中指の第一関節に、たこができている。
 劇中でよくある場面を再現するように、真っ白なテーブルの上に寝転がった小さな紙切れをぐちゃぐちゃと丸めて、塵箱に投げ捨てた。
 汗が滲むほどにペンを強く握り締めていた手のひらの悲鳴と、へたくそに使いすぎて渦巻く思考の白旗に半ば呆れつつ、頬杖をつく。ぐにい、と歪んだ口元の肉は、若干熱を帯びていて、カーテンを揺らめかせる春の足音に心を傾けながら、目を綴じた。

 耳元に、大地が揺らぐ。
 一斉に目を覚ます生命らが、各々美しく着飾り、風の舞曲に踊る。
 大樹は年老いてなお背を伸ばして、太陽へと歪(イビツ)な道をつくる。枝分かれに芽吹いた葉は、脈に火を灯し、雨に潤うほどに益々、艶やかな緑を描いて。
 琥珀色の羽、鮮やかな黄と黒の縞模様を掲げる蜜蜂も、脚くらいに長い触角、つやつやと光を反射する綺麗な体の蟻も、色とりどりに彩られたたわわな花の蜜に寄り添い、腹を満たす。
 唇の表面を撫でる若竹色の匂い。髪の毛を掻きわけ、つい。と向こうへと飛んで行って。

 軽く腕を広げた。
 とくとくと流れを早める心臓が、ゆるやかに収縮する。
 陽の柔らかな光を、目を細めて見上げていると、突然後ろから声がした。

「おや、ラブレターですかァ」

 ふるり、と揺らぐ。飴玉よりも甘い、聞きなれた男、の声。
 吐息がかかるほどに近く、肩の傍にあった白い顔に驚いて、推敲を重ね、黒々となった便箋を、慌てて両手で覆い隠す。
 一体どこから沸いてきたのよ。という私の言葉に、虫みたいな扱いですねェ。と愉快そうに目尻の皺を深くした。

 猩々緋(ショウジョウヒ)が灰色の中から一つだけぬう、と覗く。
 瞳の奥の、更に深いところに、どこか惹かれて。まるで夢魔に魅入られてしまったよう。追っても、おっても。果てのない、永遠の夢のような、あかいろをしていて。

 恋文じゃなくて、果たし状なの。と、無理やりに、心の焦点をぼかした。

 なんとまあ、女性らしくない。と、先程からの私の行動を見ていたかのように塵箱に手をつける。人の塵に興味があるのか、と不得意な睨みを効かせては、おやこれは怖い。とからかうように舌を出した。

「まあ、どうぞゆっくりとお書きになってください」

 先を促すように口にした男は、扉脇の壁を占拠して、飴を一つ、口に放り込む。
 振り返ったわけではないのに、所作一つひとつが、脊髄を伝って脳に流れ込む。
 落ちついた呼吸の、肺から出た二酸化炭素の量。不思議な構造の着衣の、衣擦れの音。視線の動き。指の曲線。
 どれもこれもが頭の中でリフレイン。今更ながらに、自分の観察力に唖然としてしまう。ああ、今、たくさんの酸素を取り込んだ。

「恋文であれ、果たし状であれ。そんな風に丁寧に選ばれた言葉を貰った人は、とても幸せだと思いますよ」

 とても、とても。
 胸を擽(クスグ)り、全身の産毛がふわり、と立ちあがるほどの、意地の悪さが微塵も感じられない、優しい響きに。体の端から溶けてしまいそうになって。
 淡い期待を抱いたまま振りむいたそこに、彼はいなかった。

 とても、とても。
 聞きとれるかどうか、不安なくらいの声量で、彼は何かを言っていたのに。

 ほんのしばらく、余韻に浸るように、何もない場所をじっ。と見つめていた。
 膨らんだカーテンが擦れる音、彼の声だけが小さな頭蓋骨の中で、酷い反響を起こしている。
 ふと、気づいて。隣に広げていた辞書を静かに閉じた。

 文面じゃなくても、推敲に推敲を重ねた、綺麗で、簡素な言葉。
 彼が優しさで人に触れるときの常套手段。

 覚えたての言葉は、力に乏しい。
 だから、自分の語彙の海にダイブして、ゆっくりと時間をかけて、わたしのこころを探していく。
 単語と、単語を、編み込んで。たった一つ。気持ちを込めた、わたしのことばを創る。

 冷めかけたペンをゆるく握り締め、新しい便箋を袋から一枚取り出した。
 皮膚を挟んで感じる、生き生きとした季節の始まりに筆を預け、からだの芯から、好き、を描いていく。

 -言葉綴り-

 (果たし状、楽しみにしていますヨ)

 何事もなかったかのように茶化す姿が想像できる。それもまた一興と思って、人差し指で丁寧に、封を綴じた。

20100220

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