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ある日の放課後
名前は、担任へ日誌を提出するために職員室にきていた。
担任と二言三言会話し、職員室を出ようとすると、美術部顧問に引き止められてしまった。

夕日が校舎を照らす時間。


「苗字、悪いんだが、この教材を美術準備室に運んでおいてくれ」

「え、あ、はい…」

【氷帝学園中等部美術部部長】これが名前のもう一つの肩書きだ。
めんどくさい仕事だが断れないものは断れない。
名前は言われたダンボールを持ち上げる。

ズシ…

持てないわけではないがだいぶ重い。
隙間から中を覗くと、画用紙や鉛筆、奥には絵の具のようなものも見えた。

「(重いわけだ…)」

名前は小さくため息をつくと意を決して歩き出した。
しかし・・・

ドシッ

「うっ」

「これもよろしくな!」

授業で配るであろうレジュメと、石膏。
そう、量は少ないものの、【石膏】と書かれた袋がダンボールに乗せられたのだ。

「・・・」

今置いてしまっては次に持ち上げることは不可能…そう考えた名前は一歩一歩歩みだした。























あっちへフラフラ、こっちへフラフラ


少なくとも見ているだけでヒヤヒヤするような歩き方だったが、残念なことにいつもは生徒でにぎわうこの廊下も、今は人っ子一人いない。


「…タイミング悪すぎ…」


名前の腕、腰はともに限界に近づいていた。
もしかしたら限界を突破しているのでは、と感じるほどであった。


「あ・・・」

そこで名前は新たな問題を思いだした。


「階段…」


そう、この先には階段がある。
普段の生活では特に苦とすることはない、1階ぶんあがるだけの階段。
急勾配でも段数が多いわけでもない、いたって平凡な階段。
しかし、今の状況は大荷物での山登りを強要されているに等しかった。


「ここでおいたら、たぶんダンボールすら持ち上げることできないとおもう…が、がんばろ・・・」


ヨロヨロと階段に向かう…その時だった。


フワリ


突然両手にあった荷物が消えた。
重い荷物がなくなったことで体が中に浮いたかのような錯覚に陥る。


「えっ、え!?」

「ウス」

声のしたほうを振り返ってみれば、さきほどまで持っていた荷物を持つ大きな体をした生徒と


「危なっかしいヤツだな」


氷帝学園で知らない人はいない、キング跡部景吾だった。


「あ、あああ、跡部、くん」

「よお、苗字。だいぶの大荷物じゃねーの」

「え、私の名前、え?」

「一緒のクラスになったことがねぇのになんで?って顔だな。俺様はこの学園のキングだ。生徒全員の顔や名前くらい把握してる。ましてや、てめぇは美術部の部長だろ」


名前はただただ驚いた。
学園の王が自分の名前を知っていて、なぜか付き人(大柄の生徒)が自分の荷物を持っている。
そして、あろうことか王である跡部景吾が自分に話しかけている。


「あの、あの、…」

「この荷物、美術準備室でいいのか?」

「え?」

「頼まれたんだろ?ったく、こんなの女1人で持つ量じゃねぇぞ。よく運べたな、ココまで」

褒めてやる、と口角をあげる顔は、やはり美しかった。
名前はただ、その顔をぽけ、と眺める。

「何アホ面してやがる。美術準備室でいいんだな?」

「…え、あ、はい!」

「フン、樺地」

「ウス」

跡部の呼びかけとともに樺地、と呼ばれた生徒が歩き出す。

「あ、あの、樺地くん、わたし、その、せめてレジュメだけでも持ちます!」

「いえ、だいじょうぶ、です」

「私が頼まれた仕事なので、少しでも…」

「・・・」

どうしたらいいか、そう跡部に目で訴える樺地。
跡部は顎で指示を出す。

「では、レジュメだけ、持って、ください」

名前がとりやすいように少しかがむ。
レジュメを手にしたとき、ちょうど引っかかっていたのか、石膏の袋が一つ落下した。

「あ!」

名前が思わず声をあげるも、袋は床へ落ちることなく

「つくづく危なっかしいヤツだな」

跡部が受け止めていた。

「貸せ、樺地」

「ウス」

跡部はひょい、ひょい、と石膏の袋をダンボールから拾い上げ、腕に抱えた。


「これで落ちねぇだろ。行くぞ」




















美術準備室に向かうまで、樺地は少しソワソワしていた。
名前もそれに気が付き声をかける。

「樺地くん、どうしたの?」

「いや…その…跡部さん」

「アーン?」

跡部はその声に振り返る。

「もちます。石膏。」

ああ、と名前は納得した。
まるで付き人のごとく跡部のそばにいるこの少年は、自分が一度持った荷物を跡部が持っているという状況に対応しきれないようだった。
跡部は樺地を見ると、フ、と笑った。
綺麗に笑うなぁ、と名前は跡部を見てなんとなく感じた。

「バーカ。この俺様が女に荷物持たせて自分だけ持たねぇなんてありえねぇんだよ」

だから黙って俺についてこい、跡部はそういうと再び歩き出した。

「ウス」

跡部の一言で納得できたのか、樺地も跡部に続く。
言葉にできない信頼関係を見た気がした、名前はそう思いながら二人を追った。











学校が広いのは見た目には素晴らしいが生徒としては少し困る。
やっと目的の教室、美術準備室の目の前に立ったとき、名前は一人ではまず辿り着くことすら出来なかっただろう、と感じた。


教室をあけると画材独特の香りが鼻をつく。
名前は二人に荷物を机の上に置くように頼み、改めて礼を言った。

「本当に二人共ありがとうございました!私一人だったらどうなったことか…。助かりました!」

「別に大したことしてねぇよ。なぁ、樺地?」

「ウス」

「な、なにか、その、お礼、でも……」

「アーン?そんなのいちいち気にしてんじゃねぇよ。…そういや、苗字は今何を作ってんだ?」

「え?」

「美術部なんだからなんか作品制作してんじゃねぇのか?」

「こ、今度、デッサンスケッチコンテストがあってそれにとりかかろうかと…」

「ほう…どんなコンテストなんだ?」

「鉛筆のみでキャンパスにスケッチするんです。対象物は物でも風景でも人でもなんでもよくて、よりリアルに見る人に伝わるようなものを描いた人が優秀だとされるんですよ」

名前は、少しはにかんだ。
あまり、自分の作品の話をすることが無いので気恥ずかしかった。


「題材はもうきめたのか?」

「いえ、まだです」

「ふぅん・・・お前の作品、ないのか?」

「え、デッサンのですか?」

「そうだ」

「あ、ありますけど・・・」


「見せてみろ」

「え、あ、はい…、こっちです」

名前は美術室に続くドアをあける。

「不用心だな、作品を他の生徒が使う美術室に置きっぱなしなのか?」

「そうですが…そうでもないというような…」

「?」

名前は美術室に入ると生徒たちの作業場を抜け、さらに奥にある扉の鍵を開けた。

「ここは…?」

「美術室ってすごく大きいんですよ。昔、彫刻を作るのがすごく得意な生徒がいて美術室の端で作業してたらしいんです。そしたら、まあ、ふざけた一般生徒が掃除の時にその子の完成間近の作品を…」

「壊したのか」

「はい…。それから簡易的にですが美術部の部室兼一部部員の作業場、作品置き場ってことで美術室の半分を簡単な壁で仕切って鍵をつけたんです」

「お前はその一部部員なのか?」

「…生意気なんですが、人の話し声の中作業することが出来なくて…。みんなわいわいしてるんですけど、私と他の数名の生徒はこ

っちで作業してるんです」

「ほう…」

「あ、一応ここが私の作業場です」

名前が指さした先には山積みのスケッチブックや大量の鉛筆などがおいてあった。

「汚いでしょう?」

名前は困ったように笑った。


「いつもここで書いているのか?」

「そうですね。時々、跡部くんが練習してるのも見えますよ?」

名前が指をさしたのはテニスコート。

「皆さんすごい人気ですよね。忍足くんは同じクラスなんですがクールなのに気さくに話しかけてくれたり、そういうところが魅力的なんですかね」

「(忍足が話しかける…だと?)まあ、この俺様が一番だがな。…ところで苗字。お前、お礼がどうこうって言ってたな」

「は、はい」

「このスケッチコンテストの題材は決まってねぇんだよな?」

「はい」

「ならこの俺様を描け。誰よりも美しく気高く、それで賞を取ってこい」

「はい……ってええぇ!?」

「不満か?」

「不満、というかその、恐れ多くて…それに、私あまり跡部くんに会う事もないですし…」

「特別にテニスコートに入れてやるよ。とりあえず連絡先教えろ」

「い、いいんですか?」

「他の女子生徒に漏らすんじゃねえぞ」

「はい」









翌日

「ど、どうしよう…画材は持ったけど、え、私、本当にテニスコートに入っていいの…?」

名前は頭を抱えていた。
あれは跡部の気まぐれではなかろうか。
一生徒の自分にそんなことを言うはずが…
名前は頭が煮えるような感覚に陥った。その時だった。

「苗字さん、そろそろ行こか」

「え?」

忍足だった。優しく笑いながら名前を見ている。

「行く?」

「何言うてんねん。跡部の命令ちゃうん?俺様を描けーって。」

「え!?あれ本気だったの!?」

「跡部はあんなんやけど嘘は言わへんで。現に、俺に苗字さんを部室までつれてこい言うてきたわけやし」

遅れるで行こか。忍足そういうともう一度、名前を見つめて笑った。





部室

氷帝学園の女子の誰もが憧れてやまない秘密の花園。
氷帝学園中等部男子テニス部部室に名前はいた。

「(場違い臭がやばい…!)」

知らない二年生からは誰だ誰だとジロジロ見られるも、樺地はさも当たり前のように名前にお茶を出す。
その様子から忍び込んだわけではないと理解するも、暗黙の了解で女性は立入禁止なのだからやはり困惑。
忍足は跡部の命令やから、と詳しい話をしないまま、どこかに行ってしまった。

逃げ出したい…

名前がそう思った時、扉が開いた。
跡部かと思ったがそこに立っていたのは

「あれ?なんで苗字がいるんだ?」

「し、宍戸くん!」

一年、二年と同じクラスだった宍戸だった。
緊張が少しずつほぐれていくのがわかり、名前はことの発端から現在までの経緯を話した。

「と、いうわけでコンテストまでおじゃますることが多々あると思います。お邪魔するだけだと申し訳ないのでなにかできる事があったら言ってください。詳しくは跡部くんに…「待たせたな」

今度こそ本物の跡部が扉を開けて立っていた。

「その様子だと苗字に話は聞いたようだな。氷帝学園の会長たるもの生徒のコンテストに一肌脱ぐのも当然…てめぇら、くれぐれも苗字の邪魔すんじゃねぇぞ」

跡部は口角をあげ、にやりと笑った。
名前は大事になってきたことに若干胃痛を感じながらもこれから、この人を描くのか、と胸の高鳴りを感じていた。



練習がはじまった。
気持ちのいい打球音が響く。
名前はいてもたってもいられず、ちょうど水を飲みに来た忍足に声をかけた。

「あの!忍足くん!」

「どないしたん?」

「私、テニスとか間近で見るの初めてで、ちょうど一番近いコートで忍足くん練習してるし、忍足くん描いてもいい?」

「俺をモデルにしてくれるん?」

「れ、練習だけど…」

「プッ…正直やなぁ、自分。本番は跡部やもんな。俺やったらいくらでもかまへんで。せやけど、描いたら見せてや?」

「えっ恥ずかしいよ」

「ギブ&テイクや。ほな、楽しみにしとるでぇ」

そういうと忍足はさっさとコートに戻ってしまった。
名前は肩を落とすも約束したものは仕方ないと鉛筆を走らせた。





一つ一つの仕草や目の動き、唇の開き方…名前は忍足しか見ていなかった。
集中するとそれ以外見えなく、聞こえなくなる。

ガリガリガリガリ

徐々に出来上がっていく天才・忍足侑士。




出来上がりは上々だった。

「出来たん?」

「忍足くん!うん!出来たよー」

「見せてー…って、すご!?なんやこれ!?うますぎやろ!」

「えへへ」

「どーしたんだよ侑士〜」

ぞろぞろと人が寄ってくる。
名前は困ったように笑いながらも、すごい、うまい、といった賞賛の声に胸を躍らせた。



それからというもの、多くの部員をスケッチし、その絵を本人に渡す、というループが出来ていた。
ただ、一人を除いては


「なんで俺様の絵がいつまでたってもできねーんだ?」

「ご、ごめんなさい…なんか納得できなくて…」

跡部の絵も何回も描いた。
他の部員からも賞賛された。しかし名前本人は気に入らない。

「ちょっと初心に戻って明日は部室で描くね…」

「ああ、明日は部活も休みだから俺も行くぜ」

「わかった」






翌日
誰もいない美術室には名前一人。
そして

「よぉ」

扉が勢いよく開き、そこには

「あれ?跡部くん一人?」

跡部が立っていた。
隣にいつもいる樺地はいない。

「今日は樺地は帰らせた。たまにはあいつにも休ませてやらねぇとな」

「そっか」

「奥で作業するのか?」

「うん、落ち着くし」

「そうか。よし、行くぞ」

名前はうなずいて奥の扉を開ける。
跡部もそれに続く。


「よかったら座って」

名前が差し出した椅子に腰を下ろし、外を眺める。
窓を開けているので風が入り、跡部の淡い色をした髪が揺れる。

「綺麗だね」

「ん?」

「跡部くん」

「当然だろ。…それより」

「なに?」

「敬語じゃなくなったな」

「うん、そりゃ毎日のように一緒にいたら抜けちゃうよね。敬語の方がよかった?」

「いや」

今のままでいい、跡部はそういうと窓へ体重を預けた。

「少し休む」

「うん、いつもお疲れ様」

「フン、苗字にねぎらわれるとはな」

「だっていつも頑張ってるじゃない」

ここ数日、名前はずっと跡部を見ていた。
見なければならない状況だったといえばそうなのだけれど、やはり引き付けられるのには意味があるんだ、と感じた。

「生意気言うじゃねぇか」

「本音だから」

名前は鉛筆を走らせた。






しばらくして

「んー・・・やっぱり納得いかない…」

どうしても跡部を描くことができない。
皆からはきっと称賛されるだろう。
欲しいという雌猫もいるかもしれない。
それでも名前は納得できなかった。

確かに、跡部は常に輝いて、みんなを引っ張る王様だ。
しかし、名前が描きたいのは、跡部景吾そのものだ。

スゥ・・・



「あとべ、くん?」

跡部はすっかり熟睡していた。
名前はきょとんとそれを見つめる。
しかし、次の瞬間なにかがわきあがった。

『あとべくんだ』

名前の脳内に響いた自身の声。

名前は無意識に鉛筆を走らせる。
その長い睫一本も書き逃さないように。








「ん・・・」

「跡部くん起きた?もう19時だよ」

「な、俺そんなに寝てたのか…」

「綺麗な寝顔だったよ」

「フン、当たり前だ。帰るぞ」

「あ、うん」

「描けたのか?」

「内緒」







その後、コンクールが行われた。
びっくりした。
賞を取ってこいとは言われたけれど、まさか

「さい、ゆうしゅう、しょう・・・?」

コンクール結果発表当日。
あの跡部が大急ぎで名前に知らせに来たのだ。

「ああ、とんだ礼だな、苗字」

「え、いや、その、モデルがよかっただけです…」

「苗字さんすごいやん。どないな跡部描いたん?」

「そ、それは…」

「まぁ入賞作品は展示も行われる。その時まで楽しみにしててやるよ」

少し興奮が収まったのか、跡部は踵を返し、教室へと戻っていった。

「#name_2#さん知っとる?」

「なにを?」

「あいつ、A組やねんで」

「!」

「生徒会長やではよう知らせは来たんやろうけど、よっぽど嬉しかったんやなぁ」

ここ、跡部の教室から一番遠いH組やのにな、忍足は笑った。
名前は嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかくテニス部の人気を二分するといっても過言ではない二人が自分に関して話していた状況より作り出された好奇と嫉妬の目をかいくぐる方法を必死で考えていた。





後日、展示会が行われ、嫌がる名前をテニス部で強引にひっぱり、会場を訪れた。
名前の作品は奥だ。

「いや、もう、私作品も結果も知ってるし、私がいる必要ないよね?」

「必要だろ、どう考えても」

「宍戸さんの言う通りです!すごいですよ苗字先輩!」

「この後みんなでお祝いだC〜」

口々に期待の声があがるが、描いた本人である名前は作品に近づくにすれ顔が赤くなっていった。

「顔、赤いぞ」

「ほんまや」

跡部と忍足が指摘する。

「そんなに恥ずかしがるような俺様の絵を描いたのか?」

「全裸とか描いたん?ビーナス誕生的な」

「そんなのはさすがに描かないよ…」


到着した。
そこに飾られていたのは


「寝顔・・・?」


そこにはすやすや眠る跡部が描かれていた。
睫やつややかな唇、サラサラな髪。
今にも目をあけてこちらを見つめそうな、そんな絵だった。

「お前、あのとき…」

「ご、ごめん跡部くん、あんまりにも綺麗な寝顔だったのと、その…テニス部の部長でも、生徒会長でもない、そんな跡部くんを、描きたくて…」

名前はおずおずと答えた。

「フン…最高じゃねーの」

跡部は名前の頭を撫でた。乱暴に、そして優しく。

「俺様のこと、よく見てるな」

「そ、そりゃ、描くって約束したし」

「どうだった?」

「え、描くの?楽しかったよ」

「じゃあ、どんな気持ちで描いたんだ?」


口角をあげる、意地悪な笑み。


「き、きも、ち?」

「ああ、描いててどうだった?俺様に対してなんもおもわなかったのか?」

「あ、あの、それは、誘導尋問というやつでは…」

「黙って答えろよ」

「そ、それなら跡部くんはどうなの?」

「!」

跡部は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを取り戻した。

「俺だけを見て欲しくなった、というべきか?」

「!!!」

ここまできては引き返せない。

「も、もっと」






跡部くんを見つめていたい






王様の

(この俺らの置いてけぼり感どないしたらええんやろな)
(とりあえずこの後の飯で跡部におごらせてから考えようぜ)