お気に召さない一つの呼吸




チョウの羽ばたきが嵐を起こす。
バタフライ効果と呼ばれる、有名な学説だ。
俺はそれを初めて聞いた時、そんな事で世界が動くのなら、一日に何回嵐くんねん、と妙に反発した覚えがある。その頃はまだ大阪にいた従兄弟は、呆れたようにため息をついていた。実際には、気象予報がなぜ外れるのか、という話だったのだが。


懐かしい話を始めたのは白石だった。なあ謙也、バタフライ効果って知っとる?
今までその話を思い出すことなんて一度も無かったのに、白石の言葉を聞いたとき、何の障害もなく、昔従兄弟とした話を思い出した。

「どしたん、急に」

部活終了から30分経った部室には、俺達以外誰も居なかった。相変わらず帰るのが速いって、普段は俺もその中の一人……寧ろ一番早く帰っているのだが、今日は部室に残っていた。残って、白石を待っていた。
理由なんてない。ただ偶に、気が向いた時だけ、こうして部誌を書く白石を待っている。

「いや、知っとるかなって思って」
「知っとるけど…」

特に会話もなく過ごしていたのに、白石の言葉は正に唐突だった。俺は首を傾いで、それを見た白石は少し笑った。

「……何やねん」
「いや、謙也はな、」

「自分の行動が、何かに影響を与えとるかもって考えた事無い?」

今、この瞬間に。

「………え?」

じ、っと見つめられた。
何やねん、それ。意味分からん。そりゃ、生きとる以上周りに何の影響も与えずにいられるとは思って無いけど。
言葉は次々浮かんで来たけど、どれも口には出なかった。白石が、何かを伝えようとしている気がした。何を?分からないけれど、白石が望んでいる言葉はこんなことじゃない。

「謙也、」
「………」

沈黙。
後に続いたのは、ため息にも似た白石の笑い声。

「ごめん。何でも無いわ。忘れて」
「……忘れろて、お前」
「帰ろか」

不自然に切り上げられた会話。本当は少し安心した。白石は俺に俺が周囲に与える影響について聞いたが、白石は自分の行動が俺に与える影響については何も分かっていない。
見つめられた時に跳ねた心臓はうるさいままだった。

自転車を押す白石の後ろをついていく。会話は無い。俺はそっとため息をついた。チョウの羽ばたきが地球の裏側で嵐を起こすと言うなら、このため息が、ここにいる俺達の関係を少しでも変えてくれればいいのに。
嘘、本当はずっとこのままでいたい。


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淫欲さまへ。