「カウントダウン、始まるみたいですよ」
*瞳初め*
東の国では、大晦日と呼ばれているらしいですヨ。
すっ呆けた口調は、どの時期になっても変わらない。レイムは小さく溜息を吐きながら、レインズワース家の使用人を覗き込んだ。部屋の向こうでは、シャロン達が賑やかに茶を飲んでいる。ギルバートが、呑んだ煙草の煙を燻(クユ)らせるのが見えた。
暖炉の薪がパキン、と硬く乾いた音を立てて熱を零して。湿度を奪われた喉からは掠れた声しか出ない。なのに不思議と、額からはうすら、汗が滲み出ていた。隣の紳士が差し出したハンカチーフの白で、押さえつけるように拭う。目の前にある窓の外は、純白だった。
「レイムさん」
「――ん、」
久々の休みだからだろうか、体だけでなく思考まで弛緩しているようだ。呼ばれた声に間抜けに返事をしてしまったことに気付いて、「すまない」と咳き込んでみたが、「お疲れなんでしょう」となんとも珍しい優しい微笑みでこちらを見つめてくるから、どうにも困る。
正直、この男は苦手だ。
淡い照明の下、壁に沿うように立っているからだろうか、肌の表面はピリリと冷える。戸惑いを覆い隠すように、自分の人差し指を弄べば、熱を帯びて鼓動と共に生きていることが分かった。
背中の喧騒も聞こえないくらいに、自分は何を動揺しているのか。
原因は追究するまでもないので、考えることをやめた。
「ねえ、レイムさん」
先ほどの続きだろう。今度は、ちゃんとした「なんだ」が言えた。
ガラス越しに、オズが時計を見ているのが伺える。
「カウントダウン、始まるみたいですよ」
台詞が途切れると同時に、アリスが「十!」と叫ぶのが聞こえた。一つではない、世界がそう、叫んでいた。
九 八
数字は、まだ続く。
七 六
五
「四」
静かに、シャロンが呟く声も聞こえた。
「三」
隣人も、心地よい声色で数える。ギルバートは瞳を閉じて、その歓喜に聞き入っているようだ。やはり数字はまだ続く。
二
一
「ぜ、」
零を言い切ろうとして、レイムの唇が止まったのは、瞬間移動したブレイクの双眸が目の前にあったから。あと一ミリでキスのところに、紅いあかい瞳が、二つ。
驚きが飛びぬけて勝っていたから、息をするのも忘れて。急遽、呼吸を許された肺が、一杯に酸素を取り入れようとする。少しばかり蒸せる。なのに、瞳からは目が反らせない。
辛うじて、言葉に出来たのは「なんなんだ」だけ。
銀に輝くその髪一本引っ張って、彼の顔が歪むのを見れば、少しは気分が落ち着くだろうか。止まれ、心臓。違う、落ち着け。こんなところで寿命を縮めて何になる。だが、意に反するのが体なのだ。意識よりも、素直なのが。
質疑応答。返事は案外呆気ないものであった。
「ほら、新年早々私の瞳の色をしっかりと焼き付けておくのもいいかと思いまして」
書初めの一種ですよ。
理に適わない不敵な笑いは、私の耳にだけ届くように響いた。
パアン、と人々の声の中に一際目立つfire arts。
――轟音と、花火の光が空を満たしてくれていて良かった――
「訳が分からない」
――音は、鼓動を。光は、火照る顔を優しく包んでくれるから。どちらにせよ、ばれているのだろうけれど――
肩を竦めた食えない紳士を横目に、また先ほどの考えを思い浮かべた。
視線を、彼と同じ外に向けてみる。まどろみに沈む前の、眩い幻のような快感。背筋をビイン、と張って。小さくちいさく、言葉を漏らした。
(やはり、この男は苦手だ)
隣の唇が、す、と弧を描いた。
20080101