私の名前を、何度も、なんども、熱の籠もった声が呼ぶから。
いつまでも胸元にキスを続けるその頭を、抱きしめざるを得なくなった。
さながらロミオ
と
ジュリエット
あ。と漏れた声に呼応するように、大きく太い舌が、私の舌を更に深く求める。ぬめった感覚よりも、きつく擦り合うそのざらつきで、神経が狂い、脳が痙攣を起こす。
女性のそれよりも白く滑らかな首を全力で抱きしめる。目を開くと、行為に没頭している青年の、細い瞳がきつく閉じられ、美しい顔が無防備に目の前に晒されていた。
歯で私の言葉の根を固定し、全てを我がものにしたいという願望を現したように、唾液ごと吸い上げる様子に愛しさを覚え、服の裾から手を差し入れて、私だけが知る彼の良い場所をまさぐり当て、我が子を撫でるようにするり。と動かすと、たちまち力の抜けた唇が離れ、自らの表情を見られまい。と、私の乳房の間に顔を隠した。
喉を鳴らすまいと息を止めるが、ときどき耐えきれなくなり、口元から吐き出された貴族の微熱が、気休め程度に二人を覆う布団の中に充満する。
随分前に剥がされた下着の片方は、ベッドサイドで彼の背中を頼りなく照らすライトの下に放り出されており、もう一方は生白い腿を露わにした右脚首に辛うじて引っかかっている。
唇の周りにべったりと塗りつけられた彼の唾液を舌先でちろり。と舐めて。情けない子ね。と、母親に縋る赤子のような頭に、髪を梳(ス)くように指を広げ、触れる。
掻くような動作で上下させているうちに、深緋(コキヒ色)がするり、するり、と海が波打つように流れて。心地いい。
甘えるように額を擦りつけた彼は、情報蒐集(シュウシュウ)家と自称する通り、私が一番甘く声帯を震わせる果実を丹念に手と口で愛撫する。
熱くなった頬を、誘うように小指で、薬指で、中指で。と順につう、と滑ると、その薄い唇に一層力が加わり、口の中で転がされ、濡らされ、潰された薄紅梅(ウスコウバイ)の先端が立ちあがり、肩から下腹部へと電気のような、神経の麻痺のような、ぞくりとした感覚が走り抜けた。骨ばった指で按摩するように乳を揉み上げながら、数え切れない優しいキスが、下へ、下へと降りていく。
快感と同時に、全身をたった一人の男に愛されている事実に、閉塞した満足感を覚えながら肩で息をしていると、だらしなく開いたままの私の唇を何度奪ったのか。性懲りもなく口づけてきた彼を受け入れて、熱い体温を熱心に抱き留めた。快楽の余韻に浸りたがる女の体は、軽く振動を起こし、それが収まるまで、守るように。慈しむように、バルマの跡取りは私の背を締め付ける。
シェリル。声の枯れた、苦しく、焦がれるような音で名前を呼んで。
枕と頭の間で行き場をなくしていた私の髪の毛をそ、とずらし、乱れていた前髪を、冷たい指が掻きわけ、整える。すぐに意味がなくなると分かっていながらも、幾度も丁寧に直す彼の律義さが、とても馬鹿らしく。なのに、とても、愛おしい。
端正な唇に妬いてしまった爪が、それにゆるりと触れた瞬間に、哺乳瓶を求める乳児のように、それを咥(クワ)えて離さないあなた。
皺だらけのシャツに、首筋に残った鬱血痕を見てとり、独占欲が満たされ、柔らかく笑顔が零れる。
子供をあやしているのか、男を相手にしているのか、わからなくなる。子供は、もう、寝る時間なのに。
そのとき。
ぎい。と小さな悲鳴を上げたスプリングが、鈍く耳に泣いた。
それを合図にするように、彼は隣に寝そべり、きつく私を胸に仕舞いこむ。
荒い息が、私の額にかかる。匂いのない、案外広い肩の中にちょうど良い具合に入り込み、内心またか、と呆れた。
「やはり、抱けない……」
葛藤した末の、苦い、にがい。なのに優美な、耳に優しい声。
生まれたままの姿で、一夜を共にする、切ないくらいに愛おしい女を差し置いて。いつも、途中で行為を投げ出し、泣きだしそうな声を上げる。
抱くのが、怖い。
耳朶に触れたその言葉は、ゆるく回転し、消灯した荘厳な造りのライトに向かって浮かび上がり、消えた。
愛に近づきすぎて、私を壊してしまいそうで。私なしでは生きていけなくなってしまいそうで。
一昨日にも聞いたものと似た言葉を何度も呟いて、抱きしめているのに、抱きしめられたがるように甘えた喉が、くしゃくしゃになりながら力を込める。
優しすぎるあなたの、大きくて小さな背中を、ゆっくりと叩き、わかってる、と呟いてあげるから。泣かないで。なかないで。
虚脱感に似たものが、全身を覆うのに身を任せながら、これはある意味ロミオとジュリエットのようだ、と。幼いころに読んだ、絵本を思い出していた。
身分はそう変わらないのに、遠く私を追い遣るそれは、本当に優しさだけなのかしら。
私という存在が、彼を毒して。彼の非情な優しさが、私を毒して。
終わらない、ある種の殺し合いに、終止符が打たれるのは、いつなのかしら。
声を発さないままで、私をひたすら抱きしめるその顔は見えない。
きっと苦渋の顔をしているのだろう。
だが、私だって、最後まで愛を貫かれたいのだ。
せめて本当に死ねたら。と、そんなことを考えて、我ながら情けない、と気づかれないように溜息をついた。
二人の汗が、混ざり合うのを感じる。
少しばかり、それが羨ましい。
20100215