07月02日(火)21時25分 の追記


不法侵入罪で逮捕された柳生比呂士は言った。
自分とあの人は結ばれる運命にあった、と。
自分はそれを昔夢に見て知っていた、と。

「それって予知夢……ってやつっすか?」
切原赤也は訊ねた。
「本人はそう言ってる」
丸井ブン太は答えた。
ガムを噛みながら。器用なもんだ。
「えー」
「なんだよ、その顔」
「丸井先輩はそいつの言葉を信じちゃってるんすかぁ?」
ありえないでしょ、と心の中で呟く。
切原はこの手の超常現象、オカルトな話題が嫌いだった。
……本当はオカルトが苦手だった。幽霊怖い。
「信じるっていうか……」
丸井は、ぷぅ、とガムを膨らませる。
ガムはそのまま割れずに口の中に吸い込まれていった。
「ちょっとした証拠みたいなのが出てきたんだよなぁ」
「証拠?予知夢って、どうやったら証明できるんすか」
頭の中の映像が録画できるわけでもないのに。
「柳生の仕事仲間に、ジャッカルっていうやつがいんだけど」
「柳生さんの仕事って何でしたっけ」
容疑者に継承をつけるのは所属する部署での癖だ。
免許証を見て呼び捨てにする警察はいない。
「バトラー」
と丸井は言った。
バトラー?
切原は免許証と一緒に見た柳生の顔を思い出す。
眼鏡をかけた穏やかそうな男で、とても戦いを業にする人には見えなかった。
不法侵入はしたけど。
「執事な。あいつがそう呼んでた。柳生は幸村っていう金持ちの家で執事をやってる」
「……ああ」
「ジャッカルが言うには、柳生は五年以上前に、『ヤナギレンジ』って名前の人と自分が交際する夢を見たって言ったらしいぜぃ」
「そのジャッカルって人はよく五年も前の一言を憶えてましたね」
「五年間、耳にたこができるほど聞かされたって」
「分かってたのは名前だけなんですか?」
「そうそう。顔も性別も分からず、単にヤナギレンジって名前だけ」
「思い込みじゃないすかぁ。前に会ってたけど、忘れてて、急に思い出したとか。しんそうしんり的な?」
「それがありえねえっぽいんだよなー。マル被の柳蓮二ってのは愛人なんだよ」
丸井はそこで声を落とした。
「真田グループって知ってるだろぃ?」
切原でも知っている、有名企業の名前だ。
「そこの跡取りの真田弦一郎の、もう十二年目の愛人。
真田は柳にあの家を買って住まわせた。十年前にな。以来、柳はほとんど外に出ず、誰とも会わず連絡も取らずの生活をしてる。近所でも柳の顔を知ってるやつはいなかった。
大企業だからな、隠してたんだろうけど、ちょっとやりすぎだよなぁ」
丸井の声は言葉とは裏腹に呑気だ。
切原は柳に同情した。
十年以上も一人の男を待つだけの生活を想像して。
途方もない。かわいそうだ。

「……それでお前に頼みがある」
暗い一軒家に想いを馳せていたら、丸井の話はいきなり切り替わっていた。
「頼み……?」
なんだか嫌な予感がする。
そもそもおかしかったんだ。
部署の違う自分に、オカルト気味とはいえ捜査内容をべらべら喋るなんて。
「俺はこういう怪奇で厄介な事件に遭遇する時、必ずアドバイスをもらいに行く知り合いがいんだよぃ」
自分じゃないことは確かだ。オカルトは苦手だ。
「T大学の准教授。物理学者の先生。そいつに話を訊きに行く役割、特別に譲ってやるぜぃ」
学者の知り合いはいないが、切原には厄介な案件をしょっちゅう持ちこんでくる先輩がいた。


T大学の研究室に、物理学の先生は一人でいた。
准教授だというからもっと年上を想像していたけど、丸井と同じくらいに見える。
白衣もあまり似合っていない。
若いのもあるが、なにより髪型が奇抜すぎるのだ。
銀色に染め、後ろで一つにくくっている。
しっぽのようなそれはサラサラとしていそうだ。
羨ましい。
切原は自分のクルクルの髪をいじった。
「ほんで、そのオカルトバトラーは何したんじゃ」
丸井から聞いた予知夢の話を切原が喋り終えたところで、黙って聞いていた彼は言った。
聞いたことのない方言だった。
そこでようやく、自分がまだ事件について何も話していないことに気がついた。
すんません!と謝り、話し始める。

事件の概要はこうだ。
昨日の夕方、柳蓮二さんの家に柳生比呂士さんが侵入した。
柳生さんは窓を割り、柳さんが眠っているところを襲おうとした。
しかしちょうど訪ねて来た真田弦一郎さんに見つかってしまった。
驚き慌てて逃げ出したところで、運の悪いこおに正義の警察官と鉢合わせてお縄ちょうだい。
柳生さんは数日前、ヤナギレンジという名前の人物がその家に住んでいるという情報を得て、自分の運命の人に違いないと思い会いに行ったんだそうだ。
ちなみに柳さんは真田さんの愛人で、真田さんは超大金持ちで、柳生さんはまた別の超大金持ちに仕えるバトラーである。おしまい。

「そいつは超大金持ちの愛人だったのに、セコムの一つもしてなかったんか」
「してましたよ、鍵使っても内側から開けても作動するやつを。ドア開ける前にいちいち解除しなきゃいけないやつっすね。その日も訪ねてくる真田さんのためにあらかじめ解除してたそうです」
「ふうん。つっこみ所は他にも満載じゃけど」
「どこらへんっすか?」
「一気に全部喋ったら面白うないじゃろ。それにめんどい」
後者が本音だな、このやろう。
と思っていたら彼は言った。
「一番はなあ、柳生がどうやって柳蓮二の情報を掴んだかじゃな」
「しゅ、執念?」
「阿呆か。それともう一つ……どうして交通安全課のお前さんがこんなことを調べてる?」
もっともな質問だった。
「柳生さんは柳さんの家の近所まで車を使ってました。駐車場が無かったのか急いでたのか知りませんけど、駐車禁止の道路に止めてたんですよね。で、俺がそれを見つけたところに、ちょうど柳生さんが走って来たんです。免許証を確認してたら署から入電があって」
「逮捕したと」
頷く。正義の警察官、切原赤也。
「ほんで丸井に『逮捕したんだし交通安全課は暇だろうし俺達にはこんなオカルト証言に割く人員もないから、お前ちょっと知り合いの先生に質問してこい』と言われた」
そっくりだ。准教授は物真似も上手いらしい。

「どう思いますか?」
「思い込みじゃろ。柳生は自分でも知らないうちにヤナギレンジという名前を見るか聞くかした。それが潜在意識の部分に残り、ふとした拍子に夢の中で現れた」
「けど柳生さんは絶対に会ってないって」
「人間の絶対ほど信用できんもんはない」
「でも柳さんは十年も隠れるようにして生きてきたんですよ」
「柳は十年間一回も外に出なかったわけじゃない。名前を知ってる人間はたくさんいる。そこから柳生に伝わる可能性だってあるし、十年より前に会っていた、もしくは名前を知る機会はあったかも知れん。
とにかく思い込みの激しい変態オカルトバトラーの戯言じゃな」
「そうっすか……」
「ただその予知夢があった日の柳生の体調ぐらいは訊いといた方がええかもな」
別れ際、彼はそんなことを言った。


その後、事件は少し思わぬ方向に転がった。
「柳生さんの部屋から手紙が出てきました」
切原は丸井から預かったコピーを見せる。
「×月×日の夕方に来てください。部屋は二階の真ん中。読み終わったら手紙は捨ててください。 ヤナギレンジより」
紙の一番下に住所が記されている。
「パソコンか」
「はい。柳生さんはこの手紙を呼んで、ヤナギレンジの存在と居場所を知ったんです。誰が送ってきたかはまだ分かってません」
物理学の先生は紙をひらひら動かして遊んでいる。聞いてんのか?
「それから柳生さんの体調ですけど、その日は高熱を出して早退してます。つっても、自分の家には帰らず幸村家の一室で休んでたみたいっす。仕事中ぶっ倒れたんで医者呼んでそのまま寝かせてたって、幸村さんが」
切原が言うと、先生が突然けらけらと笑い出した。
びっくりした。ちょっと怖いし。
「なるほどなぁ」
「何か分かったんすか?」
切原は恐る恐る訊ねる。
「裏付けはそっちでしんしゃい」
と言うと、彼はまだ笑いが収まらない様子のまま、話し始めた。


ピー!ピー!という音がした。電子レンジの音だ。
准教授は中から取り出したマグカップに、インスタントコーヒーの粉をブチ込んだ。
お湯くらい沸かせよ。
目線を上げて、お前さんもいる?と訊いてきたので丁重にお断りした。
「先生の言う通りでしたよ」
切原は言った。
「柳蓮二は幸村精市の愛人でした」
真田だけでなく。
「柳生さんが予知夢を見た日、彼の寝ている部屋の隣の部屋で……」
「柳と幸村も寝てたと」
「はい」
文字通りではなく。ぐちょぐちょあんあんと。
「その時の幸村さんの声が高熱でうなされてた柳生さんの頭に残った。先生が言ったように、幸村さんは柳さんのことを『柳』とも『蓮二』とも呼んでいたそうです」
「手紙を書いたのは?」
「幸村さんです。五年前から、予知夢だ運命だと話す柳生さんを面白く思っていて、もっと面白くなりそうだったからやってみたって」
自分で訊いたくせに、彼は興味なさげに不味そうなコーヒーをすすっている。
「柳さんが二階のあの部屋で寝てたのも、セキュリティシステムが解除されてたのも、真田さんが訪ねて来たのも、ぜーんぶ幸村さんの差し金だったんすよ」
先日准教授が言ったことそのままだった。
幸村はあっさり認めたそうだ。丸井談。
「なにが十年間外界との関わりを絶ってただよ!とんだクソビッチじゃねーか!」
切原は叫んだ。
先生はブハッとコーヒーを吹き出し、大爆笑した。


「いやー、おつかれ」
「別に疲れてねえっす」
不貞腐れたような声が出た。
けど本当に疲れてはいなかった。
切原がやったのは、話を聞くことと、それを丸井に話すことだけだった。
何もやってないし、事件は勝手に解決した。
丸井は特に気にする様子もなく、ガムを膨らませ、破裂する前に萎ませた。
「しっかしすげえ奴だったよな、柳蓮二」
「とんだ悪女っすよ」
忌々しく言う。
「男だけどな」
丸井は言った。
え?
ええ?
「男ぉ!?」
「あれ?知らなかった?」
「し、知らないっすよ!」
「そっか、お前会ってないのか。写真とか見せなかったっけ。正真正銘の男だぜぃ。
そりゃ真田も必死になって隠すよなあ。男の愛人なんて」
なんっだそれ!
驚きすぎて口が閉じない。
予知夢よりそっちのが超常現象じゃん……。
ドノーマル切原、知っちゃいけない世界を知った気分だ。

「けど良かったよなー。超常現象じゃなくって」
いやだから、十分超常現象ですよ。
「それもこれも物理学者様のお陰だな」
「まあ、それはそうっすね」
「大変だっただろぃ?あいつ寝てばっかで。起こすのが一番苦戦しただろ?一日のほとんど寝てんじゃねえかな」
切原は首を傾げる。
そうだっただろうか。
「いつも研究室のロフトで寝てるし、たまに講義中も寝ちまうし、髪も金髪なのに、不思議とクビにならねーの。面白ぇよな」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
まさか。
切原は刑事課でも物理学者でもないが、このくらいの推理はできる。
「丸井先輩……、そのぉ、准教授さんの写真とかってあります……?」
なんで?と訝しがりながらも、丸井は携帯電話の画面を見せてくれた。
「こないだ呑み行った時のやつ。右端でぐーすかしてるだろぃ。こんな時でも寝てんだよ」
丸井の言葉はほとんど聞いていなかった。
画面内に見たことのある人物は一人もいなかった。
じゃあ、あの人は一体?
ぶる、と震える。
悪寒がした。
切原は考えるのをやめた。
オカルトは苦手だ。
そもそも超常現象とオカルトとホラーの違いが分からない。
その後一年間、切原が赤門に近づくことはなかった。




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別に仁王くんは幽霊じゃなく単に白衣コスプレで遊んでた善良な市民です。
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