「まだ、起きてたのか」



額に一つ、
キスを落として。



「うん。目が冴えちゃって」

 枕に肘を突く少年は、両手に持つ本に視線を落としたまま答えを返した。もぞ、と足を動かす度に、布団の衣擦れの音が耳を掠める。更け切った夜は、深(シン)と静まりかえって、窓からは柔らかな月が、光を優しく零していた。
 金髪は、まだ湿りを残したまま。幼い顔に、つう。と小さく水滴が流れ落ちる。

 少しばかり淡く赤色を浮かべた頬が、雪のように白い。はらり、捲られたのは随分と厚い本のページで。落ち着く間も無いその行動に、溜め息が出る。

「……風邪、ひくぞ。もう夜も遅い。早く休め」
「聞き飽きたよ、その台詞」
「いつの話だ」
「あ、」

 そっか。

 ぱたり。閉じられた冊子に、影が下りる。こちらをゆっくりと振り返った翡翠色は、もの淋しそうに、お前にしたら十年前だもんね。と苦笑い。その髪が、後ろに引かれるように次第に前に落ち着いていく。

「仕方がないさ。……お前からしたら数日前までの出来事だったんだから」

 しゃあ。とカーテンを広げ、眠る態勢に入ったオズの隣に腰を下ろしてみる。

 そう、だね。

 心許ない。ここに在らずといった返答。
 一瞬、その表情が苦渋に満ちたものになったのは、きっと。『あの日』を思い出してしまったからか。胸元に、鈍ったらしい痛みが這い廻る。心臓の周りで、タイミングを見計らうかのように。

『お前の所為じゃない』

 言ったところで聞きやしない。だから紡がずに飲み込むだけ。握り締めた手に、食い込む爪が、自分の弱さを象徴している気がして。悔しい。

「ねえ、ギル」

 指先でくい、と引っ張られたのは服の裾。わお、セクシー。と、垣間見えた恥骨を見て、馬鹿なことを言う子供の頬を軽くつねる。だが、彼はそんなことなどものともせず、こんなことを言いだした。

「キス」
「は?」
「よくやってくれたじゃん。お休みのキスだよ」
「……ああ、」

 ――それは、オレを戸惑わせるために、夜毎にせがんだ『お休みのキス』。じわり。忘れかけていた、温かな思い出が湧き零れていきそうになる。
 思わず、懐かしい感情に唇を綻ばせてしまって。電気を消して、主人の傍に椅子を置いた。キイ、と木が軋み鳴く。

「早く。ギルバート」
「我儘な、主人を持ったものですよ」

 額に一つ、キスを落として。鼻に染み付いて離れなかったのは、湿っぽい、石鹸の香り。

『貴方の朝に、オレは御一緒しよう』

20071007

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