Let's Hung Out! | ナノ

『お前さ、なんで俺なんかに構うわけ』

日本史の授業。先生の教科書を解説する声や小さな寝息しか聞こえない、静かなこの教室で、小さな紙切れに書かれたその文字に目を通してゆっくりと、隣の席に目を向ける。

「…一松くん?」

「………」

手紙の送り主の一松くんは、ただ静かに、黒板を見つめているだけで、こちらは一切見ようとしなかった。どうしたというのだろうか。何か変なことした?困惑していると、終業を知らせるチャイムが鳴り響き、先生は手短に終わらせると教室を後にした。と同時に一松くんは立ち上がると、いつの間に用意していたのかかばんを肩にかけてさっさと教室を出ていってしまう。いつも帰りぎわはひとことふたこと話してからお互いそれぞれ帰路につくのに、今日はなんでそんな早いの!
スルスルと人の間をぬうようにして後ろの扉から廊下に出ていってしまった彼を慌てて追いかけて、わたしも廊下を出たところで「一松くん!」と呼び止める。
ぴたり。一松くんが足をとめた。

「ねぇ、」

「…なに」

「…あれって、どういうこと」

「どういうって」

「………」

「…みょうじさんは、どうして俺みたいなやつと話したいわけ」

「だ、だって一松くん面白いし、」

「それだけ?」

「え、?」

「ほんとうに、それだけなの」

それまで前を向いていた一松くんが、ゆっくりと振り返る。

「俺は、違うけど」

瞬間、きゅ、と胸が苦しくなったのに気づかない振りをして、わたしは手を握りしめた。
振り返った一松くんと視線が絡んで、言葉が喉につっかかって何も言うことができない。「楽しいから」「話が合うから」「気が楽だから」早く何か返さなきゃと思うのに、思えば思うほど、返す言葉が出てこない。
…いや、違う。一松くんと話したい理由なんて本当はたったひとつなのに、わたしが無理矢理おさえこんでいるだけだ。たくさんの言い訳染みた言葉を押さえて、ぐいぐいと表に出てこようとするそれが漏れてしまわないように、ぎゅっと口をつぐんだ。
と、だんだんと他の生徒が教室から飛び出してきて廊下が一気に騒がしくなったのと同時に、それまで合わさっていた視線がすっと逸らされる。

「その手紙、また次に回して」

返事、忘れずに書いてよ。
口元に引っかけていたマスクを人差し指で鼻に掛けなおしたあと、一松くんはまたこちらに背を向けると、今度は振り返らずに階段へと向かって歩き出してしまう。彼の背中が見えなくなるまで、わたしはひとり、動けずにいた。







一松くんが好きだった。
目付きが悪いだとか、怖そうだとか、そういう見た目や印象とは裏腹に彼はとても兄弟想いで、捨て猫に餌をあげて、人の変化にすぐに気づいてくれる、とても優しい人なのだ。去年同じクラスだったおそ松くんには「え、なにそれ、誰の話してんの?」だなんて言われてしまったけれど、わたしから見た一松くんと言えば人と関わることは苦手としているけれど、誰よりも人に優しくできるとってもかっこいい男の子だった。そう気づいた時から、わたしは一松くんが好きだった。友達としても、恋愛対象としても。
だからこそ、今年同じクラスになって、席が隣になって、さっきみたいに授業中に手紙を回すような間柄になれたことはとても嬉しかった。きっかけはわたしが授業中に人に話しかける度胸がなくて(相手が一松くんだったってこともある)紙切れに『すいません今何ページですか』って、そんな些細なことを聞いたにすぎなかったけれど、気まぐれな彼がいつまでこんなやりとりを続けてくれるのかは分からないけれど、それでも一松くんと授業中にこっそりと紙を回しあって話をするのはなんだかくすぐったくて、わたしの恋心をだんだんと大きくしていくには充分だった。まぁ、その気持ちを伝えられるかと言われれば、それはできないんだけども。
一松くんの姿が見えなくなって、踵を返す。一松くんはわたしになんて微塵も興味ないだろうし、さっきのだってもしかしたらこんな手紙を回し合うのはやめたいって、そう思っているからかこその行動かもしれないし、伝えたら、もう今までみたいに話すことはできないだろうし。
…それにしても、返事、どうしよう。

「あ、みょうじさーん」

教室に戻ったあと自席に向かうわたしに声をかけたのは、おそ松くんだった。考えごとをしていたせいで一瞬返事が遅れたけれど、それに気づいた様子はなく、おそ松くんは一松くんの席に座って「よっ」と片手を挙げる。

「ねえ、一松どこいったか知んね?」

「え、一松くんならさっき帰ったけど、」

一緒に帰る約束でもしていたんだろうか。その言葉を聞いて「あーまじか」と頭をガシガシと掻いた彼は、その隣でわたしももう帰ろうと教科書やノートをしまう様子を興味なさげにぼけっと見やっていたのだけれど、手にしていた紙を仕舞うべくかばんのチャックを指でつまんだところで「ねえ」と再び声をかけてきた。

「その紙何?」

「あ、これは、」

「あーーーそれ、もしかして授業中コソコソ回してんの?みょうじさん意外とやるねぇ」

授業中にゲームをしたりお菓子を食べたり、そもそもサボってしまう彼に言われてもなあ。おそ松くんならそんなことはしないと分かっているけれど、先生にばれてしまったらわたしも一松くんも怒られるし、なによりこの先メモ回しが出来なくなる。一応口止めしておこうと「内緒にしてよ」と言って笑えば、やっぱりおそ松くんは笑いながら「わーってるよ」 って言ってくれた。

「トド松がよく女子とやってんだよな」

「えーっと、トド松くんて、」

「六男。末っ子な」

「ああ、6組の」

「そ。…つかさ、それってバレないもん?俺やったことねぇんだけど」

「うーん、そうだね、一松くん上手く回してくれるから、先生に見つかったことはないかな」

「え」

「え?」

「ちょ、ちょっとまって、相手一松なの!?」

「う、うん、」

え、そんなに驚くこと?
おそ松くんは両手を口に当ててわなわなと震えながら「一松!?あの一松!?」と何度も聞き返してきて、その度に頷いていると、驚いた勢いで立ち上がっていた(だからそんなに驚くこと?)のだけれど再び椅子に座り直した。と、思ったら今度はぶくく、と笑い出す。表情がころころと変わっていくのを横目で眺めながら、おそ松くんはほんとに忙しい人だなあって、そんなことを考えつつ帰り支度の手を動かす。何がそんなに面白いのか分からないけど、一松くんと手紙回すのってそんなに変なこと?おそ松くんの話だと他の兄弟の、えっと、トド松くん?もやってるみたいだし、別におかしくないと思うんだけど。「あのさぁ、」しばらく笑い声が聞こえたあと、再び声をかけられて、そちらを向く。

「前から思ってたんだけど、二人って付き合ってんの?」

「は、はあ!?」

まさかの、本当にいきなりの質問に思わず教科書を落とす。バサバサッと音を立てて床に落とされたそれにおそ松くんは「わっ!びびったー」なんて暢気な声で言って、腰を屈めて教科書を拾ったあと「ん」とそれを渡してくれた。いや、おそ松くんに変なこと言われたからびっくりしたんだからね、こっちは!

「で?」

「え、…あ、そんなんじゃない、けど…。…ほら、一松くん優しいし、別にそんな深い意味はないと思うよ」

「いや、優しくはねぇよ」

自分で言っててなんだか惨めだったけれど、でも、きっと一松くんはわたしとこういう形で話すのだって暇潰しくらいにしか思ってないだろうし、間違ったことは言ってない。けど、やっぱりちょっと思うところはあるわけで。
片付けるためにペンケースへとシャープペンを運んでいた手をとめて、まるでそんな想いを逃がすかのように小さく息を吐き出した。

「…でもさぁ、やっぱりあいつ、優しくねぇよ」

「…家族にそこまで言う?」

「だぁってよ、」


一松ってすんげえめんどくさがりだから、好きでもない女の子と授業中にこーんなお手紙で話したりしないと思うんだよなァ。別に優しいわけじゃないって。




「……え」

「一松、みょうじさんに惚れてんのかもね」

「んじゃ、俺はチョロ松んところ行くから」一松ならいつも商店街のほうの道から帰るよ。ひらひらと手を振りながらおそ松くんは教室を出ていって、その姿を見送って。その間わたしは開いた口がふさがらなかった。
え、まって、惚れてるって、好きでもない女の子とこんなことしないって、それって…

「両想い、かも…?」

自分で言ってカッと顔が赤くなるのが分かる。
「みょうじさんは、どうして俺みたいなやつと話したいわけ」「俺は、違うけど」さっき一松くんに言われた言葉を思い出して、もしかしたら一松くんも同じ気持ちでこのもどかしい関係を変えたくて、だからあんなことを言ったのかもしれないって、都合のいいことばかり考えてしまう。紙切れと、シャープペンとを握りしめて、わたしは教室を飛び出した。

廊下で人にぶつかりそうになるのをなんとか避けて、走るな、なんて怒号も受けて。普段のわたしだったらこんなことはしない。でも、今はどうしても一松くんに会いたくて、とにかく足を動かした。
わたしってば、なにバカなことしてるんだろう。
両想いなんてのはわたしの願望にしかすぎないし、そんな都合のいい話があるわけがない。漫画やドラマだって今どきこんなベタな展開にはならない。でも、そんなことどうでもよくなって走り出すくらいには、一松くんが好きだった。
第一、兄弟であるおそ松くんが「好きな女の子」「惚れてるかも」なんて言ってくれただけで本当にそうであるかなんてそんなの本人にしか一松くんにしか分からない。分かっているのに、走り出した足はとまらない。盛大な足音を立てながら廊下と階段を駆け抜けてロッカーで急いで履き替えたあと、学校の敷地を出て商店街のほうへ向かってひたすら走る。
こんなことなら体育以外にも日頃から運動しておくんだった。早々と痛みだす脇腹を押さえつつ、無我夢中で走る。何度目か分からない住宅街の角を曲がると猫のように丸めた背中に首元から覗く紫のパーカーが視界に入って、からからに乾いて張りついた喉に息を吸い込んでから声を張り上げた。

「一松くん!!」

びくり、とその背中が大きく揺れて、振り返る。
わたしの姿を捕らえたであろう彼は大きく目を見開いてその場で立ち止まった。よかった、意外と学校から離れてなかった。もしかしたら誰かと立ち話してたのかも。息を整えながら一松くんに近づこうと再び歩みを進める。肩で息をしているわたしに驚きながらも、一松くんも小走りでこちらにやってきてくれた。

「…みょうじさん、」

「っは、ぁ、いちまつくん、」

「カバンは」

「も、もってきて、ない。すぐ戻る、し、」

「は?」

「手紙の返事、今させてくれない、かな」

「…はあ?」

「ちょっ、ちょっとまって、」

まだ何か言いたげの一松くんには少しの間待ってもらって、軽く呼吸を整えてから手のひらに紙切れをのせて、その上にシャープペンを走らせる。綺麗に並んでいる字の横に、下手くそな字が並んでいく。ずっと握っていたからシャープペンを持つ手も汗ばんでて、上手く字が書けない。元々上手いわけでもないし、手の上だし、もうへとへとで、一松くんのものと並んでいることから余計にひん曲がって見えるその文字。書き終えたその瞬間にそれを一松くんになかば押しつけるように手渡して、そのあと今来た道を大急ぎで戻ろうとしたら、「待って」とメモを渡したその手を掴まれてしまった。

「ここにいろ」

「え、は、あ、でも、」

「いいから」

だって、わたし今、走って、走って、勢いで来たから、髪の毛だって乱れてるし手だって汗ばんでて。ううん、手だけじゃなくて全身汗だくだし、可愛くもない字で『好きだから』なんて告白みたいな返事を一松くんに押しつけたばかりなのに、逃がしてくれないの。そんなのあんまりだ。ここに来たのだってちょっと後悔してるんだよわたし。

一松くんはその紙に目を通したまま、下を向いている。ばくばくと心音が聞こえそうな距離で、何もかもがぐちゃぐちゃで。逃げたくてたまらないのに、一松くんの手がわたしを離してくれなくて、掴まれたそこから熱がからだ全体に行き渡っていくのが分かる。っていうか一松くんはたった5文字を読むのにどれだけかかってるの、読んだら読んだで早く離して!と回らない頭で色んなことを考えているわたしには余裕なんてない。だって自分でもし一松くんが同じ気持ちだったら、とか、おそ松くんに嬉しいこと言われたからとか、そんなありえない淡い期待を抱いて勢いでここまで来てしまったのだ。あのときのわたしを殴ってしまいたい、恥ずかしくて死んじゃいそう。だから、こっちは玉砕覚悟の上。余裕なんてあってたまるか。というか、どうしよう、本当に、一松くんはもうわたしと話なんてしたくないって思っていたら。だんだんと顔が下を向いていく。勢いのままここまで来たことを激しく後悔した。

「俺も」

あまりにも小さな声だったものだから、聞き間違いかと思った。二人して黙り込んでからどのくらいの時間が経ったかは分からないけれど、その僅かな音を拾ったわたしは反射的に顔を上げる。「へ」なんとも素っ頓狂な声を上げてしまった。俺も?俺もって、こと、は。ゆっくり、ゆっくりと今の状況と一松くんの言葉を咀嚼する。そしてその二文字の意味を理解した頃には、走ったからじゃあなくて、別の何かによってじんわりとからだが熱くなるのが分かった。…いや、いやいやいや、でも、それってわたしが都合よく解釈してるだけじゃない?ほんとに?ほんとにその意味で合ってる?何か違う意味なんじゃないの?間違ってるんじゃない?きっと、というか、絶対そうなのに、今のわたしはきっと誰が見ても分かるくらいに紅潮しているんだろう。

「……あんた失礼なこと考えてるだろ」

「う、えぇ、」

「俺も、好きだっつってんの」

でも、そんなわたしに負けないくらい、一松くんの耳や頬だって赤い。夢かもしれない、嘘かもしれない、そう思ってたのに、それだけで一松くんがちゃんとわたしのことを見て、わたしのことをそういう意味で好いていてくれるってことが分かって、また顔が熱くなる。追いかけてよかったとかおそ松くんありがとうだとか、だんだんと目頭まで熱くなってきた。
ちらり、とこちらに向けられた視線と絡んで、胸が大きく音を立てて全身に熱い血を回して、逃げたいくらいに恥ずかしいのに、視線は逸らせない。マスクに隠れた一松くんの口元が小さく動く。

「ていうか、なんであんたが先に言うわけ。…俺が、先に言いたかった」

「で、なに、俺みたいなクズと付き合ってくれんの」なんて、そんな物言いしなくたってわたしの答えは決まってる。 一松くんだから、わたしは彼が好きだし、付き合いたいって思うし、ここまで追いかけて来たんだ。今さらだよ、そんなの。

「おねがいします」

小さな声だったけれど、一松くんにはちゃんと聞こえていたようだ。繋がれていた手と手の指が、ゆっくりと絡み合った。

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