内緒話をしよう/実葉 | ナノ


内緒話をしよう



 なぜかはさっぱりわからないが、かれはおれを見ると、どこかさみしげにはかなげにわらう、気づいたのはいつのことだったか。

 コーヒーにはこだわりがあるといって、かれはいつも青いなかに金の浮く炒り豆の缶を買ってきた。かすかにぬくもりののこるベッドに驚くほどそのかおりは合っていて、どんな夢のなかにいようともおれは重たいまぶたを持ち上げるしかなくなる。
 おはよう、眠たげな声を手向けると、かれは「おはよう」、醒めた声をかえす。朝にとんでもなく弱いくせに朝早くに起きて、必死に頭をたたきおこして、決まった時間に飲むコーヒーでおれを起こす。

 まどろみのなかで、その香りに溺れるのがすきだった。かれが、マグカップをかたむけて、ちいさくのどを動かす。すこしだけ開けた視界のなかに、その姿を見つけるのがすきだった。
 うつわをまわすきれいな指はまるで磨かれた陶器のよう、みつめながら、かすれたこえで「おはよう」と。


「ねぇ、小太郎、ラプンツェル≠チて知ってる?」
「ん、なまえくらいは。ええと、なんだっけ、…………ああそうだ、みつあみ!」
「ラプンツェルを食べないと死んでしまう、って。でもラプンツェルは魔女の庭にしかなかったから」
「そんでラプンツェルは魔女に連れてかれたんだっけ? でも、えっと、王子と恋人どうしになったことを言っちゃって、追い出されたんだったよね?」
「童話ではね。本当はこどもができたのよ」

 コーヒーを飲む、レオ姉の表情は穏やかだ。おれはベッドに転がったまま枕を抱いて、ごろごろごろ。一方的な会話のときにはおれ一瞥もくれないなんて、いつものことだったけど。

「こども」
「そう、それも男女のふたご」

 それきり、レオ姉はだまる。だまってしまう。

 レオ姉が朝起きてすぐにスイッチをいれたのであろうエアコンは、やすむことなく働き続けている。ゴウンゴウン、聞こえるのはそればかりだ。
 おれとレオ姉に横たわる関係をそのままマーカーで縁取ったような童話だといえば、レオ姉はわらうだろうか。わらわないよね。わらうことだって無意味だとして、また無表情でコーヒーを飲み込む。おれを見ない。
 試合ちゅうでなくても、まっすぐおれを見てくれればいいのに。
 おれはずぶりと枕にかおを埋めた。

 よる、おれはけっこうな頻度でレオ姉の部屋をたずねる。
 理由はいろいろ。眠れなくても、眠たくても、いつもレオ姉は迎え入れてくれる。ベッドに横たわるおれの髪をするりと撫でて、でもじぶんはぜったいにベッドで眠らない。いつもなのだ。ベッドはかざりとして部屋に押し込められていて、好かないと言って、ぜったいにソファでめをとじる。だからおれが来ても、まったく困らない。シングルベッドにはおれの香りばかりが染み込んで、いみなんてなく。
 さびしいなぁとひとりぶんの熱をかきあつめた。

「なぁ、レオ姉」

 振り向かない。
「なに」、短い問いかけ。語尾は下がったまま、なにも感じていないような二文字が部屋に落ちる。

「おれ、塔のてっぺんで、コーヒーいれとく」
「…………」
「だから見つけてよ」

 しずみこむ。かきあつめた熱はふわふわと空気中に消えて、やがてぞくりとした冷えたシーツだけがあとに残った。
 おれはレオ姉にすきだなんて言われたことはない。おれだってすきだといったことはない。いえない関係なのだ。つらいことがあったなら慰めて、でもレオ姉はじぶんからはいわないから、おれは察して入り浸る。センチメンタルになれはしないくせに憧れた関係だ。

「待つ」

 また二文字、レオ姉は笑みをかみ砕きながらわらう。なにもかもを指先で漉きながら、うつくしいことばね、きたならしいことばね。真逆を込めて、それでもやっぱり。

「待ってるよ」

 際限なく繰り返すのだ。それはおれの喉を這い出る欲望。だってレオ姉は、じぶんから歩き出さないとじぶんだっていえないひとだから、仕方がないのだ。
 さびしいいろをした部屋でやっぱりひとり、コーヒーを飲んでるんでしょう。からっぽになったくせに、気づかないふり。継ぎ足しもせずにまるごと咀嚼して。

「あんたって、馬鹿よねぇ」

 ほら、泣きそうにわらう。そんなときだけおれを見ちゃって。離れた距離はわずか五メートルほど、すぐに縮められるたいしたこともないくらいの、五歩ぶん。レオ姉はいつだっておれを慰めてくれる。慰めるふりをして、結局あたたまってしまうのは、おれなんだけど。

「ね、レオ姉」

 マグカップをおいたレオ姉は、また「なあに」と。今度は伸ばして三文字。
 馬鹿でもいいよ、なんでもいいよ、おれがレオ姉の横にいて、レオ姉を抱き締めていいなら。おれのぜんぶをあげるよ。だから、だから。

「っ、」

 泣きたくなる。いつもはむだにカラカラまわる舌のくせに、どうして大事なことばは絡まりつくだけなのだろう。
 だから、だから。

「また慰めてあげるわ」

 かきまわした熱を、指先でやわらかく繋げて、おひめさまを抱き締める、秘事。
 きみとねむる、そんなゆめをみている。



僕らの青春』様に提出させていただきました。テーマ『キセキ以外×キセキ以外』

実葉にはどこか紫赤に通じるものがあるとおもうのですが、どうでしょう。
もっと増えればいいのに!

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