ポケットの中に何故かいつも入っている、淡い黄色の包み紙の小さなキャンディ。

くるりと回したロリポップ


 急になんなんだ、と顔を背けると、ふと髪にかかった吐息で、笑ったのだということが分かった。

「だから、ワタシのこと、好きなんでショウ」

 珍しく飲みに行こうというからどういう風の吹きまわしかと思えば、この男の口を突いたのは突拍子もない、そんな言葉。
 古びたカウンタで店主に酒をもう一杯を頼み、ぼやけた明りに正面を向き、肘をついた。

 ヤニ臭い店内。若い男女の囁き合う声と、壮年の親爺らが傾けるウイスキーの氷の溶ける音が混ざりあう。
 まばらながらに人は入っているはずなのに、おだやかなジャズが聞こえるほどに不思議と静かな空間。
 ショーウインドウのようにガラス張りになったドアは、つい先程から降り出した雨に濡れ、冷え切っている。

 手際良く出されたグラスと、飲み干したグラスとを交換し、喉を焼くような炭酸を三分の一ほど一気に流し込む。ぐうん、とすぐさま循環し始める、大人のための刺激物。

「どうしてそうなるんだよ」

 少しばかり不機嫌を装って、左上を軽く睨みつけた。
 薄めの、生白い口元が赤く熟したチェリーを啄(ツイバ)んでいる。彼の瞳に似た、ヘモグロビンの赤。むしろ、紅といっていい。
 それが下唇にころころと転がされて、その仕草がやけに艶やかで、頭の中心が疼く。
 黄色よりも橙に近いライトが左側の銀髪を染め抜いている。こちらの視線に気づいて、それがさらりと揺れた。

 その目が、答えなんですよ。

 そう言いたげに、目尻が笑う。
 ああ、じわりと顔が熱くなっていく。アルコールのせいだと信じたい脳は、ぼう、として使い物にならない。
 ただただ、「あ」やら「う」などと、単語にすらならない音を、舌を震わせて形にするだけ。
 辛うじて輪郭を現したのは、どうにも信憑性に欠ける弱々しい声の、「お前なんか嫌いだ」。

 口の中が急速に乾いている。

 わからない。疾しいことなど何もないのに、どこか後ろめたい気持ちになって、緊張している自分がわからない。
 場を誤魔化すように酒を口に含む。うまく感情をぼかして酔わせるアルコールが心地いい。

「馬鹿らしい」

 吐き捨てるように、右手で頭をがしがしと掻き毟った。
 グラスに、左右にぐにゃりと曲がった自分自身がうつる。

「素直じゃないなア」

 棒読みで、それなのにどこか楽しそうな声が鼓膜を揺らす。
 果汁の残った人差し指を舐め、ハンカチで口元を拭う。指先が唇をなぞる。それを無意識に追いかけていたことを意識したときにはすでに遅く、宵に紛れた道化師は意地悪そうに微笑んでいて、

 アルコールのせいではない。
 体が火照るのを感じた。どうにもうまく呂律が回らない。

「……お、前なんか、」
「好き?」
「嫌いだ」

 本当に素直じゃないなア、と念を押すようにひとしきり肩を震わせた後、ぴたりと笑い声が止んだ。
 目と目が、合う。
 赤は赤なのに、深みのある、苦くて、甘ったるい色。喩えるなら、甘美な誘いで獲物をおびき寄せ、捕えられたが最期。体が融け朽ち果てるまで、掴んで離さない悪魔のように惑いを呼ぶ瞳。
 吸い寄せられる。
 瞳を逸らせずに辛うじて思えたのは、そんな、陳腐な言葉。

「ギルバート君」

 名を呼ばれると、いつも神経に電流が走る。
 全身の産毛が逆立って、聞きもらすまいとその声に耳を立てるのだ。

 月の見えない、深夜帯。
 大きな雨粒が、ドアを統一されたリズムで未だ、叩いている。
 腹のふくよかな店主が食器を拭う音が聞こえた。
 洒落たライトが、ちか、ちか、と消えかけて。

「今夜はポケットの飴玉のように、甘い、あまい、ひとときを、君に」

 こめかみに、桜の匂いがした。
 グラスには、頬と頬を重ねるような、二人が滲んで映っている。

 片手でズボンのポケットをまさぐってみる。
 なぜかいつも入っている、淡い黄色の包み紙。
 甘い、あまい、言葉の代わり。

「お前なんか、大嫌いだ」

 嫌いは半周回って好きの肯定。
 拗ねるように耳を熱くすると、情けない顔だ、と眉を下げて彼は微笑む。

 道化師の菓子箱から、ロリポップを一つ奪い、大仰にばくりと口にした。
 ぽこりと膨らんだ頬に、くるくる回る、大人のための嗜好品。

 甘い、あまい、幼さの残る気持ち。

 分かりやすいだけ、素直だろう。
 そう言って、取っ手をくるりと回してそっぽを向いた。

20100209


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