土や埃の匂いが混ざっている昇降口から一歩出ると、どこからかわからないが甘い香りが広がっていた。 一瞬その香りに気を取られた土方だったが、空を見上げてすぐに歩きだす。 湿気を含んだ風がぶわりと流れ、空は今にも泣き出しそうな雲に暗く覆われていた。 銀八に呼び止められたのは、教室を出ようとした矢先だった。 傍らには近藤も沖田も山崎もいたのに、進路指導のためのプリント整理の手伝いに有無を言わさず引きずられていったのは土方だけだった。 しかも手伝いを命じた本人は会議だからと早々に姿を消し、怒りに任せながらプリント整理を終えると1時間近く経っていた。 ―――あのクソ担任、明日必ずぶっ飛ばしてやる。 決意を固めたその時、ポツリと雨粒が顔を掠めていったのを感じて、小さく舌打ちしながら空を見上げる。 雨の匂いが辺りを包み込み始めたのを感じて、土方は走りだした。 見知った後ろ姿を見かけたような気がしたのは、2つ目の角を曲がった時だった。 思わず足を止めて振り返る。 あまり広くない公園の木の下に妙が佇んでいた。 公園に足を踏み入れると、むせ返りそうな甘い香りが漂っている。 校舎を出た時に感じた、あの香り。 妙が見上げている木とその足元には、無数の小さなオレンジ色の花が散らばっている。 「‥土方くん?」 近付いて来る足音に気付いたのだろう、振り返った妙は小首を傾げる。 煙るようなオレンジ色と、妙の黒い髪と白い肌のコントラスト。 その鮮やかさに、土方は一瞬目を奪われた。 「どうしたの?こんなところで」 「お前こそ、何やってんだこんなところで」 見惚れてしまった自分を内心で打ち消しつつ、土方は妙の隣に立って同じように木を見上げた。 「‥何ていったっけな、この木」 「金木犀よ。いい香り」 そう言って、妙はオレンジ色の絨毯の上で笑う。 「小さい頃、うちの庭にもあったの。この時期になると懐かしくて」 「‥そうか」 「土方くんはどうしたの?しかも今日は1人なのね」 妙の言葉に、土方は顔を顰めた。 「帰る時に銀八に呼び出し食らったんだよ。近藤さんや総悟や山崎もいたのに、なぜか俺だけ。しかもアイツ、人をこき使っておいてどっか行きやがったんだぜ?」 明日絶対殴ってやる‥!と呟く土方を見て、妙はくすくすと笑いだした。 「土方くんは人気者ね」 「あ?どこがだよ」 「だって銀八先生だけじゃなくて、沖田くんとか伊東くんとか高杉くんともよくじゃれてるじゃない」 「はァ!?違ェよ、あれは絡んできてるんだよ!ったく、冗談じゃねェ」 ぼやく土方に、大変ねぇと妙が笑う。 甘い香りが雨の匂いと混じり始めたのを感じ取って、土方は妙の手を引いた。 「ほら、雨が大降りにならねェうちに行くぞ」 「そうね‥あ、ちょっと待って」 そう言って、妙がカバンの中から折り畳み傘を取り出した。 「よかったわ、傘入れといて」 「‥準備がいいんだな」 「ふふ。さぁ、行きましょ?」 開いた傘を差しかけながら、妙が微笑む。 またしても一瞬見惚れてしまった自分に内心で舌打ちしつつ、土方は妙の手から傘の柄を取り上げた。 「‥おぅ、行くか」 「ちゃんと傘の中に入らないと、濡れちゃうわよ」 ぎこちなく歩きだした土方に、妙が笑う。 「相合い傘なんて初めてだわ」 その言葉と手を掠めた柔らかい髪の感触に、一瞬土方の肩が跳ねた。 「‥俺だって初めてだよ」 「え?」 「いや、何でもねェ」 ‥明日、銀八を殴る時はちょっとだけ手加減してやってもいいか。 そう思いつつ、楽しげに笑う妙の声につられて土方の顔にも笑みが浮かんだ。 《おまけ》 「しまった、土方を残したのが裏目に出たか」 「ちょっと先生、アンタこんなとこでまた何やってんですか」 「巡回でーす。最近風紀が乱れてるってうるせーんだよ校長とか」 「トシィィィ!その場所俺と代わってくれェ!」 「ちょっと、落ち着いてくださいよ近藤さん!」 「ちっ、悪運の強い野郎だぜィ」 「おもしろいじゃないか沖田くん。これを邪魔しない手はないよね」 「同感だぜィ」 「おー伊東に沖田、よく言った。よーしお前ら、続いていくぞー」 「土方に負けるのだけは御免だ‥!この前の借りは、キッチリ返してやろうじゃないか」 「頼もしいねィ。それじゃトドメは俺が刺しまさァ」 (081025) |