なんとも、分かりやすい男じゃないか、とつくづく思う。後ろ姿だけでも分かる。拙い虚勢を張って、澄んだ眼に一層陰を落としているのが。

 融けそうな黒のシルエットが、星空に埋まるように、深く息を漏らした。

 初夏の夜は、少し前までの透明な空気を忘れて、淀みを見せている。肌に染み付いて離れない、湿り気を帯びた倦怠感。女公爵の庭園に届くのは、心なしか小さくなっていくような、蛙の水っぽい声のみで。うず高く堆積した天井は弱々しい土を嘲笑うように、ただただ全ての生物を圧死させようと力を抜いて我々にもたれ掛かっている。

「フフ、情けない顔をしてますネ」

 音を立てないように、後ろから近づ、耳元で囁きかけた。啼くことも忘れた鴉は、視線をこちに遣ることもなく、ああ、と答える。
 影が、ますます深くなる。

 肩が触れ合わない程度の場所に位置取り、昔と変わらない少し痛んだ癖毛の君を横目で見る。その表情は、さながら母親を見失った迷子のようで、弱々しい。
 ようやく茂った草木を踏む、その足取りすらも覚束なくて、動きが鈍い。止まりかけのからくり玩具のようだ。
 そしてとうとう、青年の爪先は地面を蹴ることをやめた。

 帽子が、落ちて。
 道化師の胸に沈んだ、幼さを残す、鴉が一羽。

「……鴉(レイヴン)?」
「オレは、」

 また、置いていかれるのか。

 顎の下の、柔らかい髪が軽く震える。れいに整えておいた服が、ぎう、と音を立てるほどにきつく握れている。ふわりと嗅覚を刺激したのは、ぬるい石鹸、うすら、汗の匂い。
 甘く、悲しみにも似た、切なさ。陳腐だが、そんな言葉でしか表せない思いが体中を駆け巡る。
 夜に消えそうな、彼の穏やかな激情は宙でき漂いながら、すぐにでも失せてしまいそうな淋しさの原子で出来ていて。
 後ろ首を撫でるようにして、外界に逃げていく彼の体温を守ろうと、包むように抱きしめた。

「彼には、ギルバート君が必要ですよ」
「……」

 見えないところで、変わってく姿が怖いのか。
 自分自身の知らない、主人の放つ光が、眩しすぎるのだろうか。

 押し黙り、体を預ける儚げな鳥は空を見ようともしない。
 熱のある長い吐息が、私の衣服の上で潰れ消えた。

「オレは、」

 もう、ひとりにはなりたくな過ちに気付いたのは、善か、悪か。
 強制的に押し戻した道徳心が、彼をまた、きつく抱きしめることだけに留めた。

「ブレイク……」

 苦しい、と口では言うが抵抗しないところを見ると、やはり余程弱っているか。
 こんなことならば、そのまま唇を奪ってしまった方が収まりが良かったのかも知れない、と少しだけ口惜しかった。

 闇に呑まれることなく、必死に存在を保つ、白と黒。
 それは私が彼を抱き留めているのか、はたまた彼を抱きしめているという行為が私を留めているのか。
 空気が湿っているせいだけではない。息をするのが、辛かった。
 追いかけている彼を、追いかけられない私。
 追いかけている彼、平安を掴むことすらできなくて。

 どこからか穏やかな風が吹いて、彼の涙が一粒、雑草に注がれた。

 胸の中で顔を拭う、彼自身の袖。
 その頬に、その目尻に指先で触れることは消えかけの私の良心をも取り去ってしまいそうで。

(……困った)

 せめて睫毛に吸い付いた涙を拭ってあげられたら。
 一人になどしない、と、伝えられたらどれだけ幸せか。
 満たしてやることの出来ない、その空腹を、どうか私に預けて。

 そう願っても、潤んだ色に、伸ばす手はなく。
 悲しみが、切なさが、愛しさが、夏と呼ぶにはまだ早い、穢れかけた酸素の中で、充満して、私達の心を潤していく

きらきらと輝いていたのは、金。

20090612


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