目の前には、銀のスプーンに掬われたアイス。 そして外から聞こえる激しい雨音と同じくらい、耳元で心臓の鼓動が踊っていた。 バラバラと、雨粒が庭や屋根や雨戸を叩く。 その音が、がらんどうの家にこだましていた。 今年の春は、雨が多い。 1日降り続いた雨は、通勤途中に渡る川の水位を氾濫寸前まで上げた。 昼過ぎからは強風が吹き荒れ、急遽すまいるは臨時休業。 夕方には、新八から電車も徒歩も無理そうだから今日は万事屋に泊まると電話があった。 今夜は絶対に仕事を休んで家にいろと新八や神楽に何度も念を押されたのを思い出して、妙は小さく笑った。 布団に包まって見上げる天井は、昔と全然変わらない。 こんな夜は、小さかった新八とよくくっついて眠ったものだ。 その少し前は、父親に。 もっと前には、母親に。 静かな夜に響く雨音には風情があるが、不機嫌な低気圧が荒れる音は猛々しい。 ふいに雨戸の隙間からピカリと光が差し込んだかと思うと、空を破るような音が轟いて妙は体を竦ませた。 ‥音が大きくて驚いただけよ。 ビビってなんかないし、怖くなんかないもの。 驚いただけだもの。 と、ひとりで頷いていると、今度は戸を叩く音がして妙は跳ね起きた。 空耳かと耳を済ますと、もう一度ガタリと玄関の戸を叩く音と共に、ちょっとォォ!早く開けてェ!という男の声がする。 こんな時間になんだろうと(日付は確実に変わっていた)、妙が玄関に向かうと、ガラス戸の格子の向こうで白っぽい人影がしきりに戸を叩いている。 驚きつつも呆れながら戸を開けると、銀髪の男と生温い風が飛び込んで来て、妙は慌てて一歩退いた。 「銀さん!」 頭の先から爪先までずぶ濡れた銀時がすかさず戸を閉めると同時に、妙が慌ててタオルを取りに走る。 「銀さん、一体どうしたの?」 犬のように髪から水を飛ばす銀時にタオルを渡すと、 ガシガシと髪を拭きながらコンビニの袋を妙に突き出した。 「溶けちまうから、冷凍庫に入れといてくれねェ?」 「何ですか、もう。とりあえずお湯使えますから、ザッと拭いてから上がってください」 そう言って妙が台所へ消えると、銀時は小さく息を吐きながら羽織っていた着流しを脱いで絞る。 小さくない水たまりが出来るのを見て、苦笑が漏れた。 ―――我ながら、ホントどうかしてるわ。 嵐の音に混じって、妙の足音が小さく響く。 着流しとタオルを抱えて家に上がると、妙が廊下の先で銀時を呼んだ。 「銀さん、こっち。ちょっと古いのだけど、着替えを置いておきましたから。あと、服は乾かしますからこれに掛けといてくださいな」 「‥悪ィな、こんな夜更けに」 神妙に言う銀時を見て、妙はにっこりと微笑んだ。 「フフ、今度ドンペリのドンペリ割を飲みに来てくれるんですよね?」 「そんな金なんかねェ‥スミマセン勘弁してください」 「いいから、さっさとお風呂行ってください。風邪引かれちゃうと困りますから」 そういうと、妙はしわくちゃになった着流しを抱えてトタトタと廊下を行ってしまった。 雨で冷えた身体を温めながら、銀時は髪を掻き回す。 ―――急いでみたが、ちょっと遅くなりすぎたか。 しかし、アレ‥ヤバいだろアレは。寝間着だよアレは。 もしかしたら、寝てるところを起こしちまったかもしれねェ。 まぁ、仕事は休みみたいだったからよかったが。 ぐるぐると頭の中でひとりごちながら、用意された着物を羽織る。 確かに少々くたびれた感じだが、逆に着心地が良かった。 新八が着るにしちゃ、サイズがでかい。 やっぱり親父さんのかと考えながら居間の襖を開けると、妙が一瞬、銀時を見つめた。 「‥丈がちょっと、短かったかしら?」 「んなことねーよ、こんなもんだろ」 言いながら妙の向かいに腰を下ろした銀時に、妙は湯呑みを押し出す。 「で、どうしたんです?こんな時間に突然」 「いや〜参ったわ。ジャンプ忘れたと思って買いに出たら、今週は合併号でよォ」 「こんな嵐の真夜中に?」 怪訝な顔をする妙に、銀時はズズッと茶を啜って頬杖をついた。 「いちご牛乳も切れちまったから、仕方なく出たんだよ」 「一晩くらい水で我慢すればいいじゃないですか、糖尿寸前なんだから」 「バッカお前、いちご牛乳は銀さんのガソリンみたいなもんなんだよ」 「新ちゃんや神楽ちゃんは?」 「あいつらはとっくに寝ちゃってるよ。今日はこの天気の中で走り回ったから、疲れたんだろ」 そう、と妙が小さく微笑むと、銀時は頭を掻いた。 「帰ろうと思ったら、今度は川が氾濫しててよォ。悪ィけど、ちょっと雨宿りさせてもらおーかな、なんて思ったんだが‥」 銀時は妙を見て、神妙な顔をした。 「‥悪かったなァ。お前も、もう寝てたんだろ?」 珍しく率直な男の言葉に、妙は大丈夫ですよと微笑んだ。 ゆるくまとめた髪を右肩へ流し、寝間着の上に一枚羽織っている妙には、当然化粧っ気もなく。 そのためだろうか、いつもよりも心なしかあどけなく見える。 なぜか急に胸苦しくなった気がして、銀時はまた茶を啜って息を吐いた。 そんな銀時を見て、妙はフフ、と小さく笑う。 「銀さんは、詰めが甘いわ」 「あ?」 怪訝な顔をした銀時に、妙は湯呑みを手で包み込む。 「いちご牛乳を冷凍庫に入れたら、凍っちゃいますよ?」 「え?」 クスクス笑う妙に、銀時は慌てて冷蔵庫を見に行った。 いちご牛乳は冷蔵庫に、そして肝心のもの―ダッツの期間限定フレーバーは、コンビニ袋のまま冷凍庫にちゃんと入っていた。 ダッツとスプーンを片手に居間に戻ると、妙はにこにこと銀時を見上げる。 「開口一番に冷凍庫に入れてくれだなんて、銀さんもダッツがお気に入りになったの?」 「いや、コイツが大好きなヤツがいるから、見せびらかしてやろうと思って」 銀時がアイスの蓋を開けると、甘い匂いがふわりと漂った。 「まぁ、もちろん私の分もあるんでしょ?」 「袋の中、見たんならわかるだろ?」 にっこり笑って胸倉を掴もうとする妙の手をかわして、銀のスプーンで一匙掬う。 そのまま口に運ぶと、甘いアイスが口の中いっぱいに広がった。 「うん、うまいわ」 「ちょっと、銀さん?まさか本当に見せびらかしにきたの?」 拳を固める妙に構わずもう一匙アイスを掬うと、銀時は妙の口元にスプーンを運んだ。 「ほれ、アーン」 「‥っ、え?」 驚いて小さく息を漏らした妙の唇に、銀時はするりとスプーンをもぐりこませる。 口の中に広がる冷たいアイスの味に、妙は我に返ると同時に顔に血が一気に上ってくるのを自覚して、慌ててうつむいた。 「な、な、な‥っ!」 赤面して言葉が出てこない妙を見て、銀時はもう一匙口に運びながら畳にドカリと座った。 「まぁ、お前もとりあえず座れよ」 そして妙の腕を引いて傍らに座らせると、またアイスを掬って妙の口元に運んだ。 「ハイ、お前の分」 「ちょ、ちょっと、どういうつもりなんですかっ!」 常になく慌てふためく妙を見て、銀時はしれっとアイスを食べながら口を開く。 「いや、1個しか残ってなくてよォ。半分こしようと思って」 「半分こって‥!お土産に買ってきてくれたんじゃなかったの!?」 顔を赤くして言い募る妙に、銀時はニッと笑って妙の目を見つめた。 「だって、1人で食べるよりも2人で食べた方がうまいだろ?‥特にこんな夜は」 そう言ってもう一度妙の口元にスプーンを運ぶと、妙はようやく小さく微笑んだ。 「やっぱり。意外と心配性なんですね、銀さんは」 「そうかもしんねーわ。ったく、ガラじゃねーんだが‥いいからほら、溶けちまうぞ」 銀時にうながされて、妙は躊躇いながら口を開いた。 優しく滑り込んでくるアイスが甘く溶けていく。 懐かしい父親の着物の匂いと、妙を引き寄せる銀時の腕。 安堵と動揺に、妙はわずかに混乱する。 ―――何だか胸が苦しくて泣きたくなるのは、なぜだろう。 そんな妙を見透かしたように、銀時は空になったアイスのカップを卓に置いて妙の頬に手を添えた。 優しく頬を撫でられて、妙はそっと目蓋を閉じる。 ドキドキと鳴り始めた胸の鼓動は、妙の思考も部屋に響く雨音も呆気なく掻き消した。 (080506) |