父上が健在で、新ちゃんと剣術の稽古をしていた、小さな頃。 誰よりも強く、立派な侍になることを夢見ていた。 でもいつからか(きっとそれは、新ちゃんと一緒にお風呂に入らなくなったのと同じ頃)、手に握るのは竹刀じゃなくて薙刀になり、父上と共に『玉の輿』に乗るためのデータの研究に明け暮れるようになった。 容赦なく地面を炙る夏の日差し。 シンとした屋敷に、蝉の鳴声だけが幾重にも響いている。 そういえば、あの日も確か暑い夏の昼下がりだった。 みんなでお昼に冷や麦と西瓜を食べて、うとうととまどろんでいた穏やかな時間。 なぜそんな話の流れになったのかは忘れたけれど、女は刀を持つなって誰が決めたのかしらと呟いた時、誰もそんなこと決めちゃいねーよ、持ちたきゃ持てばいいんだと、縁側に転がっていた銀髪の天パ侍がさらりと返してきた。 まさか聞こえていて、それに答えが返ってくるとは思わなかったから、ひどく驚いたのを覚えている。 しかし続けて、でも俺は薦めないけどね、それ以上無敵になってどうすんの、死人が出るよとか言っていたので、ガツンと一発お見舞いしたら静かになった。 しばらく経ってから、お前だってもう持ってるじゃねーかとひとりごとのように言われたが、何と返したら良いのかわからなくてそのまま黙っていたら、銀髪のお侍さんはそのまま寝入ってしまい、うやむやになってしまった。 確かに、女は刀を持つななんて誰にも決められていない。 神楽ちゃんだって九ちゃんだって、あの猿飛さんだって、刀に限らず自分の武器で戦っている。 刀を、剣を持つということには、外からの脅威に対抗するためだったり、大切なものを護るためだったり、人それぞれに抱えている理由や意味があるのだろう。 でもそれらを突き詰めていくと、自分の魂を、生き様を貫くための手段のひとつにすぎないのかもしれない。 鳴き続ける蝉の声。 うるさいくらいのその音は、きっと凝縮された命そのもの。 その鳴声に圧倒されながら、丁寧に道場の床をから拭きしていく。 ポタリと、こめかみを伝った汗が板の目に吸い込まれていった。 私も、確かに自分の中に刀を持っている。 それは脅威に対抗するのではなく、大切な場所を守るためのものだ。 父上が愛した剣術。 新ちゃんと2人で稽古をつけてもらった、この道場。 2人だけの宝物だった道場とこの屋敷には、気が付けばいろんな人が集まって、賑やかな声が響くようになった。 静かな道場に溢れる蝉時雨。 訪れる人がいなくなって、新ちゃんと2人きりでいた時とは較べようもないくらい静かに感じるのは気のせいではないだろう。 だって、新ちゃんも行ってしまったのだから。 テレビのニュースも新聞もまだ何も言わないけれど、大きな戦争が始まっているらしい。 現に、あれだけしつこくうるさかった黒い隊服の男達は、とんと姿を見かけなくなった。 天井裏によく潜んでいたくノ一も、しばらく来ていない。 お庭番だったらしいから、多分真選組や銀さんたちと同じようなところにいるんだろう。 私は、彼らと同じところには行けない。 私の守りたいものは、ここにしかない。 そう、一緒に行けないのではなく、私はここで守っているのだ。 みんなが戻って来たら、いつものように笑って迎え入れようと心に決めていた。 この屋敷も、道場も、何事もなかったように以前のままで。 雨が降りしきる夜に、ひっそりと出立を告げにきた黒い隊服の男が。 鮮やかに暮れていく夕暮れに、自分の役目を果たしに行くと報告に来た親友が。 眩しいくらいの日差しの中、ちょっとした野暮用だと言って、ぶらりと出掛けた弟と銀髪と妹分が。 安心して、またここに帰ってこれるように。 だから‥‥みんな、 蝉の鳴声が頭の中まで鳴り響く。 パタリ、と滴がまた落ちて、板目へと沁みこんでいった。 (080814) |