マフラーに顔の半分を埋めながら、妙は口が綻ぶのを抑えきれずに目線を落とした。 日差しは暖かく、淡く透き通った空で輝く太陽が眩しかった。 「妙、どうかした?」 「ううん、何でもないの、新兄さん」 顔を覗き込んできた新八に、妙がはにかむ。 新八と妙が兄妹水入らずで出かけるのは久々だった。 ――おいしいランチを食べて、映画を見て、おいしいケーキを食べに行こう。 映画のチケットを片手に微笑む新八にそう言われた時、ものすごく嬉しかったのに妙は俯いてしまった。 普段は難なく浮かべられる笑みをうまく出せないのに焦ってしまって、さらに妙は頭に血が上ってしまう。 顔が熱い。 こんな風に俯いてしまったら、新八を傷つけてしまう。 本当はすごく嬉しいのに、一番の笑顔を見せたいのに、自分はどうしてしまったのか。 じわりと視界が滲んだその時、ふわりと妙の頭が優しく撫でられた。 そっと顔を上げると、新八が妙の頭をもう一度ゆっくりと撫でながら目を細めている。 「‥一緒に出掛けるのは久し振りだね」 目尻に小さく溜まった涙が、あたたかい指でそっと拭われた。 「妙はそういうところ、昔から変わらないなぁ」 小さく笑いかける新八に、妙は反射的にムッと口を尖らせて反論する。 「そんなことないわ。私だって、もう」 「高校生、だもんね?」 続けようとした言葉を先に新八に言われて、妙の顔がむぅと膨れた。 「予想していた中で、一番かな」 「‥えっ?」 妙が首を傾げると、新八の顔に嬉しそうな笑みが浮かんだ。 「すごく喜んでくれた」 言葉と共に頭をぽんぽん、と撫でられて、妙の口元が綻ぶ。 「うん、すごく嬉しい」 そう言って、ふわりと妙は微笑んだ。 素敵なお店でおいしいランチを食べ、映画が始まる時間までブラブラと街を歩く。 いつもは友人達とよく歩く街並みも、空も、何もかもが妙の目に鮮やかに映った。 「さっきのパエリア、すごくおいしかった〜!」 「そうだね。オーナーが教えてくれたんだよ」 「姉さまが?さすがだわ」 妙がくすくすと笑うのを見て、新八はオーナーに心の中で手を合わせた。 休みをもぎ取るのには苦労させられたが、妙の名前を出した途端に仕方が無いアルと頷くオーナーも、やはり妙には甘くなってしまうのだろう。 翌日、女の子が好きそうなレストランやカフェの地図やらメモを渡された時は、ありがたいと思いつつ、さすがの新八も苦笑してしまった。 ――まぁそのお陰で、妙には喜んでもらえたからなぁ。 妙の学校が休みに入ったら、今度オーナーのところに遊びに行くのもいいかもしれない。 そんなことをぼんやりと考えていると、ポケットの中の携帯が震えだして小さくため息を吐いた。 ごそごそと新八が携帯を取り出していると、妙が新八のコートをくい、と引っ張った。 「あ‥ごめんね、妙。電話が‥」 「兄さん、私ちょっと見たいものがあるから、あのお店の中にいるわね」 にっこり笑いながら店を指差し、軽い足取りで離れていく妙を見て、新八はほろ苦い気分になる。 我が妹ながら、なんて大人びた子なんだろう。 誇らしく思う反面、見送る背中を何となく切なく感じながら、新八は携帯を開いた。 お目当ての店に近付く妙の足取りは軽かった。 兄も、姉と慕うオーナーも、今日は妙の味方のようなものだ。 ――だから電話くらいでは、新兄さんと過ごす1日を邪魔するなんてできない。 そんなことを言うと、りょうや阿音にまたブラコンだと言われるかしらと思いながら、妙はふふ、と息を漏らした。 ショーウィンドに飾られているかわいらしい雑貨に、妙は目を輝かせる。 足を止めて外から覗き込んでいると、背後からククッと低く笑う声がして、妙の背中が強張った。 「よォ、妙。久し振りだなァ」 笑いを含んだ低い声に、妙はゆっくりと振り返る。 「‥何でこんなところにあなたがいるの?」 「コワい顔すんなよ。かわいい顔が台無しだぜェ?」 片眉を吊り上げて人を食ったような笑みを浮かべながら、高杉は覆いかぶさるようにウィンドウに両手を付いて、妙を腕の中に閉じ込めた。 「心配すんなよ。兄貴とのデートの邪魔をするなんて、無粋なこたァしねェよ」 「そう、だったら早く目の前から消えてください」 殊更に笑みを浮かべて言い放つ妙に、高杉はツレないねェと目を細める。 「お前、本当に兄貴しか目に入ってねェんだなァ」 おかしくてたまらない、とクツクツ笑う高杉に妙の顔から笑みが消える。 「周りのヤツらはみんな、お前のために必死なのになァ?」 「あなたが変な遊びを始めるからでしょう?いい加減にして」 「『鬼ごっこ』かァ?あれも楽しい遊びだったよなァ」 過去形で返ってきた言葉に、妙の眉がわずかに顰められる。 さすがに『鬼ごっこ』に飽きたということなのだろうか。 一瞬考え込んだ妙の耳に、低い声が流し込まれる。 「お前、本当はあいつらの誰も好きじゃねェんだろ?」 びくりと跳ねた妙の肩を見て、高杉の口端が吊り上った。 「あいつらは肝心なことがわかってねェ。あの兄貴がいる限り、お前は誰のことも目に入らないのになァ?だが俺ァ違う」 お前をとことん愛してやるぜェ?と低く笑う高杉に、妙の身体が強張る。 「お前の目を塞ぎながら最愛の兄貴を葬ってやるよ。目を開けた時、お前の目には何が映るんだろうなァ?」 楽しそうな声音が、妙の耳朶を打った。 「もし絶望したら、遠慮なく水面に浮かべばいい。この世のあらゆる花を手向けてやろう」 ――色とりどりの花々に囲まれながらゆっくり沈んでいく様は、一枚の絵のように美しいに違いねェ。 好いた男に最愛の父親を殺されて身も心も死んでしまった、古い物語の美しい貴族の娘のように。 目を細めながら、高杉の指は妙の首筋をゆっくりと辿る。 そのまま小さな顎のラインをなぞろうとした時、強い力で高杉の指が払われた。 「‥口説き文句にしては最低ですね」 マイナス200点ねと呟きながら、妙は傲然と顔を上げて高杉を見据える。 「もし新兄さんに手を出したら、タダじゃおかないわ。どんなことをしてでも、私は必ずあなたを潰します」 そう言い放って、妙は艶やかに微笑んだ。 殺気が揺らめくその瞳に、高杉は楽しくてたまらないというように目を細める。 「クク、やっぱり面白ェヤツだ」 妙の耳元で低く囁く。 「ホント、殺したくなるくらいイイ女だなァ、妙」 ベロリと耳の縁をなめ上げられ、妙は思わず息を飲んだ。 咄嗟に手で払おうとすると、それよりも早く高杉が身を引く。 「また遊ぼうぜェ」 そう言葉を残し、高杉はスルリと雑踏に紛れてあっという間に妙の目から消えてしまった。 ハッと我に返った妙は、あわててバッグからティッシュを取り出し、なめられた耳を拭う。 ――あの男、何を考えてるのかさっぱりわからない。 でもあんな物騒なことを言われたら、放っておくこともできない。 くしゃりとティッシュを握り締めていると、柔らかい声が降って来た。 「ごめん、待たせちゃったね‥妙?」 何かあったのか?と心配そうに顔を覗き込んできた新八に、妙は微笑みながら首を振った。 「何でもないわ、兄さん」 世界に1人だけの、私の兄さん。 たった1人の家族を守るためなら、私にできることは何でもやる。 知恵を絞って、自分の身を守りながら、味方を増やすことだってやってみせる。 ――だから、今は‥ そっとつかまれたコートの袖を見て、新八は妙が大好きな笑みを浮かべながら、妙の頭を優しく撫でる。 ふいに鼻の奥がツンとして慌てて顔を伏せる妙に、新八の笑みにわずかに滲んだ憂いを見ることはできなかった。 (081224) |