06月11日(火)21時50分 の追記


カルビがじゅうじゅう焼けている。焼け過ぎなぐらいだ。
六月の柳の誕生日会は、四月の丸井と五月の真田の時と同じように、学校の近所の焼肉屋で開催された。
食べ放題コース掛ける8割る7。主役の分をそれ以外で均一に奢るこのシステムは、今年度に入ってから始まったものだった。

二時間のコースの一時間半が過ぎた。
あと十五分もすれば、店員がラストオーダーを訊きにくる。
宴もたけなわ。そんな感じだ。
もっとも仁王達の隣のテーブルは、まだそれなりに盛り上がっている。
こっちはそうでもない。
四人掛けのボックス席。仁王の隣に座っていたジャッカルが丸井に呼び出され、真田が幸村に呼び出され。
仁王と柳の二人きりだ。
カルビの焼き加減をうかがうふりをして、仁王は前の席に座る柳の顔を盗み見た。
焼いている肉を見ているのか、やや顔を伏せているので、濃い睫毛が薄い涙袋に影を作っている。
ダクトが吸いこみきれなかった煙が薄っすらと漂っているせいか、元々色の無い柳の顔はますます作りものめいて見えた。
焼き過ぎのカルビを口に入れ、新しく一枚網に乗せる。
網の半分より向こう、柳の方は空っぽだ。
元々あまり得意じゃないんだろう。
それでも今日は奢る側のことを考えてか、いつもより多く食べていたように見えた。主に白米を。

盛り上がる隣に対し、こっちは静かだ。
仁王は柳の他に誰もいないと喋らない。
ただ近くにいてぼうっとしていることに、何の苦痛も感じなかったからだ。
人が近くにいると落ち着かない気分になり、嘘と本当を混ぜこぜにしたくだらない話をべらべらと喋ってしまうことが多い仁王にとって、これは驚くべきことだった。
最初はその居心地の良さに驚き。
近づいては猫のようにぼんやりと彼の横にいることが増えた。
仁王が喋らなければ、柳も口を開かなかった。
彼が何も考えずにぼうっとしているとは思えなかったので、何かしら難しいことを頭に浮かべてはいたんだろう。
横にいる仁王のことなど気にも留めずに。
けれど気まぐれに言葉を投げかけると、柳は淀みなく応えるものだから、その度に仁王はなんとなく背中の辺りがむずむずとした。
俺のこと気にしてる?
本当は、ぼうっとしている風を装って、その人形のような顔の表情を読みとろうと頭をフル回転させていることも。
その体の造作の美しさに気付いて息が止まりそうになったことも。全部知っているんじゃないだろうか。
知ってて黙ってるんじゃないか。
横顔を見つめられて強張った肩を、一体どんな気持ちで見ていた?

新しく焼いたカルビを箸で摘まんだ。
そのまま口には運ばずに、タレの入った皿に置いた。
「……なあ」
「うん?」
網の方を向いていた柳の顔がわずかに持ち上がる。
「焼肉屋に来てる二人きりの男女の……50パーセントは肉体関係があるんじゃて」
話はじめてから、はて40パーセントだっただろうか、と思い直す。
どっちでも良いけど。
むしろ全然別の数字だったかも。
これからそういう関係になる可能性が高い、という話だったような気もする。
トングを掴み、また肉を焼く。
「愛していると言ってくれ?」
「……はい?」
変な声が出た。
てっきり理由やら推論やらを言われると思っていたのだ。
しかし言葉の意味をそのまま捉えるほど、仁王も思い上りではなかった。
「ずいぶんとまあ、古いドラマを」
大袈裟に驚いて見せる。
超有名作だから、名前ぐらいは知っている。
柳もリアルタイムでは見ていないはずだが。
「姉が主演の俳優のファンなんだ。DVD化した時に買ってきたものを一日中観ていたから、目に入った」
「んじゃ、あれも観た?最近やっとったアイドルのやつ」
一応リアルタイムネタを放り込んでみる。
「ダイニングテーブルにパンフレットが置いてあったから、観ただろうな」
「面白かったって?」
「そこまでは」
「俺も前に漫画のやつは観たぜよ。ともだちーってやつ」
「ああ……赤也も観たと言っていたな」
柳は、仁王と赤也が一緒に観たとでも思ってそう口にしたのかも知れないが。
なんとなく面白くなくて、話を戻すためにやや大きく声を出した。

「で?そのドラマが何なん?」
「特にどうというわけでもないのだが、ドラマの中に同じようなセリフがあったのを思い出したんだ」
「肉体関係?」
「そう」
「理由は?なんでだか言うとらんかった?」
「単にそういう俗説があるという話だったな。あるいは」
柳はそこで言葉を切った。
「口説き文句」
ぐ、と息が詰まりかけたのは、図星だからか。
誤魔化すように皿に放置していたカルビを口に突っ込む。
「……だったのかも知れないな。全て観ていないので分からないが」
口を曖昧にもごもごと動かしながら、ふうん、と相槌を打つ。
なんとなくやられてばかりのようで癪に障る。
カルビを飲み込み、仁王はささやかな反撃に出ることにした。
「あるいは、単にエロいからかもな。肉食ってる表情が」
と言って、仁王は網の上のカルビを柳の皿に乗せてやった。
食え、と箸でそれを指す。
「だからか」
「んん?」
「姉が」
「また姉か」
柳が少し笑う。
つられて仁王も少し口元をゆるめてしまった。
「焼肉を食べる合コンというのに頻繁に参加しているのには、そういうメリットもあるのだな、と」
そう言って、柳は何でもないことのようにカルビを口に運んだ。
エロいかはともかく。
仁王はわりと満足した。
いや、やっぱエロかったかも知れん。
しかし攻撃が相手に全く効かなかったらしいことには、落胆した。
少しは動揺してみせれば良いのに。かわいくない。いやかわいい。
焼肉を食べ過ぎていっぱいなのは胃の方だが、どうやら思考回路の方も破裂寸前に膨れ上がっているらしい。
グラスの中身はコーラのはずなのに。
確かめるために一口飲んでみた。
温くて不味い。
だが確かにコーラだ。炭酸の抜け切ったコーラだ。

店員がやってきた。
隣の幸村達のテーブルに、ラストオーダーを訊いている。
「どうする?」
と柳が冊子になったメニューを渡してきた。
しばし考える。
ラストオーダーをじゃない。
反撃の方法をだ。
だってもういい加減にうんざりしているはずなのだ。
柳も自分も。
お互いに相手の見ていない隙を狙うようにして見つめたり。
表情をうかがったり、それを分かっていながら知らん顔をしたり。
腹を探り合うのには、もういい加減。
そういうのを楽しめる時期はとっくに過ぎたのだ。
少なくとも仁王の方は、あの日、柳の隣の心地良さを知った時から、ずいぶんと長い時間が経っている。
それにつれてぼうっとする時間は短くなり。
最近では逆に落ち着かなくなってきたくらいなのだ。
だから柳の方ばかりチラチラと見てしまうし、無意味な話題を提供したりしてしまう。

しばらく考えた後、仁王は静かに、けれどしっかりと柳に聞こえるように短く呟いた。
柳の心に刺すように、一言。
「タン」
タイミングを見計らったように店員がこちらを振り向き、歯を見せた。
「ラストオーダーの時間になりましたが、ご注文はございますか?」
親切に頼もうとしたんだろう。
柳が口を開きかけたのを見て、仁王は遮るように言った。
「結構です」
柳の方の空気が動く気配がした。
何かを察知したんだろうか。
動揺したようにも見えた。
頭を下げて店員が去って行く。
それを確認してから、仁王は再び呟いた。
「タンが食いたい」
箸の先を柳の顔に、わずかに見せた動揺なんてものはすぐに消し去った、無表情なその顔に向ける。
今お前が顔をしかめたのは。
行儀が悪いと思ったのか、それとも、何かを隠すためか。
どうなんだ。
「参謀の舌が食いたい」
駄目押しの一言を言って、箸を置き、仁王は最後のカルビを焼いた。
じゅうじゅうと焼ける音が大きく聞こえる。
周りでは他の客が、横のテーブルの仲間たちが、うるさく騒いでいるというのに、その音だけが耳に入り込んでくる。
じゅうじゅう。じゅうじゅう。
じっとカルビを見つめる。
柳にしては間が長い。
いつも仁王のふざけた言葉にも、たまにする真面目な質問にも、彼は淀みなくすらすらと答えるのに。
どうした。何か言え。何でも良いから。
それとも長いと思っているのは自分だけで、実はこの間はほんの一瞬だったりするんだろうか。
「だったら先にお前の舌を食わせろ」
バッと勢い良く顔上げる。
そして顔を見た途端、仁王は今度こそ口元がゆるんでしまうのを抑えられなかった。
柳は何でもないことのように言ったけれど。
目敏い仁王は気付いてしまった。
耳が真っ赤だ。
良く考えてみると文章だって可笑しい。
一度くっつけたら先も後もあるもんか。
柳は相変わらず何でもないって顔を繕っているようで、思わず笑ってしまう。
仁王は嬉しくなり、そして、焼肉の後の算段をあれこれと考える。
目の前のカルビを口に運ぶ。
焼き過ぎず、片面は程良くレアー。
今日一番の焼き加減だったけど、柳の舌はこれよりもずっと美味いはずだ。
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