(11巻までのお話を読み終えた方のみどうぞ)

 まず目が腫れた。その次に隈が出来た。声が枯れた。
 眠れないくらいに疲れて、それなのに、その死んだような寝顔を見るだけで、涙は後から後から溢れて、止まらない。

「……ブレイク」

 渇いた喉で、しわがれた音がぽつりぽつりとしか出てこない。
 真っ白なシーツを皺になるくらいに握った。いくらそれに透明な染みをつけても、彼の息に変化はない。目蓋も動かない。頭の中は否定の接尾語しかつかなくて、ああ、ずきりと痛む。目の奥が痛い。

「シャロン様、」
「私は大丈夫です」
「いえ、」

 せめてお体を、あなた自身のおからだを労わってあげてください。

 レイムが横から差しだした水を頭を振って拒否したが、彼がやけに頑なに目の前から離さないので、仕方なくグラスを手にした。そのつるりとした表面は、潤いをなくした指の腹には荷が重すぎて。水温が低い。熱を失いかけの手には、なんだか拷問のようにも思えた。ぐいと煽ったそれが喉の奥へ入り込み噎せかえったが、意地がそれを押し留めて、容器を無理やりに空にした。
 心にもない感謝の言葉を口にしながら手渡すときに触れ合った爪の肌は、互いに冷え切っていて、ああ、彼も同じなのだ、と安堵のような同情のような気持ちが湧き出てくる。振り返った同僚の瞳は、どこか充血しているように見えて。ひとり、子供のような自分自身を恥じた。

 彼の匂いがする。ブレイク。私だけが知る、彼のにおい。
 いくら頬に触れても、その筋肉が運動することもなく。担ぎ込まれてから二日目の夕方。
 気管支のあたりを蠢く靄のようなものが、私を窒息させようと、したり顔で暴れている。それは、硝子でも何でもなくて、私の深層領域は、本当に。自分の欲のままに、彼の目覚めを待っている。彼の、馬鹿げたあの言動を、期待している。綺麗な気持ちじゃない、ただ、自分のために、彼を欲しているのだ。
 起きて、おきて。私の頭を撫でて、名前を呼んで。それが、そんな当たり前だった日々が、私の。今の私の、夢なの。

(夢、だなんて)

 あつくなる目頭。ああ、情けない。私はいつも。彼の、後ろ。
 守られてばかりで、幼子のようにああしたい、こうなりたい、と夢うつつ。
 強くならなくては、と思うのに、守られることに甘んじている自分もいて。彼を支えるという夢を失いかけていて。

(ちがう)

 それは、夢でなく、憧れとなっていた。

 If I could stay his next.
 I wish I could support him..

 すでに遠い、叶わないもののように感じていた。けれど、こんな横文字は違う。
 変わらなければ。子供の卵を、割らなければ。
 唇から舌に、鉄の味がする。彼の痛みは、もっと酷いものだったのだ。同じ痛みを、同じ喜怒哀楽を、これから先も味わいたい。
 起きて、おきて。もう、一人にしないから。

(ひとりに、しないで)

 wishをhopeに変えてみせるから。
 目を覚まして、最愛の、あなた。

 彼の匂いがする。
 その胸にすがるようにして、白いシャツの上で名前を何度も声に乗せた。
 心臓が静かに動いている。痩せた体に額を押し付けて、補給した分の水分を涙に変えて、嗚咽を押し殺す。
 震える肩をレイムが支える。

 最後だから。
 こんなにも酷い顔でぐちゃぐちゃに泣くのは、人生で最初で最後にしてみせるから。
 だから今だけは、泣き虫のシャロンを、許してください。

(いますぐにおきて、優しく、抱き留めてほしいのに)

 きっと、起きたら、沢山しかりつけてやるんだ。これからは、私も、一緒なの、と。

20100331


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