おえええ、ぎぼぢわるいぃ、と耳元で聞かされたこっちが気分悪くなってきそうな濁った悲鳴をあげるなまえを黙らすために、ゆさっと背負い直してやったら本気でえずきだしやがった。いやお前その沈黙はマズいほうじゃねェか、頼むからなんか喋るだけの元気取り戻してくれと細心の注意を払って今日の宿への道を急ぐ。


「おい、大丈夫か」
「全然へー、っうっぷ」
「オイ!!」


ほんの気休めというかもはや大義名分、心なんざこれっぽっちも籠ってやしねェ言葉を形どおり投げかけてやれば、返ってきたのは今更全く意味を成さねェ強がりとげっぷみてェな音であり、ただただ自らを追い詰めるだけの結果が生まれ、これほど生産性のない会話もねェに違いない。ただコイツの口から今まさに生まれんとしている今日の晩飯は別だが。
あれほど飲むなといったのに、このバカが、とおれが恨み言を漏らしちまうのも仕方がねェと思う。たまたまその時期に重なって春島へ上陸したおれたちを待ち受けていたのは、巨人族もかくやのバカでかい桜の木と一面ピンクの山だった。ふもとじゃすっかり祭りが佳境に差し掛かったところで、とにかくどんちゃん騒ぎ好きなウチの一味が見過ごすはずもなく、こんな夜更けまで飲み明かすハメになったのはいつもの自然な流れと言って差し障りはねェ。なまえさえ、酔いつぶれなければ。たいして強くもねェくせに浮かれた空気にあてられたのか、いつもの倍はかっくらったあげく真っ青な顔して泣きついてきやがった。こういうとき、恋人という立場がどれだけ弱ェか。あの魔女どもに散々送り狼がどうだのとうざってェ冷やかしを浴びたあげくこいつを背負ってすごすご宿まで戻らされることになったのだ。正直まだ飲み足りてやしねェおれの右手には名産の一升瓶が握られている。


「っう、ごめ、も、」
「…チッ」


その舌打ちに何の意味が込められていると思ったのか、酔っぱらって感情のタガも緩んだなまえがごめんなさいの連呼を始め、撤回もめんどくさくなったおれはすぐ目の前の公園らしき場所に入った。目についたがっしりとした木のベンチにおぶっていたなまえを降ろしてやると、すぐにぐったりと背もたれに体を預けぴくりともしなくなる。眉間に皺をよせ、脂汗を浮かべる額に張り付いた前髪をそっと指先ですくってどけてやると、苦しげなうめきを上げ片目をうっすら開ける。


「ほどほどにしとけっつったろ」
「うう…ほんとにすいませんでした……」


たいした遊具もねェ公園ではあったが、桜の木だけは十二分に植わっていた。震える細い肩をぐいと抱き寄せるとさして抵抗もしねェでおれの肩に頭を預け、それだけで若干機嫌が上向いたことを認めざるを得ねェ。コイツの面倒を見てやるのがおれでよかったなんて、とうとう末期らしい。そよ風にすらあおられて散っていく白を肴にぐいぐい酒をかっくらっていたら、いつのまにか荒い呼吸が止んでいた。夜目にも幾分かよくなったように見える顔色で、ぼんやり桜とその向こうの月を眺めている。


「もういいのか?」
「うん。…ごめん」
「聞きあきた」
「せっかく飲んでたのに」


会話を成立させる気があんのか。そう言おうとして口を閉じちまったのは、そんな殊勝なことを口走った張本人がまんざらでもない嬉しそうな顔してやがったからだ。どうやらこの状況を好ましく思っているのはおれだけじゃねェようだと安心する。不本意な形ではあるが、船の上じゃこんなふうに静かなふたりきりなんざ望むべくもなく、だからこそ、手を出そうとは思えなかった。夜は只々黒く、桜は只々白く、月は只々明るい。不貞をはたらくには穏やか過ぎる。だらしなく投げ出されたままの、まるで桜とおんなじ色した手に指を絡めて握れば、笑ったのかもたれた頭がかすかに心地いい揺れをよこす。すやすやと酒臭ェ寝息を立てはじめたなまえの睫毛をながめながら、起きたらどんなふうにからかってやろうかという企みに口元を緩める。




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