会計係の算段




小走りに近付いてくる足音に、沖田は口元と歩調をわずかに緩めた。
わざわざ振り返らなくても、誰かなんてすぐにわかる。

それでも、そういった思いはいつものように自分の内に放り込んで、沖田は素っ気なく振り返った。

「どうしたんですかィ?志村サン」

目の前の少女は一瞬目を見張ったものの、大して動揺も見えない表情で小首を傾げた。

「‥なんでわかったの?声も掛けてないのに」
「俺くらいのレベルに達すると、気配を読めるようになるんでさァ」

沖田が淡々とうそぶいてみせると、返ってきたのはそれ以上に淡々とした妙の声。

「そう、よくわからないけどスゴいのね」

いつも笑みを浮かべている妙らしくない様子に、沖田は内心首を傾げる。
(もっとも、その笑みにもバリエーション豊かな感情が綺麗に隠されていて、一筋縄ではいかないのだが)

しかしすぐに、その声音に微かな殺気が漂っているのを沖田は感じ取った。
同時に自分の口の端がわずかに弧を描きだすのを感じて、その勢いのまま言葉を繰り出す。

「何でィ、あんまり褒められてる感じがしねーなァ‥まぁいいや。何か用ですかィ?」

途端に妙の瞳が光る。

「ねぇ、沖田くん?今日の放課後、坂田くんや高杉くんと一緒にいた?」

にっこりと笑みを浮かべる妙に、沖田はにっこりと爽やかに言い切った。

「いいや?俺ァ担任に呼び出しくらってやした」

疑わしげな目で、妙は尚も見つめる。
ならば今度は、気遣うような目で。

「志村サンこそ、1人でどうしたんですかィ?しかも疲れてるようだが、何かありやした?」

声音も気遣わしげにそう言うと、妙は小さくため息を吐いた。

「今日は何だか、色んな人に捕まるの。なんなのかしら、みんなして‥」

最後をひとりごちるように呟くと、うっすらと妙は笑みを浮かべる。

「そう、じゃあ後は坂田くんね」
「みたいですねィ(あらら、瞳孔開いちゃってら。すいやせん会長、後で骨は拾いやす)」

爽やかな笑顔のまま、心の中で戦死が確定したであろう会長(ふざけんなァァァ!:会長の叫び)に、沖田はこっそり手を合わせた。

‘いろんなヤツ’に、どんな風に‘捕ま’っていたかなんて百も承知だが、そんなことはもちろんおくびにも出さない。
代わりに制服のポケットを右手で探りながら、とっておきの言葉を繰り出した。

「志村サン、今日はもう帰るだけだろィ?」
「えぇ、もう疲れちゃったし」

予想通りの返事を聞いて、沖田の口元が綻ぶ。
こういう時は素直に表情出した方が、彼女には効果的だったりする。

「疲れた時には甘いものってね。ちょいと一休みしやせんかィ?」

ポケットから取り出した切り札を、ヒラヒラさせながらニィと笑って、最後の仕上げの一言は。

「このダッツの割引券、明日までなんでさァ」
「あら、じゃあちゃんと使わないとね」

目の前の少女に再び浮かんだ笑顔は、期待していた通りのもので。
今度こそこぼれ出た笑みが見えないように、沖田は飄々と歩き出した。


駅前広場のベンチに落ち着いた2人の手には、お揃いのカップに2色のアイス。
お気に入りのフレーバー(しかもダブル)を前に、目の前の少女はニコニコしながら一匙ずつ味わう。

「アイス食ってる時の志村サンは、ホントに幸せそうですねィ」
「そう?だって、こんなにおいしいのを安く食べられちゃうなんて」

そして、沖田くんも好きなんでしょう?と微笑む。

「いつも割引券に便乗させてもらえて、ラッキーだわ」

そう笑う妙に応える代わりに、いたずらっぽい笑みを浮かべてアイスを掬った妙の手首に手を伸ばす。

「そんなにうまいんですかィ?そっちのは」

呆気に取られている妙に構わず、細い手首を掴んだまま掬われたアイスを口に運んだ。

「‥甘い、ですねィ」

甘いのは多分、アイスのせいだけじゃないけど。

「あ‥当たり前じゃない、アイスなんだから」

一瞬戸惑ったように目を瞬いた少女は、にっこり微笑みながら負けじと沖田の持ったカップを引き寄せた。

「そっちのだって、おいしいはずよ?」

そう言ってカップをのぞき込んだ妙は、あっと小さく声を上げた。
その様子に、沖田は声を立てて笑う。

「すいやせん、とっくに食っちまいやした」

そして、沖田の手首を掴んでいる妙の手を絡め取る。

「もう一口、もらえますかィ?」
「なっ、もう自分の分は食べちゃったんでしょ?」

焦って絡め取られた手を解こうと必死になっている妙の髪を、反対の手でさらりと撫でる。

「‥まどろっこしいことナシで、奢られてくれれば嬉しいんですがねィ」
「えっ?」

焦りと動揺からか頬を染めた妙が怪訝な顔をするのを見て、沖田は絡めた手に少しだけ力を込めた。

「アンタはしっかりし過ぎなんでさァ。でもって、頑張りすぎじゃねーかィ?世の中なんて、意外といい加減に出来てるんだぜィ?」

妙の手から力が抜けるのを感じて、ニヤリと口の端を吊り上げる。

「安心しなせェ。そんながんばってBとか目指さなくたっていい女だぜィ?た‥」
「何をしているんだ?沖田くん」

声と共に、沖田の身体が押しのけられる。
九ちゃん、という妙の声を聞きながら、内心で舌打ちして沖田は声の主を仰いだ。

「見ての通り放課後デートでさァ。邪魔するたァ無粋だねィ、柳生サン」
「デート?妙ちゃんは困っているみたいだが」

妙の身体を引き寄せようとする九兵衛を阻止しようと、沖田も妙の手を引き寄せる。

「心外だぜィ、こっちはダッツのダブルを楽しんでたってのに」
「こっちだって、放課後ずっと妙ちゃんを探していたんだ。今日はみんなで買い物に行くはずだったのに」

その言葉を聞いて、妙はごめんなさい、と小さく呟いてうつむいた。
その頭を、九兵衛は優しく撫でる。

「大丈夫だよ、妙ちゃん。ただ、みんな明日に向かって気合を入れ直していたから、明日は逃げ切れないと思うよ」

九兵衛の言葉に妙が絶句するのを見ながら、沖田は九兵衛の手を払いのける。

「あらら、志村サン困らせてるのはそっちなんじゃねーかィ?そんな無理しなくたって、恋でもすりゃすぐにBにな‥」
「すぐに‥?さっきも言ってたけど、何の話かしら‥?沖田くん」

沖田に手を絡め取られたまま、妙はギリギリと反対の手で沖田の顔にアイアンクローを決める。
ドジを踏んだと気付いたが、時すでに遅し。

「えっと‥数学のクラス分け、でしたかねィ?」
「フフ‥そういえばテストが近いものね?」

妙がにっこりと微笑むのを指の隙間から見て、沖田は覚悟を決めた。
こうなったら、ここは綺麗に一発殴られておいた方が丸く収まる。
そう考えた時、妙の手から力が抜けるのを感じた。

「妙ちゃん、彼に何か言われたのか?」
「いいえ、大したことじゃないのよ」

そう言って、妙は沖田の顔を解放した。

「ダッツ、ごちそうさま」

一発食らう事も無く、予想外にあっさり解放されて沖田が目を見張っていると、妙が小さく囁いた。

「…ダッツと潔さに免じて、貸しにしておくわ」
「じゃあ、今度はちゃんと奢られてくだせェ」

そう囁き返すと、妙は目だけで笑って立ち上がった。

「さ、九ちゃん帰りましょ?」
「彼はもう、いいのかい?」
「俺ァ方向、逆なんでさァ」

それじゃあね、と踵を返す2人を見送って、沖田はやれやれとため息をついた。
あれこれいろいろ計算を巡らすよりも、妙に有効なのはダッツと潔さか。

―――何はともあれ、今度は割引券に頼らなくて済みそうだぜィ。

ベンチの取り残された2つのカップをゴミ箱に放り込んで、沖田は上機嫌に歩き出した。


会計係、生還。



《おまけ》

「うまく切り抜けたねー沖田クン」

「誰がずっと付いてきてんのかと思ったら、やっぱり服部かィ」

「今まで軒並み鉄拳制裁だったのに、切り抜けたのは沖田がはじめてだよ」

「何言ってるんでィ、てめーもそうじゃねェか。いつからいたんでィ」

「志村さんが坂田に見つかるちょっと前からだな」

「近藤さんとはやっぱり違うねェ、さすが忍者」

「いや、一応俺も学生の設定だからね。とりあえず割引券はかなり喜ばれるのがわかったよ。…それにしても、惜しかったなぁ」

「柳生サンが来るたァ、思わなかったねィ」

「いや、それもそうだけど。やっぱり志村さんは、焦ってるところが一番かわいいわ」

「‥同感だぜィ(チッ、やっぱりコイツも油断ならねェな)」



(080608)



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