が引き留めようとして、紫原が振り払った手に勢いよく身体を押されたらしい。オレもその瞬間をよく見ていなかったからはっきりとは分からん。だが見ての通り黒子は倒れたまま動かないのだよ。頭を強く打っているのかもしれん。今は青峰に、席を外していたコーチと養護教諭を呼びに行かせている」 緑間は、早口で言い終えた。中学生の頭で、詳しい状況も分からずそこまで冷静に対処したのはさすが緑間だ。内心では不安や焦りを抱いていたとしても、それを外に漏らさないだけ彼は大人びている。 赤司は立ち上がって速やかに口を開いた。 「一軍部員は他の体育館に移って部活を再開すること。緑間はここに残って青峰と、先生方が来るのを待っていてくれ。──紫原の話はオレが聞く」 不穏な空気が漂う中、そこまで言い切って赤司はいまだに距離を置いて立ち尽くす紫原を見据えた。 場所を部室に移す。電気は点けずに、赤司と紫原のふたりきりで薄暗い部屋のベンチに腰かけた。活気がなく、ひんやりとした冷気が流れる。 「それで今回の言い争いの原因はなんだ、紫原?」 紫原は口を閉ざすばかりで、答えない。赤司は言葉を続けた。 「黒子を突き飛ばした時の衝撃はどんなだった? そんなに強く当たったのか? 黒子はどの部分から倒れたんだ?」 矢継ぎ早に赤司の口から飛び出す質問に、ようやく返ってきたのは、嗚咽だった。巨体をうなだれさせているため長い髪が紫原の顔を覆っている。その間から大粒の涙が彼の練習着にひとつ落ちると、止まらなくなった。 「紫原、泣くな。オレは何も、お前だけを責めてるんじゃないよ」 赤司にとったらできる限り柔らかく諭すよう言っても、紫原は泣くばかりだった。子どもが何か我慢して泣くように肩をびくつかせて嗚咽を漏らし、時折ずるずると鼻水をすする。赤司は一度口を開きかけたけれどそれを飲み込み、最後の質問に変えた。 「黒子を突き飛ばしたのは故意だったのか?」 瞬間、紫原はぶんぶんと首を何度も横に振った。 今の彼らは子どもと大人の境界線で行ったり来たりを何度も繰り返している。まだ未完成な幼い心が一時の感情にまかせて無意識の内に相手を傷つけると同時に、自分の手で友達を傷つけてしまったことを深く悔いる心が彼らの中に存在するのも確かだ。今、紫原が流す涙の意味も、きっとそういうところではないか。 だったら、と赤司は静かに口を開く。 「ただ謝ればいいんじゃないか。ひと言きちんと謝れば許してくれるんじゃないか。オレから見た黒子はそういうヤツだ」 もう赤司は何も言わなかった。ただ黙って、紫原の呻くような嗚咽に耳を傾けた。 2014.10.09(未完成な子どもたちの心) |