かわいそうヅラすんな。目をつり上げて沢村の頬をぴしゃんと張った女の子の右手は真っ赤だった。彼女の放った“かわいそうヅラ”というのがなんなのか、沢村はいまだにわからないままだ。
孤児院を出てしまえばその子にまつわる話は一切入ってこなかった。だからその後その子がどうなったかは知らないし、正直、ちょうど同じように頬を張られなければ忘れたままだったに違いない。


「かわいそうヅラすんな」


輪郭も尖り、目の周りをずいぶん粉っぽくした女の子は、鈴のような声を失っていた。大きくなったな、なんて親戚まがいのコメントが頭を過る。重症の人間をひっぱたいておいて女は平然としている。白い拘束具は沢村をまだベッドに縛り付けていた。目だけをギョロつかせると、彼女は鼻を鳴らしサイドボードに大きな紙袋を乱暴に叩きつける。勢いで角がひしゃげる。黒くてらてらしたその表面には黄色いふせんが貼ってあり、よく知った名前が書いてあった。ふいと窓の外に視線をそらす。思い出したくもない。

その瞬間、強い振動に沢村の体が跳ねた。

衝撃に悶絶する沢村を、女はつめたく見下ろしている。沢村の乗っかるベッドは2センチほど窓側に寄っていた。黒いヒールの足跡がベッドの白い脇腹を汚している。


「他の人より持ってないから、なにしてもいいと思ってんでしょ」


ばかじゃない、と女は急にしなびた。
言われてみればなるほど納得もできた。けれどそんなことでは自分の心は微動だにしない。奪うだけの理由はなくとも、奪われるのはごめんだった、だから奪った、壊した、それだけのことだ。そうでもしないと自分で自分を不幸だと憐れんでしまいそうで。なんでもないことだなんて思えなかったけれど、だからといって喚き立てるのはおかしい気がしていた。かわいそうヅラってのはそういうことか。沢村は目を細めて天井をながめる。


「少なくとも、先生は心配してるよ」


さっきまでの勢いはどうした、と訊いてしまいたくなるようなさみしい声で、彼女はつぶやいた。しかし沢村は思う。あの先生にとって、自分の受け持った生徒であるかないかなんて大きな意味を持たないのだ。あの孤児院の子だというだけで十分なのだ。
手を伸ばして千堂が置いていったメモ帳とペンを取る。何かを書きつける沢村を女は黙ったまましばらく眺めていたが、その羅列を見せられた途端泣きそうな顔でそのページを破り、ぐしゃりと握り潰した。


『お前のこともだろ』


なにもなくしてやしない。なにもなかったわけじゃない。沢村は必死に涙を食い止めようと歯を食いしばる女にこそいってやりたかった。少しくらい自分のこと、かわいそうだって思ってやれよ。




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