ボタンを押し、メールの送信が完了したのを確認して、妙はパタンと携帯を閉じた。 正門へと向かう他の生徒たちを横目に、そっと通用門へと向かう。 校舎の裏手にある通用門は閑散としていて、妙は音を立てないように通用門をくぐり抜けると軽やかに走りだした。 入り組んだ路地を走り抜け、聞こえてきた国道の喧噪に足を止めて息を整えていると、ふいに空気が低く震えるのを感じて妙は咄嗟に後ろへ飛び退いた。 横の路地から飛び出して来た男は、そのまま妙を捉えようと腕を伸ばす。 左腕で男の腕を弾いて右脚で蹴りを繰り出すと、男はスルリとかわして飛び退った。 「本当にすばしっこい子猫でござる」 サングラスの影で低く笑う男に、妙はにこりと微笑む。 「心外だわ。私は犬派なんですけど」 「そうでござるか。後で晋助に教えてやろう…今日は捕まえるでござるよ」 男の言葉に妙はふふ、と小さく笑う。 「捕まる理由がわからないわ。そちらの気紛れに付き合わされる女子校生の身にもなってください。迷惑です」 笑顔のままハッキリと言い放つ妙に、男は愉快そうに口角を吊り上げた。 「拙者も困っているでござるよ。このままでは仕事にならぬ。だからこそ、其方には大人しく捕まってもらわねば」 そういって間合いを詰めようとする男に、妙はクスクスと笑った。 怪訝そうに眉を顰めた男は、眼前に突き出された警棒に低く舌打ちをする。 「残念だったな。動いたら撃つ」 男に警棒を突き付け、土方は反対の手で懐の銃を握った。 「其方の余裕が理由はこれか」 「ふふ、何のことかしら」 笑みを浮かべる妙に、男はニヤリと笑い返す。 「なるほど、来島も手こずるワケだ」 「動くなっつったろ」 土方が男に銃を突き付けようとした瞬間、男は警棒を叩き落して妙の方へと迫る。 身構える妙よりも一瞬早く、男は妙の背後に回って低く囁いた。 「今回は拙者の負けでござる。では、また今度」 妙が目を見開いて振り返った時には、男の姿は消えていた。 無線で待機していたメンバーに指示を一通り飛ばし、覆面パトカーが走りだしてから、妙は土方に小さく頭を下げた。 「ありがとうございました、土方さん」 「いや‥まさかアイツが来てたとはな」 取り逃がしたのが悔やまれる。 そう苦々しく呟いた土方に、妙も苦笑する。 「あの人が来るのは珍しいの。紅い人よりも手強いから、土方さんが来てくれて助かりました」 「『ドライブしたいです(はぁと)』なんてメールが来た時は、一瞬途方に暮れたけどな」 「ふふっ、ナイスタイミングでしたよ?」 さすが私、とご機嫌に笑う妙に土方はため息を吐いた。 「‥お前、身の危険は感じないのか」 少し低い声音で質す土方に、妙は小さく肩を竦めた。 「感じないといえばウソになるけど‥向こうもまだ本気じゃないから」 ジロリと横目で睨んだ土方が口を開く前に、妙は続けて口を開く。 「今日だって、これみよがしに怪しいバイクとか車が学校の側に停められてたのよ?今までも、ずっとそう。本当に私を捕まえたいのなら、こんな面倒なことをしなくても簡単にできるでしょう?あの人達なら」 そこまで一息にしゃべってから、妙はため息を吐くように声を落とす。 「‥遊んでるとしか思えない。そんなお遊びに、周りなんて巻き込めないじゃない」 「お遊びだろうが、相手はマフィアだぞ。現状はそんな甘っちょろいモンじゃねェ」 「金さん達が付いてくれてるもの」 不意を突くように飛び出した名前に、土方の顔が険しくなった。 思わず詰問したくなる気持ちを抑えて、低く妙に問う。 「兄貴も知ってんのか?」 「土方さん、お願いだから言わないで」 会話に兄が出た途端に必死にこちらを見つめてくる妙に、土方は深いため息を吐いた。 「あの兄貴は、お前が言わなくてもいずれ気付くぞ」 「――っ!」 「そして、お前が黙っていたことに傷つく」 土方の言葉に、妙は目線を落とす。 「‥これ以上、新兄さんに心配かけたくないの」 目許に影を落とす長い睫が、わずかに震える。 「自分のことをそっちのけにして、私を必死に育ててくれているのよ。兄さん、私よりも頭が良くて勉強が好きだったのに」 妙の声がエンジン音に滲む。 「心配させたくないの。だから、自分の身は自分で守れるようにならないと。兄さん、いつまでも安心できないじゃない」 「‥‥」 新兄さんは、私の笑顔で微笑んでくれる。 私のこの笑顔で、少しでも安心してもらえるのなら――― 前方の信号が赤く光り、車を停めた土方は妙の頭にそっと手を置いた。 そのまま撫でるように滑らすと、サラサラと流れた髪が妙の目元を隠してしまった。 「‥危ないと思ったら、すぐに土方さんに連絡します」 俯いて呟く妙に、土方の口元がわずかに綻ぶ。 是非そうしてくれという土方の声が、エンジン音に低く重なった。 (081130) |