見晴らしのいいこの家には、私の分の居場所がきちんととってあった。島田さんが研究会をしているときは、胸をぎゅっとさせるけれどとても落ち着く、畳とカビの匂いがする、二階のがらんどうの部屋でぼんやり本を読んだり予習復習したりする。誰もいないときは、島田さんと何でもないことをゆっくり噛みしめるようにほつりほつりと話し合う。将棋は指せないけれど、盤を挟んで、島田さんは駒を並べながら、私は左手の小指の付け根にあるまめをいじくりながら、今日は何の授業があったとか、島田さんが私のじいちゃんに将棋会館で会ったとか、とりとめもない話をする。部活が遅くなれば、行かない日もあるし、それでも行ってお風呂をいただくことすらある。野良猫じみていて、だけどそんなことをもう1年近く続けている。もう来ないという決定も私の手に委ねられているというのに、私はいまだにこの千駄木の家を離れられずにいる。

下で二階堂くんと重田さんがいつものように激しい討論をしてるのが、西日の差すこの部屋にのどかに響いた。遠くでそれを聞きながら、障子窓を少し開いて、どんどん濃い朱色に染まっていく町並みを見下ろして島田さんと私について考えてみる。この夕日みたいにぼんやりとして、曖昧な、半紙でできたこよりのようなものでしか繋がっていない。けれど私の方には、共有しているものがあると思える。三十路もそろそろ終わりを迎えようとする大人と、まだ二十歳にもならない子どもの間に、私は似たような孤独を見つけてしまった。捨て身で挑んでもまだ報われることのない、そういう世界に立ち向かい続ける苦しさを、やることは違えど島田さんと私は知っている。何度となく傷ついてもその先を求めなければいけないのは、何をしようと一緒だ。


「なまえ、降りてこないか?」


ひょい、と顔だけをのぞかせた島田さんの顔は疲れていたけれど充実感で光っていた。穏やかな笑顔に、嫌だなんて子供じみたわがままがそっと胸の奥にしまいこまれる。全く呆れる、似た孤独だとか、苦しさだとか、そんなかっこいい頭でっかちの言い訳なんか全然的外れなのだ。本当は、私は島田さんが好きです。それだけのこと。


「終わったの?」
「おう。それで、呼べっていうからさ」


気を使わせてしまったかもしれない。そう思ってぱっと立ちあがってくたびれたスクールバッグをつかむ。教科書はほとんど入っていないそれが重いのは、「初めての将棋」という分厚くて古いルールブックのせいだ。この数時間ずっと読んでいてもちっとも分からなくて、途方にくれながら、島田さんって実はすごい人なのかもしれないと漠然と考えるばかりだった。


「嫌ならいいんだぞ?」
「やじゃないよ」


ちょっと前までは、誰とも話したくないし全部どうでもいいや、なんて投げやりな気持ちになった時ばかりこの家に来ていたから、島田さんは私が気難しくて人間嫌いの偏屈だと思っているのだ。確かにそういう面があることは認めるけれど、それがすべてじゃなくて、機嫌が良かったらもっと明るくてはきはきしゃべるときだってあるのだ。今日は穏やかではあるけれど不機嫌なわけじゃないから、嫌なんかじゃない。

島田さんは気遣わしげに私の顔を覗き込んでいて、こんなんだからすぐに胃を痛めるんだなあと少し感心した。大人ってみんなこんなに人のことを思いやれるのだろうか。いや、きっと島田さんだけだ、こんなに優しいのは。そこが島田さんの中で一番尊いところなのだから。


「じゃあさ、こんど、将棋教えて」


ひょろりと背の高い島田さんをじっと見上げると、島田さんはびっくりしたような顔をして、それからふっと口元をゆるめて、私の頭をさらりとなでた。島田さんが嬉しそうだったから、私はああよかった、とほっとした。それからひどく悲しくなった。触れる意味はきっと、親戚の子にするような意味でしかない。私が感じる一方的な共鳴を、この人も感じているとは限らないのだ。

いいよ、とまた笑う島田さんを見ていると、みぞおちの上のあたりがくしゃくしゃになって、目の奥がぎゅっとした。もう一度言いましょう、私は島田さんが好きです。



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