テキスト | ナノ

 かんかん照りの晴れ間。見上げる空はどこまでも真っ青で、そのなかに雲の白さが溶け込んでいた。
 昼食を取ったばかりの午後一番の授業は、他のクラスと合同の体育だった。今日は外で野球をしている。日中、おそらく最も気温の上昇する時間帯の陽光はまるで凶器のようで、体操服の半袖から覗く膚を遠慮なしに刺してくる。
 長い間、炎天下に晒されて、すこしヒリヒリする腕を手のひらで擦っていたら、「大丈夫っスか、黒子っち?」と頭上から声が振りかけられた。見上げた先には、困ったように眉をハの字に垂れてちょっと首を傾げる黄瀬がいた。このゲームでは彼はセカンドを守備する役割を担っており、黒子は現在そこに留まる敵の走者だった。
 しかし敵、味方などの区切りをまるで何とも思わない黒子は、黄瀬との会話へ応じることに決めた。
「はい。すこしだけヒリヒリするくらいです」
「こう暑いと嫌になるっスね」
 そう言った黄瀬のこめかみから汗がツーっと頬を伝い、顎まで落ちてくる。黄瀬は体操服の襟もとを引っ張ってそれを拭った。その瞬間。
 カキン━━ッ!
 気分の爽快になるような音がグラウンド内に響き渡った。打席に立っていた黒子のクラスメイトが見事にバットでボールを捕らえたのだ。けれどもそのボールはあらぬ方向へ飛び、奮闘も虚しくファールだと宣告されてしまった。
「すごい良い音したっス。野球ボールってけっこう飛ぶもんなんスね」
「そうですね」
 グラウンドのフェンスのところまであっという間にボールが運ばれていく。黄瀬は右手を目の上に翳して、それを目で追った。彼を通して向こう側を見ると、レフトを守備する紫原が大きなあくびをしていた。ボールに一番近いところにいるけれど、動く気はまったくないらしい。代わりに他の人がわあわあ言いつつボールの回収に駆り出されるのを、黒子が眺めていると、地面に映る黄瀬の影がふと揺らめいた。
「ね、黒子っち」
 背中を向けて、黄瀬が黒子にそっと呼びかける。黒子はゆっくりと黄瀬を瞳に映してから、はいと答えた。黄瀬はいまだに空のどこか遠くを見ている。
「もしオレが空から降ってきたら、黒子っちは受け止めてくれる?」
「何ですかそれ」
「だから、もしもの話っスよ。簡単なナゾナゾみたいなもんだと思ってさ」
「……そうですね……」
 黒子は顎に手をあてて、頭のなかで黄瀬の言う状況を想像してみた。それはあまりにもあり得ない状況で、黒子はすこしだけ時間をかけて、自分なりの答えを胸に抱いた。
「おそらくボクは、ボクのできる限りの力でキミを受け止めようとするでしょうね」
 果たしてこれが正解なのかはわからないが、きっと自分はそうするだろうという確信があった。困っている人がいれば放ってはおけない。それが部活のチームメイトであれば、いいや、黄瀬であるからこそ、なおのことだ。どうして彼だけ特別なように思えるのかは、まだ心の整理がつかないけれど。
 黄瀬は黒子が言うのを聞いて、ようやくこっちを振り返った。仕掛けたイタズラが成功して満足した悪い子どもみたいに、ニッと唇の両端を持ち上げて笑っていた。
「ならオレはもう百人力っス!」
 そのとき、またバットのカキーンッとヒットする音が響いた。
 どこまでも青く染まる空の先を、小さな白い球が一直線に裂いて飛んでいく。綺麗な放物線を描いてこっち目掛けてやって来る。けれどもそれは、やがて力を失い、落下するのだ。パシッと乾いた音をさせ、黄瀬の頭上にかまえたグラブのなかへ吸い込まれていった。
「これでアウトひとつ、ってね」
 手のひらでぎゅっと握ったボールを黒子に見せた後、黄瀬はそれをピッチャーに返球する。その頬には、また玉のような汗が伝い流れていて、太陽の光にきらきらっと輝いていた。


2016.08.15(落下してゆく林檎と同じ)